スクールライフ



 クジャラートに建つ、南エスタミル高等学校。
 今年入ったばかりの一年生――――ダウドは理科室で授業を受けていた。席は窓際で、壁に付けられた時計と外を交互に眺める。青空に浮かび、校庭を照らす太陽は真上へ昇っており、やがて響き渡ったチャイムの音。授業は終わり、昼休憩が始まった。
 生徒たちは立ち上がり、教材を抱えて教室を出て行く。ダウドは席を立つだけで、出ようとはしない。
 彼は係で、後片付けを任されているのだ。友人には“先に戻っていて”と告げ、彼だけを残して教室には誰もいなくなった。
「さて」
 まずは手近にあった試験管を指に挟み、しまおうとする。


「ん?」
 何かドアの揺れる音がして、ダウドはハッと顔を上げた。誰もいないはずなのに、忘れ物でもしたのだろうか。入り口の方を向くと、ドアを掴んでいる手が見えた。男の手で、爪は長くマニキュアが塗られている。このような手を持つ人間は大きな学校と言えども、当て嵌まるのは数名ほどだろう。その上、ダウドが知るのはたった一人。驚きに一瞬、目を丸くさせると、名を呼んだ。
「ジャミルかい?」
 伺うような小さな声。首を傾げて横に動き、姿を見ようとした。
「正解」
 そう言って、ドアを掴んだ手を離し、姿を現す。
 長い前髪を分けて、顔の半分を隠した青年――――ジャミル。彼の耳は妖精のように長く、これはクジャラートの血を濃く受け継いだ証であった。
「どうしたの、一体」
 歩み寄るジャミルに、ダウドは問う。
 ジャミルとは小学校の頃からの幼馴染であり同級生だが、クラスは別々だった。
「廊下にいたお前のクラスに聞いたんだ。ここにいるって」
 適当な台の上に座り、足をぶらつかせる。
「高校に入ってから、ゆっくり話す機会も無くなっちまったからなぁ」
 窓の外の景色を瞳に映し、懐かしむように呟く。
「そういえば、そうだね」
 片付けを終え、ダウドも景色を眺めて相槌を打った。
 外からは昼休憩だというのに、運動をする生徒の声が聞こえる。


「ダウドは走りが遅かったよな」
「ジャミルが早いだけでしょ」
 床に足を付け、ジャミルはダウドの隣に並んだ。視線は窓に向いたまま、何かを含むように目が細められる。
「お前、運動部に入ったらしいな」
 きょろりと瞳が動き、ダウドを見据えた。
「…………うん」
 ジャミルには話しておらず、内心驚き、間を空けて頷くダウド。
「どうしてまた。文化系に行くと思っていた」
「おいらは……運動音痴だから……文化系がお似合いなんだろうけど、高校に入ったら変わりたい……って思ったんだ」
 しどろもどろに、本心を言う。
「俺の事も忘れて?」
「違うよ。ジャミルは、笑うだろうから」
「……………………」
 ジャミルは一度、瞬きをしてダウドの前に向き直った。昼の太陽が彼の背を照らし、逆光となる。
「ご立派な目標だぜ。だけどな」
 一歩前に出ると、ダウドは恐れて一歩下がった。
 同い年だが、二人は兄弟のようだと囁かれていた。ジャミルが兄で、ダウドが弟。ジャミルは才能に溢れ、常に率先してダウドを引っ張っていたからだ。ダウドは付いていくだけで精一杯であり、劣等感に悩まされていた。
 頭も、力も、口喧嘩でさえもジャミルには敵わず、彼から感じる不機嫌さにダウドは恐怖する。


 もう一歩下がると台の角が当たり、下がるままにダウドは台の上に腰を付けた。冷たい感触に身が竦む。
「コソコソするんじゃねえよ」
 鋭い瞳がダウドを射抜く。
「ふん」
 ダウドの怯えた瞳に、ジャミルは鼻を鳴らす。
 不意にジャミルが膝を付き、ダウドは"えっ"と声を上げた。
「昔は素直だったのにねえ」
 ダウドの足の間に入り込み、頭を太股に寄せて預ける。目はとろんと虚ろであった。
「寂しくなっちまうよ、ダウド」
 上がった手がダウドの下腹部を布越しに触れた。
 俯いてジャミルの頭を見つめたまま、ダウドは息を呑む。
 虚ろな目のまま、チャックの金具を掴んだ。


 静かな理科室に、金具の下げられる音が鳴った。微かな音ではあるが、静寂か、それとも緊張のせいか、ダウドの耳にはっきりと届く。
 やめて、とも言えず、動き出す事も出来ない。長い間育んできた二人の時間が、劣等感が、ダウドを縛り付けていた。新しい一歩はまだ踏み出せただけで、まだ何も始まってはいないのだと思い知らされる。
「……………………」
 ごくりと、生唾を飲んだ。
 何も出来ぬまま、下着から自身を取り出されてジャミルの指に捉えられている。
 昼の日差しが指を真っ白に染め上げ、影をくっきりと際立たせた。長く、細く、マニキュアはきらきらと煌く。神経が集中されて、僅かに開けられた窓から流れ込む風が揺らすカーテンの音までも捉え出す。
 光と、白と、黒とが相成す幻想的な空間だと、ダウドはぼんやりと思う。これから行われであろう事も、学び舎では有り得ない禁忌。
「は」
 ジャミルが口を開けて、息が自身にかかる。
「ん」
 足の間に頭を割り込ませ、良くは見えないが、熱で咥えられたのだとわかる。
 埋めたまま、頭が動いて、唾液の絡まる音がした。ジャミルの髪も太陽できらきらとしていた。綺麗だとか、触れたいとかは、わからない。ただ当たり前のものであった。
 いつからだろう、隠すべき場所を彼に見せるようになったのは。これは友達じゃあないだろう。どうすれば普通でいられたのだろうか。今だったらわかる気がするが、時は戻せない。
 やめて、とも言えず、動き出す事も出来ない。ダウドはジャミルの行為を受けるしかなかった。
「…………う……」
 快感が走って、ぶるりと震える。気持ちいいと感じた事。ジャミルには当然知られるだろう。
 熱くって、気持ちよくって、いやらしい。肌にジャミルの髪が触れてくすぐったい。息を吸うと理科室特有の匂いがする。頬を上気させ、ダウドは窓の外を眺めていた。マジックミラーのように、下の校庭にいる生徒には禁忌の行為は見えないのだろう。身体の下の方では卑猥な水音が鳴っている。
 心地よさが身体を浸して、脳をも浸して、全身を包み込んだ。心地よさは駆け抜け、速さを増して突っ切って、限界が訪れる。
「離れて」
 呟くが、動く気配は無い。
「あ」
 吐息と共にダウドは欲望を吐き出す。恐らくジャミルの口内に注ぎ込んでしまった。
 ぱた、ぱた、と彼の顎を伝ったであろう欲望が床に落ちる。


 頭を離し、立ち上がり、上を見上げるジャミル。彼の行動を目で追ったダウドの瞳は、彼の喉が動くのをしっかりと映していた。ジャミルは無言で、台に取り付けられている水道の蛇口を捻り、うがいを始める。何度か水を含んで吐き出した後、何事も無かったかのように口元を拭いながら、ダウドの方を向く。
 ダウドも見つめ返すが、その下では汚れた自身を持っていたティッシュで拭い、仕舞い込んでいた。
「ダウド」
「……………………」
「俺も入ったから」
「え?」
「じゃあ、行くわ」
 ひらひらと手を振り、ジャミルは手をズボンのポケットに突っ込んで理科室を出て行った。
 しかし出たすぐ横のドアでは、上級生が腕を組んで寄りかかり、ジャミルが通り過ぎると顔を上げて睨みつける。
「おい」
 呼びかけに、ジャミルは背を向けたまま足を止めた。
「ぺちゃくちゃうるさいぞ」
「ここまで聞こえるもんかな。耳ざといねぇ。……ああ」
 何かを思い出したかのような、わざとらしい声を上げる。
「いけない。新入部員の分際で失礼しました。頑張りますんで、ご教授宜しくお願いしますよ。ダーク先輩」
 喉で低く笑い、ジャミルは廊下を歩き出した。
 上級生の名はダーク。ダウドに部活の案内を勧めたのは彼であり、先日ジャミルも部の一員として加わって来た。ダウドを誘ったのは、奥底に眠る原石の光を見たからだ。ジャミルは見るからに輝きを持っているように思えたが、入部する際にダウドの事を聞いてきて執着に異様なものを感じた。
 ――――面白い事になりそうだ。ダークの口元は期待を含んで弧を描く。
 ドアから背を浮かして組んだ腕も解くと、ダウドのいる理科室へと入って行った。










何部かはご想像にお任せします。
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