甘くて、とろける。
ほどほど
海鳥が鳴き、朝を知らせる南エスタミルの夜明け。
海の近くあるジャミルとダウドの住処では――――
波の音でも鳥の声でもない音が、窓からした。
コン、コン、と硬い音だ。
「ん?」
すぐ傍で眠っていたジャミルは目を覚ます。職業柄、音には敏感である。
「なんだ」
身体を起こして見てみると、ファラが手を振っていた。
「おはよう」
にこにこと爽やかなファラに対し、家の中のジャミルは寝癖が立っているうえに半分夢の中にいる酷い顔。気にもせずにファラは“窓を開けて”という合図を送る。言われるままに窓を開けるジャミル。
「なんだよ……こちとら寝たばかりなんだ……」
あふ……。欠伸をかみ殺す。
「ねえ、今日の夕方ウチにおいでよ」
「夕方?」
「良い物が手に入ったの。ジャミルとダウドにもご馳走するよ」
「良い物?一体なんだよ」
「内緒。じゃあね」
ゴッ。ファラが窓を閉め、ジャミルの鼻の頭にぶつかった。
「っつ〜」
鼻を手で押さえるジャミルに、起きたらしいダウドが声をかけてくる。
「ファラが来ていたの?」
「ああ。夕方に来いってさ。ご馳走してくれるそうだ」
「夕方ね……夕方」
声が小さくなっていく。ベッドに戻って再び眠りだしたのだろう。
「俺も寝るか」
ジャミルも眠る事にした。
日が傾いてくる頃。ジャミルとダウドはファラの家へ向かう。
「ご馳走ってなんだろね」
「ま、ファラの事だから期待はせずにしよう」
「聞こえているんだけど」
ははは……ふふふ……。丁度入り口から出てきたファラと二人の間に乾いた笑みが零れる。
「とにかく入って。絶品の味にひれ伏すが良いわ」
ドアを大きく開け、二人を招き入れた。
中に入ると、異なる空気をすぐに察した。いや、空気というより香りだ。
室内は甘い香りが充満していた。
「この匂いは……」
「……チョコレート?」
辺りを見回すジャミルとダウドに、ファラの母が答える。
「そうだよ」
棚からケーキを取り出し、テーブルの上に載せた。ケーキにはチョコレートがたっぷりとかけられている。
「チョコレートが手に入ったんでね。外も中身もチョコだらけさ」
「あたいが作ったんだよ」
ふふん、と胸を張るファラ。
「ファラ、凄いね」
「お前、菓子作れたのか」
褒める二人だが、ジャミルの言葉には引っ掛かりを覚える。
「もう、どうしてジャミルは一言多いんだよ」
「ものってのは多いに越した事はないんだよ」
口の減らない男だ。
「さ、二人とも座って。見た目だけじゃなくて、味も美味しいんだから」
「はーい」
声を揃える。
ジャミル、ダウド、ファラが席に着き、ファラの母が包丁で切り分けようとした時――――
「あ、俺は小さめで良いから」
軽く手を上げ、意見するジャミル。
「ジャミルは甘いの苦手かい」
「んー……嫌いじゃないが程ほどが良いの」
「わかったよ」
ファラの母はジャミルの要望を踏まえて綺麗に切り分ける。
「召し上がれ」
席に着いて勧めた。
「いただきまーす」
「いただきます」
ファラとダウドが手を合わせ、ケーキにフォークを入れた。
表面は硬く、中身は柔らかい。口の中に入れれば、チョコレートの味がいっぱいに広がる。
二人から遅れて、ファラの母とジャミルも食べだす。
「美味いよ、ファラ」
「さすがあたい」
「よく出来たね、ファラ」
「おお。良いんじゃねえか」
評判は上々だ。料理はいくら手間をかけても、食べるのは一瞬。ケーキはすぐに腹の中へおさまった。
「ごちそうさま。ファラ、とても美味しかったよ」
「ありがとダウド。また作ったら呼ぶね」
「美味かった、ごちそうさん。こりゃ今夜の仕事もはかどるってもんさ」
ジャミルは拳に手を当ててやる気を見せる。
ファラ親子に礼を言い、家を出るジャミルとダウド。入った頃より夕闇は濃くなっていた。もうすぐ盗賊の時間、夜が始まる。
一旦、住処に戻ろうとすれば、歩きながらダウドが聞いてきた。
「ねえジャミル。ケーキを小さくしてもらって後悔しているんじゃない」
「ん?そうだなあ」
素直に認める。だが、ジャミルは続けた。
「けどな、名残惜しいくらいが良いのさ」
「どうして」
「欲しがった分だけおさめたら、もっと欲しくなる。ちょっと前で止めておくんだ」
「人間は貪欲だものね」
手を前に出し、ダウドは伸びをする。
「そうさ。甘い汁を吸う奴の横からストローを突っ込むのが俺たち盗賊。全部を飲み干しちゃいけない。奴らにはまた稼いでもらうんだからな」
「じゃあ、おいらたちはちっとも満腹にならないね」
「繰り返せば満たされるさ。どっちにしろ、飢えている方が力は出るさ」
手を開閉させる様を、ダウドに見せるジャミル。
伸ばされた爪は、獲物を今か今かと狙う牙のように蠢いていた。
ダウドは思う。満たされない魂は確かに力を生む。しかし――――
「なんだか悲しい生き物だね、盗賊って」
「悲しい方が幸せはひとしおだ」
「元から幸せな人は、もっと幸せが欲しいのかな」
「ほどほどが良いのさ」
会話を交わす内に、住処が見えてきた。
住民が留守にしている住処はひっそりとしている。道具だけを取って、また留守にする。
手の中でダウドはナイフの柄を何度も持ち直していた。
頭の中にはチョコレートケーキの味を反芻させていた。幸せな時はすぐに思い出に変わってしまう。
一瞬の幸せと、常に存在する不幸せ。落差が激しければ激しいほど、苦味に変わる。
ジャミルの言う通り、ほどほどが良いのだろう。
けれども、やはり、幸せがもっと欲しい。満たされたい。
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