友と



 色の無い、高い空の下、彼らは立っていた。
「…………あ……………」
 アルベルトは、目の前の人物に何か声をかけようと口を開くが、言葉が出て来ない。
「……………あのっ……」
 一歩前に出て、手を伸ばす。
 もう一歩前に出ようとした時、隣にいたラファエルに引き止められた。
 彼は何も言わず、首を横に振る。


 でも。
 アルベルトは見上げて訴えようとするが、やはり言う事は出来ずに、口をつぐんだ。俯き、顔を起こし、前を見て、事を見守る事にした。アルベルトとラファエルの視線の先に立つのは、ジャミルの姿。そして、ジャミルの視線の先に立つのは、冥府の王・デスであった。


 神を前にして、ジャミルは恐れる事無く、地に足を付けていた。その胸に輝くアメジストは、太陽の無い淡い空の光に照らされて、煌いていた。この光景が幻とでも言うかのように、静かに小さな星の光を落とし続ける。


「後で足りませんでしたって事にならないように、しっかり持って行けよ」
 意志を持った瞳は神を映し、声に迷いは感じられない。
「酔狂だな」
 デスは呟く。漆黒の底深い闇の奥の瞳に、何を映したのかは、人は知りようも無かった。






 カチャ…。
 アルベルトの顔がトマト味のスープに映る。スプーンを入れると、歪んで揺らめいた。
 彼らは現世に戻り、食堂で食事を取っていた。あれからもう3日は経つが、未だにあの冥府という場所に足を踏み入れたのは、信じられないものがある。
 顔を上げればジャミルとラファエルの姿。今生きているのだと言う実感を、食べ物と一緒に喉へ押し込んだ。そう、もう3日が経つ。それなのに、まだ彼には納得できないものが胸の内にあった。
「ジャミルさん」
 アルベルトの呟きに、ジャミルは手を止める。
「なんだ?」
「やはり、私には納得が出来ません」
 通りやすい声が食堂に響いた。


「死者を………生き返らせるなど………」
 口ごもり、俯く。


 ジャミルが冥府の王に頼んだ事。
 それは、冷たい土の中で眠る相棒ダウドを生き返らす事であった。
 自分の命を削り、望みを叶えたのだ。


「生き返らせちまったもんは仕方ないだろ」
 手に持ったままの食器をテーブルに置き、頬杖を突いて、アルベルトの話を聞く。
「でも……」
「アルベルトだって、親父さんやお袋さんを生き返らせれば良かったろ」
「わ、私は、わたくしは…」
 膝の上に乗った手を握り締めた。
「父上は言っておられました。人はいつか死ぬと。それは運命なのです。変えては、ならない事なのです」
「アルベルトは強いな」
 ジャミルは苦笑する。
「でも、俺は弱いんだ」
「そんな事……………」
 冥府の時と同じように、かける言葉が見つからず、途方に暮れた。


 黙々と食べていたラファエルが食器を置く。ナプキンで口元を拭い、アルベルトを見た。
「アルベルトさん、あなたの言っている事は間違ってはいません。でも、それだけです。道理は割り切る為にあるのではないでしょう。ジャミルさんの選んだ道です。引き止めたら、一生後悔させてしまったかもしれない」
「………………………」
 アルベルトは口を閉ざしたままであった。それでも納得は出来ない。けれど、これ以上は余計なお世話だと言うのもわかっている。もう過ぎた事と思うしかないのか。煮え切らない思いを、胸に仕舞った。


「ところでジャミルさん、いつ行くんですか?」
 ラファエルは次にジャミルの方を見る。
「あ?」
「エスタミルですよ。相棒さんに会うんでしょう?」
「あー……」
 言葉を濁し、視線を逸らした。
「わかっているんだけどな………生き返ったのかも確かめなきゃいけないし」
 指で前髪を払う。
「どんな顔をすれば良いのかも、何を言えば良いのかも、わからない。恨まれているかもしれない。恐れているのかな、俺は」
「では、どうして生き返らせたんですか」
「生きていて、欲しいからだよ。結局、自分の為なんだ」
 声が小さくなっていく。
「だったら、尚更行かないと。あなたの選んだ道なら、責任も取るべきですよ」
「ラファエル。お前の話はあれだ、耳が痛い」
 ジャミルは長い耳の端を摘まんで見せる。


「ジャミルさん」
 アルベルトが口を開く。
「あなたと相棒さんの再会を、私は見届けたい。そうしたら自分の中で、整理が出来ると思うので」
「あのなぁ……他人事だと思いやがって」
「善は急げ、ですよジャミルさん」
 すかさず追い討ちをかけるラファエル。笑顔が無駄に爽やかであった。
「お前ら…」
 もはや溜め息しか出ない。背を押されるままに、ジャミルとその仲間達は南エスタミル行きの船へ乗る。






 甲板から波の揺れる様子を、ジャミルは眺めていた。
 ゆらゆらと波打つ様は、今までの自分の辿ってきた道のようで。
 多くの出会い、そして別れがあった。その中で、何を見て、何を知ったのか、多くの事がありすぎて、すぐには思い出せない。
 この先には南エスタミルがある。押して、引いていくかのように、またこの地へ戻ろうとしている。気付くと戻り、また出て行く。引き離す事の出来ない故郷。


 船を降り、相棒と2人で住んでいた、住処と呼ばれる家へ向かった。まだ迷いが残るのか、足は遠回りの道を選んでしまう。階段を上り、下りて、また上って、路地の間を潜る。けれど、時間稼ぎに過ぎず、家の前に辿り着いた。ジャミルが急に足を止めると、後ろを歩いていたアルベルトがぶつかる。
「ジャミルさん?」
「…………………帰っちゃ、駄目か?」
「「駄目です」」
 アルベルトとラファエルの声が重なった。






 鈍い音を立てて、立て付けの悪い戸が開き、ダウドが出てくる。
 こちらに気付く前に、ジャミルは走っていた。思いが体を突き動かしていた。
 ダウドの腕を取り、引き寄せ、抱き締める。
 ここへ着くまで、会ったらどうするかを考えていた物は全て吹き飛び、頭の中を真っ白にさせた。


「遅いよ」
 耳の横から聞こえた、ダウドの声。
 今まで堪えていた壁が崩壊し、嗚咽を漏らす。溢れて頬を伝い、顎に滴を作って、ダウドの服に零れて染みていく。
「いつからそんなに涙脆くなったの?」
「大人になったんだよ」
 ジャミルの背に、ダウドの手が触れた。
 顔を上げ、涙を拭い、ダウドの顔を見ると、彼も静かに涙を流していた。笑っているのか、悲しんでいるのか、複雑な表情をして、ジャミルを見据えている。


「ジャミル、どうしてこんな事したの」
 やはり、その問いに辿り着くのか。胸が痛むように脈打った。
「おいら、こんな世界、2度も生きたくないよ」
 ダウドは顔をしかめて言い放つ。
「………………………」
「不公平で、みんな勝手で、嘘吐きで……痛いし、苦しいし、何でこんな思いしなきゃいけないの」
「…………でも、それでも……」
 肩を掴むと、ダウドの体が僅かに揺れる。
「俺は、お前に、お前という存在が、ここに……ここにいて欲しくて……。不満ばっかり言うんじゃねーよ、それでも俺とお前が出会った世界じゃないか!」
 崩れるように彼の胸に顔を埋めた。
「悪かったよ!ごめんなさい!でもな、俺は…ただ、俺は…」
「ジャミル」
「悪いって言ってるだろ」
「違うよ、おいらはジャミルに謝って欲しいんじゃない。ジャミルがおいらの知らない内に、勝手にあれこれするの、もう怒る気にもならないよ。ねえ、言って。言ってくれたら、受け止められる。受け止められるから」
「………………………」
 体を離し、ダウドと向き合う。


「ダウド…………」
「ジャミル」
 ダウドは泣き笑いで、ジャミルの言葉を待つ。
「お前に…………」


「お前に選択権は無い!」


「うん!」
 短く頷いて、ジャミルに抱き着いた。
 2人は目を閉じる。互いの体温を感じ、再び出会えたこの喜びを、心に焼き付けていた。
「言い忘れた。おかえり」
「ああ、ただいま」
 笑みが零れる。今、抱きとめているものは、幸せで出来ているのだと、感じた。






「いやぁ、暑いですねアルベルトさん」
「ですねー」
 遠くから2人を見守っているラファエルとアルベルトは、手を団扇代わりに扇ぐ。彼らの顔も笑顔に溢れていた。











「ジャミル」
 呼ばれて振り返ると、そこにはダウドの顔があった。
 今夜は自宅に泊まる事にして、連れのアルベルトとラファエルは宿に泊まっている。
「何見ているの?」
 ダウドの手が、裸の肩に乗せられた。じんわりとした体温が伝う。
 ジャミルは木の椅子を反対に座り、窓を開けて星を眺めていた。夜風が髪を撫でるように、柔らかくなびかせる。
「星」
「違う、もっと遠くを見ている」
 目を細め、ジャミルの裸の背中に、裸の胸を付けた。
「何を見ているの?」
 もう一度問い、頬を寄せる。
「ダウドには、見えているんじゃないか?」
「うん?」
 ダウドも空を見上げ、星を眺めた。


「ジャミルはサルーインを倒すんでしょう?」
「あくまで、予定だ」
「おいらには、ジャミルはその先を見ているような気がする」
「お前が言うんなら、そうなんだろうよ」
 触れているダウドの手の上に、自分の手を重ねる。
 ジャミルの耳元に口を寄せ、ダウドは囁いた。
「おいらはずっと、ジャミルが遠くの方を見ているのが辛かった。でも、違ったみたい。ジャミルの瞳を見ていられる場所、そこがおいらの居場所みたい」
「お前がいてくれるから、俺は遠くへ行けるのかもしれない」
「必要なら、そう言ってくれれば良いのに」
「わかってねぇな。そりゃ野暮って奴だ」
「ジャミル、照れ屋だもんね」
「すぐ調子に乗んのな」
「それはどっち」
 甘い囁きは、次第に痴話喧嘩へと変容していく。


 椅子が倒れ、ダウドの視界が反転する。
 瞳に映るのは、月明かりの光を背に受けたジャミルの姿であった。
「まだ、話が途中だ」
 ダウドは近付いてくるジャミルの胸を押し戻そうとする。
「話なら、散々したろう。やめだ、やめ」
 唇が、頬の上を掠る。
「これも、したと思うんだけど」
「こっちは足りない」
 ジャミルはダウドの手を包み、体の重心をかけていく。


「もっと、わかり合う必要がある」
 長い前髪がダウドの顔に触れ、間を覗く瞳が捕らえる。
「凄いやらしい顔してるよ」
 企むように、口元が嬌笑を作り、ダウドの足はジャミルの足を伝って昇っていき、腰を離すまいと押し付けた。


「奇遇、おいらも、同じ事を思ってた」
 唇を寄せ、甘く囁く。何言葉かが、下唇を掠る。


「ねえ、ジャミルが見ている物、おいらも見てみたい」
「遅れを取るなよ」
「任せてよ、相棒」
 2人の唇が吸い付き、溶けていく。


 闇の中に浮かび上がる白い体は、儚げだが存在を示し、息衝いていた。
 甘い中にある痛み、心地よさの中にある悲しみ、それは夢でも幻でもなく、今を生きているという証であった。


 吐息を寄せて、ダウドは唇のみを動かす。


 ありがとう。










2人はやっぱり一緒が良い。
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