返事
-前編-
風を感じて、ダウドは目を覚ます。
ジャミル一行はクリスタルシティの宿に泊まっており、まだ真っ暗であった。おそらく深夜だろう。
窓が僅かに開いている。そこから風が入り込んでいるようだ。人影が見え、目を凝らすとそれは連れのアルベルトであった。彼は同じ方向をじっと見つめている。あの先に何があったのかを考え、思い浮かぶのはニーサ神殿。夕方、あの神殿でアルベルトの両親に祈りを捧げた。
夜目には自信はあるが、アルベルトがどのような表情でいるのかは、わからない。何を想い、神殿を見つめるのか。そっとしておいた方が良いだろうし、眠気も襲ってくるので、ダウドは目を閉じた。
朝になり支度を整えて、宿を後にする。向かうはアルツール。ニューロードを通るので、安全な旅路であった。罪人が並べた石の上を、罪人だった者が通る。
ダウドが歩くその後ろには、ジャミルとアルベルトが雑談をしながら付いて来ている。魔物もめったに現れないので、呑気なものだ。途中、偶然通りかかった馬車に乗せてもらい、昼過ぎに到着する事が出来た。予定より、ずっと早い。
「さて、どうする?」
腕を組んで、ジャミルがダウドとアルベルトを見た。アルベルトは小さく手を挙げる。
「品揃えの良い武具店があるので、そこで良い剣を見つけたいのですが」
「そっか。じゃあここで待ち合わせにして、別行動にしよう」
「わかった」
「はい」
ジャミルの意見に、ダウドとアルベルトは賛同して、頷く。
「では、私は」
一足先に、アルベルトは武具店へ向かい、彼らの元を離れた。
「ジャミル」
場所を離れようとするジャミルを、ダウドは呼び止める。
「なんだよ」
「…………………」
ダウドは答えず、頼りない瞳でジャミルを見つめ続けた。
「だから何なんだ」
「ジャミルはアルベルトの事、嫌いでしょう」
あー、それか。ジャミルは額に手を当てた。
仲が良さそうに見えても、長年相棒として組んでいるダウドにはわかる。顔は笑っていても、その目は信用出来るか出来まいか、見定めているようであった。人を見た目で判断をしない、まず警戒をする事。それは南エスタミルで学んだ処世術だ。人は1人では生きていけない。誰かを信じなければならない。信じたいからこそ、疑う。騙されてからでは遅い、命にかかわる事もある。
「アルベルトは、信じられると思うけど」
「あいつは正直者だしな。でも、その馬鹿がつきそうな正直さに、俺達が巻き込まれないかが心配だ」
「損得勘定?」
「否定はしない」
「おいらもジャミルの足手まといになってばかりだし…」
ダウドは気まずそうに、胸の所で両手をあわせ、指をくるくると回す。
「お前のミスは俺がフォロー出来る。だがアルベルトのはまだわからない。様子を見る」
「うん………」
「大丈夫だ。俺に任せておけ」
俯きそうになるダウドの顔を、ジャミルがそっと上げさせた。
その夜、酒場のカウンターでダウドとアルベルトは杯を交わしていた。といっても、2人のグラスにはアルコールは入ってはいないが。ジャミルは何か良い道具はないかと、夜の街へ出かけていた。一人の方が都合が良いらしく、同行を断られた。しかし先に眠るのも何なので、こうして酒場で時間を明かしている。
ごとっ。ダウドとアルベルトの間に、フルーツの盛られた皿が置かれた。エスタミルとアルツールはそう距離は遠くないが、見知らぬ果実がたくさんある。見た事の無い果実をダウドは興味津々で手に取るが、いざ食べようとしてもどう食べたら良いのかがわからない。
「どうしました?」
アルベルトがダウドの様子に気付いて聞いてくる。
「どうやって食べるんだろう」
「ああ」
人の良さそうな笑みを浮かべ、手を差し出す。ダウドが手の上に果実を乗せてやると、アルベルトは説明を始めた。
「良いですか?まずここに指を入れまして、皮を割るんです。この中が食べられるんですが、真ん中に種がたくさん付いているので、気を付けて下さい」
「わかった」
果実を受け取って、口に入れると甘酸っぱい味が広がる。ダウドの好みの味であった。
「美味しい!」
「でしょう?アルツールでしか獲れない実なんですよ。母上が好物で、私も良く食べたものです」
懐かしむアルベルトの声に、悲しいものを感じ、ダウドは昨夜の事を思い出す。
「アルベルト……これからどうするの?」
「え…………はい………」
グラスを傾けて口に付け、喉を潤してから答える。
「姉を捜そうと思います」
家を失い、両親をも失ったアルベルトに残されたものは、行方知れずの姉だけであった。手がかりは全く無く、当てのない旅が待っているだろう。いつ何時も気高く、誇りを失うまいと亡き両親に誓いを立てた。しかし、そう思っていても、心がけても、どうしようもない時がある。揺らぐ時がある。その心の弱さが、話題を変えようとしてしまう。
「そういえばダウドさん、ご両親は?」
「いないよ」
ダウドは即答した。
「もも、も、申し訳ございません……」
グラスを包むように持つ両手が震え、カタカタと鳴った。
「そんなに気にしなくても良いよ」
手をパタパタと横に振り、笑ってみせる。
「顔も覚えてないし。売られたのかも捨てられてないのかも、忘れちゃった。最初から無いものだと思ってる」
「すす、す、すすす、すみません……」
「だから、気にしなくても良いって」
縮こまるアルベルトの背を叩く。
「可哀想とか、同情はしないで。おいらもジャミルも、ちゃんと生きてきたし、それなりに楽しいんだ。不幸だって思って欲しくない」
「…………………」
「アルベルトの気持ち、わかってやれなくてごめんね。愛してくれた人を失ったんだもの。凄く辛いと思うんだけど、おいら達は想像するしか出来ないんだ」
「…………………」
俯くアルベルトの顔を、ジャミルがしてくれたように上げさせてやる。
「ダウドさん」
鼻を啜るアルベルトの目尻には涙が浮かぶ。夜には人の心を脆くさせる何かが秘めていた。
酒場の戸に付いているベルが、微かに音を立てる。隙間から、買い物を終えたジャミルが中の様子を覗き見た。カウンターの席にダウドとアルベルトの背が並んでいる。まだ起きていたのかと苦笑が漏れた。悪戯心が囁いて、すぐには入らず、何を話しているのか耳を澄ます。
「私………本当はどうしたら良いのか………わからなくて…………不安で、不安で………」
アルベルトの頬を大粒の涙が次々と伝っていく。潤んで揺れる大きな瞳は、居場所を失い、凍えて震えているようであった。クリスタルパレスでナイトハルトに泣き付いたが、それでも拭いきれなかった涙が、ここで一気に流れ落ちる。
「アルベルト…」
ダウドは慰めるように、アルベルトの背中をさすった。
「あなたがたと離れたら、私は……」
「離れないよ」
言葉を遮り、ダウドは言う。
「…………あ…?」
ジャミルは手に持った荷物を危うく落としそうだった。今発した声が、自分のものではないように聞こえた。ダウドは今、何を言った。離れないと言ったのか。
「なんだそれ」
呟きは掠れていた。喉の奥で絡まる感じがする。
エスタミルへ残りたいとごねたダウドを強引に引っ張ってきてしまい、内心悪い気持ちがしていた。このまま連れたままで良いのかと、葛藤が渦巻いていた。ダウドの返事は聞いていない。改めて問うのも気が引けるものがある。
ダウドは言った。離れないと。こともあろうか、その相手はジャミルではなく、最近仲間に入ったアルベルトであった。
胸に震えるのは怒りか、悲しみか、それとも嫉妬か。あらゆるものが渦巻いていた。体の熱も冷えたり上がったりと、忙しない。ダウドの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。荷物を持ち直して抱き抱え、顔を見せずに宿へ帰った。
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ダウドたんはガクッと項垂れるだけで、返事はしていないので。
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