恐れ



「母ちゃん、本当に大丈夫かい?」
 ファラは涙目で、母親を気遣う。その後ろで、ジャミルとダウドは顔を見合わせ、親子に聞こえないよう、小声で言葉を交わしていた。ダークは離れた所で、壁に寄りかかり腕を組む。


 久しぶりの里帰りだというのに、今日は色々な事が起きた。
 盗賊ギルドから、アサシンギルドの復活を知らされて宿へ戻れば、アサシンに襲われる。そしてファラに会いに行けば、母親がアサシンギルドに操られて、またもや襲われる。
 アサシンギルド……名前だけなら聞いた事はあり、情報も盗賊ギルドから得た。しかし、それでも未知の部分が多く、混沌としていた。サルーインが復活するという噂、少しずつ狂っていく世界。そしてそれはエスタミルまでも及ぼすとは。
 ジャミルの喉が、唾液を飲み込んで音を立てる。世界各地で起こっている事件、少なからず他人事と見ていたのかもしれない。今、自分の身に降りかかって、初めて恐怖を実感した気がした。


 ジャミル、ダウド、ダークの3人は、一旦ファラの家を出て話し合う。空は夕闇に染まって、もうすぐ夜が訪れそうだった。
「俺、今日はファラの家に泊まるよ」
 ジャミルは帽子をいじりながら、しきりにファラの家の戸を見る。
「また、アサシンが襲い掛かってくるかもしれないし。エスタミルにいる間は、ファラとお袋さんを守ってやりたい」
「そうだね、それが良いよ」
「お前達はどうする?」
「おいらは……宿にいようかな」
 ダウドは俯き、呟くように言う。
「宿?危ないんじゃねぇか?」
「北エスタミルの方に泊まる。ダークは?」
「俺も北の方へ行く」
「決まりだな。明日の朝、俺が宿の方へ行くよ」
「うん」
 一行は解散し、ダウドはダークを連れて北エスタミルへ向かった。到着する頃にはすっかり日は暮れていて、宿の中へ入り、チェックインを済ます。


「ダーク、同室で良いかな?」
「かまわん」
 くぐもった声で頷く。
 部屋に入ると、ダウドは倒れ込むようにベッドへ寝転んだ。
「どっと疲れたよ」
 シーツに顔を伏せたまま、呻くように言う。
「そうだな」
 荷物を置いて、ダークもベッドに腰掛けた。
 ダウドは顔を横に向け、ダークの方を見る。表情は浮かない。


「ここは安全かな」
「ん?」
「アサシンに襲われないかな」
 体を引き摺るように起き上がり、髪の乱れも直さずに項垂れた。
「びっくりしたよ。いきなり“死ね”だなんて襲い掛かってきて。顔は仮面で見えなかったけれど、若そうな、子供みたいな声だった。なんでそんな子が、アサシンだなんて…」
 独り言のように呟くダウド。ダークは何も言わず、神妙な面持ちで耳を傾けていた。
「ファラのお袋さんだって……おいらはファラと一緒に震えているしかなかった。知っている人が豹変するだなんて。エスタミルが、狂っていく……一体、どうしたんだろう…………」
 自分で自分を抱きしめ、うずくまる。
「怖い……怖いよ………。初めてだ……エスタミルに居たくないなんて思ったの。おいら……嫌だ……エスタミル…………怖い………」
 小さく震えだすダウドに、ダークは立ち上がり、歩み寄って隣に座る。
「ダウド」
 手を伸ばすか、伸ばすまいか。胸元で出したり引っ込めたりを繰り返す。ダウドは独り言を続け、うわ言のように、周りが見えていないようだった。
「……あのままエスタミルにいたら……おいらどうなっていたんだろう………。狂わされていた?それとも……」
「ダウド、落ち着け」
「怖いのは嫌だ。痛いのは嫌だ。死ぬのは、もっと嫌だ…!」
「ダウド!」
 ダークの荒げた声に、ダウドは初めて気が付いて目を丸くする。


「ダーク…」
「ジャミルの所へ行った方が良いんじゃないか?」
 震えの治まったダウドの肩に、手を置いた。
「ジャミルは南にいるし………ジャミルは離れないだろうし………ジャミルは皆を守りたがっているし………こっちに来てなんて言えないし………おいらは、行きたくない………」
 髪を振り乱すように首を横に振り、感情が高まって涙声になる。
「そうか、わかった。わかった」
 ダウドを落ち着かせようとなだめ、寄り添う。
「エスタミルに行きたくない……でもエスタミルが無かったら、居場所が無くなる……どこにも、居られなくなる………」
 また震えだし、動悸が激しいのか胸を押さえた。
 ダウドは外の世界を知ろうとはせず、エスタミルの中だけで生きてきた。そのエスタミルに危機が迫った時、どうしようもない恐怖が襲ってきたのだろう。たった1つの居場所で、自分の存在を知ってくれる人達がいる町なのだから。狭い世界なのかもしれない。だが、彼にはそれが全てなのだ。


「おいら……どうしたら良いの……怖い…怖いよ………」
 涙を流し、ダークに抱き着いた。震えが伝わってくる。怯える心が胸を貫いてくる。泣きじゃくるダウドは幼い子供のようだった。
 南エスタミルという治安の悪い町で育ち、気が弱いながらも処世術を持ち合わせ、擦れた部分も感じさせた。だが大人びているようで子供っぽく、逆もまた然り。成長している部分は成長しているが、全く成長していない部分もある。誰もが均等に育っていくのは難しい。ダウドの酷く脆い部分を見たような気がした。


 ダークはあやすように、ダウドの背中を撫で続ける。その温もりと匂いに、目を細め、視線を逸らす。
 アサシンギルド。
 忘れてはならない言葉のような気がした。










ダウドたんの事を知る前から、アサシンギルドは怖かった。
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