返事
-後編-



「おはようございます!」
 アルベルトの良く通る声が、起きたばかりの頭に響いた。
「おはよう」
 ダウドはふわりと微笑んだ。
「おはよう」
 ジャミルにも笑顔を向ける。彼はぎこちない笑みで返した。


 昨夜の事は夢だったのかと感じるほどに、目覚めると何ら変わりない朝が待っていた。だがしかし、当然夢などではなく、ダウドに付けられた頬の傷を指の腹でなぞる。今日はヨービルへ向かい、船に乗る予定であった。ニューロードから逸れるので、魔物の出現の警戒を強めなければならない。
 宿を出て、街道を歩き出すと、ジャミルの横にアルベルトが並んできて、話しかけてくる。
「ジャミルさん」
「どうした」
「宜しくお願いしますね」
「何が」
「いえ、ちょっと」
 チラリと横目でダウドを見て、アルベルトは口元を綻ばせた。ダウドは前の方を歩いている。
「そうだジャミルさん」
 手を合わせるアルベルトの顔は、晴れ晴れとしていて、つい憎らしく感じてしまう。狭いと、ジャミルは自嘲した。
「ジャミルさんとダウドさんは、お付き合い長いんですか?」
 素朴な疑問だが、今日の今ほど都合の悪いものは無い。やはりそれも、アルベルトの方に非は無く、ジャミルは答えた。
「ああ、長いよ」
 笑みを作るが、苦いものになってしまう。
「つうかあの仲みたいで、私羨ましくなってしまいます」
 アルベルトの言うように、ダウドとはつうかあの仲“みたい”であったと感じる。通じているようで通じていない。慣れと思い込み。ダウドがエスタミルに残りたい気持ちも、ジャミルがたった一つの言葉に不安を抱えていた気持ちも、互いに気付かなかった。たとえ今回の事が無くとも、溝を作っていただろう。
「大事にして下さいね」
 微笑んだままでアルベルトは付け足す。彼にもイスマスに親しい仲の人間がいたのかもしれない。
「わかってるよ」
 前髪をいじる振りをして、ジャミルは視線を逸らした。
 アルベルトは今まで出会った事の無い人間であった。どんな人物なのかは、まだつかみきれていない。彼は真っ直ぐで正直者だった。それでも心を許しきれないのは、単なる未知なるモノへの恐怖かもしれない。ジャミルの臆病な心も、ダウドは知らない。知らないのは当然かもしれない。いつも、見栄と意地を張っていたのだから。
 騙し騙される、疑いだらけの世界で、ダウドだけには信じて欲しかった。外の世界へ出ても変わらない。変わりたくないから、無理を通して連れ出した。




 ヨービルへ到着すると、空は朱から紫へ色を変えようとしていた。休む間もなく、一行は船に乗り込んだ。船室は暑苦しく、ジャミルは甲板へ上がる。辺りを見回すと、ダウドの背が見えた。姿が見えないので、ここにいると思った。彼は両手で手すりをつかんで、海を眺めていた。
「よお」
 出来るだけ明るい声で、ジャミルはダウドの隣に並ぶ。
「ジャミル」
 ダウドは横目で見た後、すぐに視線を海へ戻した。
「…ダウド」
 手すりをつかむダウドの手の上に、触れようとするが触れられなかった。
「ちょっと場所、移ろうか」
 ダウドは手すりから離れ、歩き出す。その後ろをジャミルは付いていった。
 人気の無い裏側まで来ると、足を止める。
「ダウド」
 ジャミルは回り込み、ダウドの前に来るが、視線を逸らされた。
「ダウド」
 前に出て、ダウドの手をとらえると彼は後退り、体がぶつかる程まで寄ると、手すりに腰を付けて上半身が反る。ジャミルは頬を摺り寄せ、肩口に顔を埋めた。
「……やだよ」
 ダウドの呟きが、耳の横で聞こえた。
「じゃあ、エスタミルに帰るか?」
 抑え切れなかった一言を零す。
「何それ」
「ダウドお前、どうなんだよ……こうして俺に付いて来て、良いのかよ」
「ジャミル。一体どうしたんだい。ジャミルが何を言いたいのか、何が知りたいのか、ちっともわからないよ」
 ダウドの手が、ジャミルの背に触れる。
「わからないのは俺の方だ。エスタミルから出るの、嫌がってたじゃねえか。本当に嫌だったら、俺に従う必要なんてないんだぞ」
「いきなりどうしたの」
「いきなりじゃない」
 素早く返した。
「お前………なんにも言わねえじゃねえか」
「ジャミル、おいら昨日酒場でアルベルトに話したんだ」
 アルベルトの名に、ジャミルは顔を上げた。
「それなりに楽しいって」
「…………………」
「だから、嫌じゃないよ」
「…………………」
 きょとんとした顔で、瞬きをする。


「ジャミル、ひょっとして気にしてたの?」
 こくっ。ジャミルは正直に頷く。
「ふっ………あはは………はは……あはははは」
 噴き出して、ダウドは声を上げて笑った。ジャミルの頬がみるみる赤く染まっていく。ダウドの腰に手を回し、締め付ける。
「笑うな」
「だって……。ジャミルって、結構……」
「なんだよ」
「怒るから言わない」
 笑いを堪えて、呼吸を整えた。


「昨日は、それが原因?」
 ふと真顔になって問う。
「それは……」
「何で?」
「…いや………」
 まさか会話を盗み聞きしたなどとは言えない。
「だとしても、あんなの絶対おいらごめんだ。あー腹立ってきた。ぶん殴って良い?」
 拳を握り、顔の所まで持っていく。
 今のジャミルには恐怖は感じない。いつもの大好きなジャミルだった。
「だから悪かったって!」
 ダウドから素早く離れ、どうどうと落ち着かせようとする。
「今謝ったでしょ!」
「そうだったか?」
「そうだよ!」
 ますます怒りが込み上げた。


「あ。お2人とも、ここでしたかー」
 幸か不幸か、船室にいたアルベルトが甲板へ上がってきて、ジャミルとダウドを発見する。
「アルベルト、良い所へ来た!」
 ジャミルはアルベルトの背中へ回り、取り押さえて盾にした。
「え?え?」
 状況のつかめないアルベルトは、オロオロと首を左右させる。
 鈍い音、そして誰ともわからない悲鳴。ひっくり返った視界に、瞬く星が見えた。










いちおう、平和的に終わらせてみたのですが、ががが。
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