序章
あの強化合宿から全国大会を経て、彼らは再び集結された。
前回不参加だった生徒や四天宝寺も呼ばれている。
場所はあの時と同じ、榊の所有する豪華客船。今回は合宿ではなく、慰安を目的とした数日間の遊覧をするだけらしいが……。
氷帝学園の部長・跡部は、樺地を連れて榊のいる部屋の扉をノックする。
「跡部です」
「入れ」
「はい」
許可を受け、扉を開いた。
そこは普通の部屋ではなく、モニタールームになっており、画面には船の様子が監視カメラを通して映し出されている。榊は中央の椅子に腰をかけ、選手たちが食事をしている広間を観察していた。
「監督。彼らは見ての通りです」
腕を組み、息を吐く跡部。
豪華な食事を用意され、バイキング形式で自由に話せる空間だというのに、いまいち盛り上がりに欠けるのだ。
それもそのはず。いくら選手の力を養う為だったとはいえ、欺いた事には変わりない。前回参加した選手の中には“また何かあるのではないか”という疑念が湧き、素直に楽しめないのだろう。
「一度落とした信用は、すぐには戻らないという事だな」
ふっ。榊は哀愁染みた笑みを浮かべた。
「監督……」
部屋を見る限り、跡部にはこの遊覧の旅がただの旅で終わるようにはとても思えない。しかし、今回は何も聞かされていない。だから余計に勘繰ってしまう。
「跡部、よく聞け。落とした信用、すぐに戻せぬならば、落ちるまで落としてみるものだ」
「監督。修復不可能、という言葉があります」
「さすがだな、跡部。私はお前のような生徒を育てられて、誇りに思っている。行ってよし」
「はい。行くぞ、樺地」
「ウス」
跡部は部屋を出て、音を立てぬようにゆっくりと扉を閉める。皆のいる広間へ向かいながら、樺地に話しかけた。
「樺地、あれは監督の教えだ。ああいう大人になるなよっていうな」
「ウス」
「時間が掛かっちまったな。ピザ、残っていると良いな」
「ウス」
樺地は跡部の呼びかけに忠実に応えていた。
集められた選手たちは、再び榊の手の中で踊らされるのだろうか。
もし踊るとすれば、どのような舞かさえも、彼らにはわからない。
一方、選手たちが食事をしている広間では、前回不参加であった四天宝寺の話し声が特に目立つ。
「どれも美味そうやなー」
遠山は豪華な食事を前にして、目移りしていた。
「金ちゃん、皿を空にしてから次を盛るんやで」
彼の横で舌鼓を打つ白石は苦言を吐く。
「わかっとるよ」
「返事は“はい”や。やり直し」
「はーい」
大きく口を開けた割には、やる気の無い返事をした。
「白石ぃ、慰安旅行くらい多めに見てやってもええやろ」
隣のテーブルの前に立つ謙也が苦笑を浮かべる。
「こういう時こそ、しっかりせなアカン」
「全く、先生はどっちやろ。オサムちゃんは喫煙の所か」
「ああ、喫煙所たい。探しとって教えたら飛んでいったと」
謙也の向かい側にいた千歳が答えた。
「それにしても、榊さんは太っ腹とね」
千歳はテーブルを見下ろし、穏やかに笑う。
「ミユキまで乗船許可とってくれるとは、有り難い」
千歳兄妹が普段会えない境遇と知った榊は、好意でミユキも船に乗せてくれたのだ。その上、せっかくだからと千歳の友人である橘の妹・杏も船に乗っている。
そのミユキは千歳の隣で、小さい背を伸ばしてテーブルの料理を皿に乗せようとしていた。
「ミユキは奥の料理は取れなかとね。どれ欲しいか言ってみぃ、取ってやるばい」
「お兄ちゃんは嫌いな物をわざと乗せるから嫌たい」
「好き嫌いしとると、綺麗なレディにはなれんよ」
「十分、今でも綺麗っちゃ」
ミユキに言い負かされた千歳は、どうしたものかと困ってしまう。
「おうどれ、俺が取ってやるわ」
「じゃ、これ。これ食べたかー」
謙也が名乗り出ると、嬉々としてミユキは奥の料理を指差す。
「これぐらいでええか?」
「ケンヤ、乗せすぎ」
どっと周りにいた四天宝寺のメンバーは笑った。
だが、笑い終えた後で白石がぽつりと呟く。
「それにしても、ぎょうさん集まっとるのにしけとるなぁ」
「せや。関東勢は身近すぎて、特に話題もないんか?」
「お、コシマエ発見!こっち来いやー!」
遠山が越前を呼び、手を振った。越前はこれ以上大声で呼ばれないように、彼らの元へ歩み寄る。
「お前から行かんのか」
謙也はすかさず突っ込んだ。
「何か用?」
遠山の元へ来た越前が言う。
「用ならぎょうさんある。コシマエと話したいんや」
「ああ、そう」
淡白に返す越前。
「なんやつれないなー。皆もっと楽しゅう行こうや」
「何も知らなければ、楽しめたかもね」
「ん?」
「四天宝寺は前回出なかったから、知らないみたいだけど」
越前が小さくて招きをすると、遠山と四天宝寺メンバー、ミユキが耳を傾け、彼は声を潜めて強化合宿で起こった出来事を語りだした。
「――――と、言うわけ。皆、疑っているんだよ」
「な、なん…………」
遠山はフラフラと後ろへ下がり、拳を作って背を屈める。
「くううーっ!なんでそんなオモロイ事に参加できひんかったんやー!」
悔しさを表に出した。
「ええなー、惜しい事したわ」
「ホンマやで。侑士も言ってくれたらええのにっ」
白石は指を鳴らし、謙也も拳を軽く振るう。
「お兄ちゃんも羨ましかと?」
「もう、ミユキもたい?」
千歳兄妹も頷き合う。
そんな彼らを見回して、越前はいつもの口癖を吐いた。
「まだまだだね」
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