倒れたダークに、ダウドは手を差し伸べた。
 だが、ダークは振り払う。
「俺にはもう、お前の手助けは必要ない」
「……そうだったね」
 苦笑いを浮かべて、ダウドは手を引っ込める。
「俺にはもう、お前はいらない」
 ダークは1人で立ち上がり、そう言い捨てて背を向けた。


 記憶が戻れば、世話の必要は無い。
 2人、寄り添う事もない。
 2人、話し合う事もない。
 2人、共にいる事もない。


 理由が無ければ、側にいてはいけないのか。
 仲間でいる理由はある。共闘の敵を倒す事。
 だが、側にいてはならない理由がある。それは彼が大昔にクジャラートを苦しめた、アサシンギルドの現首領だからだ。


 ダウドはエスタミルの人間。ダークはアサシンギルドの人間。
 2人出会った時から、離れる運命だった。
 いつ出会っても、離れる運命だった。
 生れた時から、離れる運命だった。
 決して相成れない存在。それは宿命だった。



宿命



 ジャミル、ダウド、ダークの3人は騎士団領の砦跡を探索していた。
 前に来た時よりも老朽が進み、崩れやすくなっており、サルーインの復活も近付き、徘徊する魔物も凶暴になって、より足を踏み入れ辛い場所となっている。
 最上階まで辿り着いた時だった。何か嫌な音がした、と思った途端、床が抜けてしまう。
「掴まれ!」
 ジャミルが手を伸ばすが、遅かった。ダウドとダークが下の階へ落ちて行く。
 災難はそれだけでは終わらなかった。また床の崩れる感触がする。
「おい!」
 ダークはダウドに手を伸ばす。早くこの場所から離れなければ、さらに下へと落ちてしまうだろう。
「……あっ……でも…………」
 ダウドは自分の胸元を掴んだまま、伸ばそうとしない。先日、差し伸べた手を振り払われ、受け取っても良いのかと、躊躇ってしまう。非常事態なのは十分承知だが、体が付いて行かない。
 ダークは舌打ちをして、ダウドの元へ走った。だが、踏み込んだままの格好で、床は崩れて落ちて行く。落下する最中も手を伸ばすが、数センチ、指先が届かず、空を泳いだ。




「……ううっ……」
 ダークは低く呻いて、身を起こした。地面の固くざらっとした感触に、体の節々に走る痛み。肌に湿気を感じる。薄暗く光を通さない。どうやら、落ちる所まで落ちて、ここは地下一階のようだ。
「……ごめん……」
 ダウドは背を向けて起き上がり、服に付いた汚れを払う。
「早くジャミルと合流するぞ」
「……うん」
 頼りない返事。顔色を伺うような態度。慣れているはずなのに、それがダウドの性格だとわかっているのに、無性にいらつきを覚えた。
「あの物音だ。魔物に気付かれている。用心しろ」
「だ、大丈夫かな…」
 背中の方で聞こえたダウドの呟きに、振り返るダーク。
「お前はまだジャミルがいないと、何も出来ないのか」
「そ、そんな事……」
「その剣は飾りか」
 ダウドの腰に下がる、レフトハンドソードに視線を落とす。神に祝福された剣は、闇の中でも星のきらめきを灯している。気弱だが、ダウドは誰よりもこの剣を使いこなせる達人まで成長していた。


「ふん………行くぞ………」
 マントを翻し、ダークは歩き出す。その後をダウドは付いていった。
 音を立てずに、壁伝いに進んで行く。地図はジャミルが所有しており、どこへ落ちてここがどこなのかもわからない。
「ダーク」
 ダウドは小声でダークに話しかけようとする。
「頭を下げろ。吹っ飛ばされたいか」
「え?」
 ダークは振り返り様に弓を構えて放つ。何かに刺さる音と、悲鳴が聞こえた。
 頭を間一髪で下げたダウドは、ゆっくりと上げる。
「用心しろと言ったはずだ。敵は前にも後ろにも、天井にもいる」
 回すように衝槍に持ち替え、天井を突き刺した。姿を隠していた魔物がぼとりと落ちる。
 死骸を踏み付けて、槍を抜こうとするが、手を離した。
「これはもう使い物にならんな」
 捨てられた槍は、かなり使い込まれていたようで、壊れかけている。
 1つの武器の寿命よりも、長い間このアサシンと戦っていたのか。遠い思い出に、ダウドは顔をしかめた。
「ダーク」
 もう一度、名を呼んだ。
「俺1人で十分だ。お前は足を引っ張らなければ、それで良い」
「……………………」
 ダウドの声に、ダークは応えてはくれない。あたかもいないように。避けられていた。




 しばらく歩くと、地下を脱出する手段を見つけて、2人は一階に上がる。その間に出て来た魔物は、僅かながらダウドも応戦した。
「ダウド」
 ふと名を呼ばれ、足を止めてダークを見た。ダークも止まり、目を合わせずに斜めから、ダウドに問う。
「お前は、人を憎んだ事があるか」
「そ、そりゃあ」
 質問の意図がわからず、戸惑い、どもりそうになりながら答える。
「お前は、殺したいほど人を憎んだ事があるか」
「…………あるよ」
 間を空けるが、正直に答える。
「では、人を殺した事はあるか」
「無いよ」
「なぜだ」
 素早く問いかけてくるダーク。
「いけない事だからだよ」
「では、なぜ盗賊をやっていた」
「っ」
 ギロリと睨まれ、ダウドは一歩下がった。
「い、生きていく為だった、んだよ」
「殺すのも、生きていく為だとしたら」
「それは」
「所詮、底辺の争いだ。事情を知らない人間には、盗みも殺しも同じに見える」
「……………………」
 反論は出来なかった。
「ダーク」
「お喋りが過ぎたな。行くぞ」
「待ってよ!」
 ダウドはダークのマントを掴んだ。


「おいらの話を聞いてよ」
「断る」
「何なのそれ!」
「静かにしろ。もう、俺とは関わり合いにならない方が良い」
「でも」
「お前は俺が憎いだろう。アサシンギルドだからな」
 アサシンギルド。その名に、ファラの母親が洗脳されて襲ってきた光景が、フラッシュバックされる。
「サルーインの次に、お前達を恐怖に陥れるのは、アサシンギルドだろう」
 ダウドの手がびくっと震え、掴んだマントが落ちた。
「いつか対峙する運命か。背中は空けといてやる。掻っ捌くなら今の内だな」
「そんな事、出来る訳ないじゃない…」
「仲間だからか」
 涼しい顔でダークは言う。
「そうだよ」
「殺せば、そんなちっぽけな事は気にならなくなる」
「ちっぽけって…」
「死ねば、全ては終わるんだ」


 死ねば、全て終わる。
 ダークは自分に言い聞かせるように、もう一度心の中で言う。
 仲間や情、思い出も、死んでしまえば全て無くなる。
 いくら後悔をしても、取り戻す事は出来ない。罪も消せはしない。
 それも死ねば終わるのだ。それを信じて、生きてきたのだ。


 手を握って開き、繰り返す。
 いつか対峙する時。仲間を殺す事が出来るだろうか。ジャミルを、ダウドを、殺す事が出来るだろうか。
 ジャミルは苦戦し、返り討ちに遭う危険性も秘めるが、ダウドは簡単に殺せそうだった。
 なのに。指が震え、汗が滲んだ。
 死ねば全て終わるのに。心が躊躇うのだ。引っ掛かり、留めようとするのだ。


「ダークは、間違っている…」
 呟くようにダウドは言う。
「上手く言えないけれど、間違っている。アサシンギルドに固執するなんて、詰まらないよ…」
「俺はギルドの為に生きてきた。もはや正しさなど、意味は成さない」
「本当に、そうなの」
 怯えながら、ダウドは目を合わせてくる。ダークの眉が僅かに動く。
「旅をして、世界を知って、何も思わないの。ちっぽけだって、思わないの」
「何が言いたい」
「おいらも、ダークも、狭い世界で満足して、外へ目を向けずに生きてきた。でも、今はどう。今も、本当にアサシンギルドを復活させたいって思っているの」
「当然だ。お前と一緒にするな」
 表情を変えずに言い放つが、押されるものを感じた。
 決して揺るがないと信じていた。ずっと、それを信じて生きてきた。
 なのに。心のどこかで小波を感じた。何かが揺れる、何かが戸惑う。本当に良いのかと、問いかけるのだ。いくら振り払っても、問いかけてくるのだ。


 ダウドの瞳は、頼りないままだった。
 けれど、それでも強く成長したのは、わかっている。
 褒めてやりたい、優しくしてやりたい。
 おどおどした態度で、調子に乗りやすい。慣れてきて、受け止めて来たはずなのに、いらつくのだ。
 認める自分に、いらつくのだ。それを否定する自分に、いらつくのだ。
 アサシンギルドを復活させる。アイデンティティーであった。
 その頑なに守ってきたものが、一言で、視線だけで、崩れそうになってしまう。
 いつの間に、影響力を与える存在になっていたのか。記憶を失っていた頃は無防備だった。
 無防備に、ダウドの生き方に繋がるものを感じ、優しさに甘えてしまっていた。
 何も知らぬまま、惹きつけられていた。心のままに、惹きつけられていた。
 ダウドがダウドだったから、惹きつけられていた。


 アイデンティティーの壁の奥にある、ダウドへの気持ち。感謝と友愛と、もう一つ。
 酷く純粋で、酷く臆病で、熱く噴き上げるマグマのようなもの。
 かつて自分の中に眠っていた魂が持っていたものに通じるもの。
 正体の名を、思うだけでも避けてしまう。


「ダーク、おいらの話をもっとよく聞いて」
 ダウドの瞳は容赦なく、ダークの瞳を突いて来る。
「付き合ってられん。これ以上は無駄だ」
 ダークは背を向けて、先を歩こうとする。
「無駄じゃない」
「そもそも記憶を失った事自体が、とんだ遠回りだ」
「でも、無駄じゃない」
 ダウドはダークを追い、負けじと言い返す。
「うるさい。黙れ」
「嫌だ。逃げないでよ」
「逃げる?俺が?」
「そうだよ、ダークは逃げてる」
「いい加減にしろ…!」
 ダークは胸がカッと熱くなるのを感じた。


 その熱は、一言で冷める。
「ジャミル!」
 ダウドの顔がパッと明るくなり、飛び上がって手を振った。彼の視線の先を向くと、ジャミルが角を曲がって、こちらにやって来るのが見える。
「お前達、大丈夫だったか」
 まず仲間の心配をするのが、ジャミルらしい。
 合流して、気が緩んで隙が出来たのが祟った。ジャミルとダウドの間に、潜んでいた大型の魔物が舞い降りる。魔物はダウドに狙いを定め、大きな腕を振り下ろしてきた。


 危ない。そう感じた時には体が動いていた。
 瞬きをする次の瞬間に、ジャミルとダウドの瞳に映るのは、魔物と相討ちで愛用の曲刀を突き刺すダークの姿があった。急所を一刺し。アサシンの必殺技である。
 魔物が轟音を立てて倒れると、体を貫いていた部分が抜け、血が溢れ出す。体が傾き、倒れようとするダークを、既での所でダウドが受け止め、尻餅を付いた。
「早く、回復しねえと」
 ジャミルも駆け寄り、膝を突く。
「ダーク…どうして」
 見下ろすダウドの視線を、ダークは逸らした。
「自惚れるな」
「……………………」
 ダウドの眉間にしわが寄る。ダークの傷口へねじるように手を押し当て、回復術を施した。
 避けている彼の態度が気に入らない。いらつくのだ。










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