災難



 船の上の生活は各自自由に休日を楽しんでいる。
 この日、四天宝寺は釣りをする事にした。
「かかったでえ!」
 手摺りに乗った遠山が釣竿を力任せに引っ張る。獲物を捕まえた糸はなかなか持ち上がらない。
「金ちゃんガッツや!」
「せや!ガッツや!」
「気張れ!」
 その後ろで白石、小石川、白石の声真似で一氏が応援する。
「2分ばい!」
 千歳が釣り上げる時間を予告する。
「おりゃああ!!」
 ザバーッ!丁度2分後に遠山が反り返り、引き上げられた獲物が宙を舞う。
「銀!」
「わかっとる」
 銀が網を用意し、謙也がタイミングを指示した。
「はぁい、どうぞ」
 網で受け止めた獲物を、金色が持ってきた発泡スチロールの箱にあける。
「おおー、よお出来ました」
 ぱち、ぱち、ぱち。箱の中身を覗き込み、拍手する渡邊。
「で、何が釣れたんか?」
 釣竿を持ち直し、利き腕を回しながら金太郎が獲物を確かめようとする。
「何って。専用の針を使ったやーん」
 白石が逆手に突っ込みを入れた。
「おお、美味そー」
 手を入れて触れ、感触に笑う。
 釣ったのは蛸であった。ぬめぬめと箱の中を蠢いている。


「じゃ、財前よろしゅう。重かったわー」
 はい、と金色は箱を財前に渡す。
「は?」
 口を半開きにして財前は仲間を見回した。
「調理頼むわ。キッチンはオサムちゃんが許可取ってくれたし」
「なんで俺なんです」
「なんでも何も、働かぬ者食うべからずや」
 財前の問いを仲間が冷静に回答する。
「ワイは釣った」
「俺応援した」
「俺も」
「俺も」
「無我使った」
「ワシは網で捕まえた」
「俺、銀を手伝った」
「箱用意したわ」
「拍手した」
 次々と活動内容を主張した後に“な?”と声を揃えた。
「どうなっても知りませんよ。味は期待せんといてください」
 背を向けて財前は調理場へと向かう。


 行ってしまったら行ってしまった後で、突っ込んでくれれば良かったのにと無茶な事を言う彼ら。
「誰かヘルプに行かせよう」
 白石が意見を出すと、皆頷いた。
「じゃあ誰に」
「待つね。あと10分後、ここに救世主が来るばい!」
 白石を制止し、千歳が予告する。
「10分……長いな」
「ホンマかいな」
「誰やねん」
 気長に10分、待つ事にした。






 その頃、調理場では財前が愚痴を吐きながら蛸と格闘をしていた。
 まずは包丁とまな板を用意し、箱をひっくり返して蛸をまな板の上に乗せる。
 べたっ、べちょっ。嫌な音を立てて蛸は引き摺られるように落ちた。
「どないせいっちゅーんや」
 包丁を片手に、呆然と見下ろすしか出来ない。
 家庭科の授業や家の手伝いを少しして、料理は全くの初心者ではないが、生きている蛸の調理は初めてである。変に触れたら吸盤で剥がれなくなるかもしれない。そう思うとなかなか近づけないでいた。
「切るか…………」
 空いた手をわきわきさせて、押さえるべき場所を定めようとする。
 しかし、財前がもたもたしている内に、蛸はまな板からはみ出て台に密着させていた財前の腹に足が貼りついた。
「ぎっ……………………!」
 引き攣った顔で、声ならぬ悲鳴で喉が詰まった音を出す。
 身体を離そうとすれば、蛸も一緒についてきて身体の部分が下腹部に他の足が太股にくっついた。
「わわ…………」
 均衡を崩して尻餅をつき、包丁が手から落ちて床に転がる。
「……………ん、く……」
 冷たく、粘着いた蛸の感触に財前は身震いさせた。這った跡は濡れて、粘膜のようなものがついている箇所もある。おぞましく、つい目を閉じてしまいそうになる。
「離れ、んか」
 不快感と羞恥が入り混じり、こんな所を他の人間に見られる訳にはいかず、蛸の頭を鷲掴みにした。
 ぐちゃ。嫌な水音がして、一瞬手を止めてしまったのが悪かった。
 ハーフパンツの中を、足が入り込んできたのだ。
 嫌や嫌や嫌や嫌や嫌や嫌や嫌や。財前の脳裏を拒否の言葉が回りだす。
 けれども、この入り込んだ足はどこへ行くのだろう。
 気になってしまって、手は完全に停止してしまう。
 ぬるぬる、ゆっくり足は奥の方へと這っていく。


 思考まで停止しそうになった時、ある理科の授業が過ぎる。
 教師が合間に雑談をし、蛸の話をした事があった。
 “えー、お前ら知ってるか?蛸の雄の足の内、一本は生殖器なんやでえ”"
 “ホンマ〜?”
 “嫌やわー”
 生徒たちはクスクスと笑っていた。
 頭の中で、生徒たちの笑い声がエコーする。
 ハハハ、そっかー、キモいっすわー。財前も笑って逃避し、乗り出そうとするが瞬時に我に返る。
 まさか。あくまで冗談だが考えてしまう最悪の事。血の気が一気に引いた。
 冗談やない!堪忍して!!!
「あかん!それだけは、あかんから!」
 必死の形相でもう一度引き剥がそうと力をこめる。
 ぬるり。足の端が下着の中に入り込んだ。こんな時に限って、トランクスを履いていた。特に動く予定もないから履いていた。
「ひいいいいいいいい!!!」
 本気の貞操の危機を感じた。蛸――――この蛸如きにである。
「だ、誰か………!」
 この蛸に貞操を奪われるぐらいなら、恥を捨てて助けを求めた。
 肝心な時に声が上手いように出ない。


 しかしその時、救世主はやって来たのだ。
「財前、いるかー?」
 ドアを押して、河村が入ってきた。
 そう、彼こそ千歳が予告した救世主。
 河村は四天宝寺の面々がいる場所を偶然通りかかり、財前の手助けを頼まれて、調理場へ来たのだ。
 彼は寿司屋の息子。そうくれば、海の生物の扱いも出来るだろうというのが四天宝寺の思惑であった。料理下手が何人集まっても部屋が狭くなるだけだろうから。
 そんな河村が、入ってすぐに見つけたのは股の間に蛸をくっつけた財前。驚かないはずがない。
「ざ、財前っ!?」
 怯みそうになるが、小走りで彼の元へ駆け寄る。
「うわあ見るな!」
 足を閉じて膝を河村とは反対方向に曲げた。しかし膝で蛸を挟みこんでしまい、財前はまたもや身震いする羽目になる。
「だ、大丈夫?」
 見下ろした後、しゃがみこんで財前の様子を伺う。
「なわけあるかっ」
「だよねえ」
 見られた恥ずかしさで顔を真っ赤に染めて睨みつける財前に対し、のんびりと河村は言う。
「四天宝寺の人に頼まれて来たんだ。はずすの手伝うよ」
「う、うう」
 恐る恐る足を開いた。すっかり腹から下にかけて、蛸と蛸が纏う粘液でぐっしょりと濡れている。どうか足の内の一本が衣服の中に入り込んでいるなど知られたくは無いが、そうもいかないだろう。
「吸盤痛いし、じっとしていて」
 河村の指示に、大人しく頷く。彼が蛸の頭を抱え、少しずつ引っ張っていくと足が一本、二本と財前から離れていく。だんだんと希望が湧いてきて、財前の顔の筋肉は緩みだす。だがしかし、運命とは残酷であった。
「あ」
 やや上擦った吐息が漏れる。膝が震え、足が閉じられた。
「閉じたら取れないよ」
「あ、あ…………」
 財前は首をふるふると横に振り、足を広げる。
「財前?どうした?」
「あ、う」
 彼は首を振るだけで答えてはくれない。
 何が起こっているかなんて言えなかった。
 下着に入り込んだ蛸の足が前の方――――自身の方へ触れてきたのだ。吸い付く感触で刺激され、生理的に反応してしまう。今まで体験した事のない感覚により、性的に高まっていく。けれども、こんな事は口が避けても言えるはずもなく、声は発せられないでいた。
「ふぅっ……く…………」
 河村から顔を逸らし、歯を食いしばって刺激に耐えようとする。床についた手を握り締める。
「は、はよ……………早く……!」
 薄く口を開き、声を震わせて哀願した。
 足は自身に巻きつき、さらに巻きついたり緩めたりを繰り返している。頭の脳天を突くような快感が何度も波のように行ったり来たりを繰り返す。目の前で河村に見られている羞恥が一線を越えて感覚を麻痺させ、意志を保つ事に集中させねば気が触れてしまいそうだった。
「わかった」
 財前の様子で、彼に起こっている事態を河村は察する。
「頑張ってくれ」
 励ましに、悟られてしまったのを財前も察する。


 財前にも蛸にも刺激を与えないように、そっと引っ張った。一本、一本、外れて行く。
「ん……………んん」
 声が抑えきれず、財前は指を銜えて塞いだ。隙間から、息が低い笛の音のように鳴る。あまりにも彼が辛そうで、つい言ってしまう。
「我慢しなくても良いから」
 今にも涙が零れそうな濡れた瞳で、ぎろりと睨まれてしまった。
 残す一本、財前の衣服に入り込んだ物のみとなる。慎重に行っているが、自身に巻きついた足は取れる時も刺激を与える事になる。
「………は………はぁっ……」
 乱れる息は淫らに聞こえ、表情を盗み見れば快楽に浸った卑猥な顔に見えた。
 男の声でこんなにも色が出せるのか。表情も声も、見ても聞いてもいけないようなものに感じる。知ってはいけない世界に入り込んだ気分だ。
「う、んう。……………ふっ……」
 財前の情欲は、限界まで駆け上がっていた。自身はギンギンに張り詰めている。ここで抜けてしまえば一生の恥。十分、この状態も恥ではあるが。
 M字に足を広げて淫らに喘いでいるも同然のこの姿を、河村の目にはどんな風に映っているのだろうか。考えたくは無いのに、つい考えようとしてしまう。
 足の先がしぶとく吸い付いている。一点、特に心地良い場所に憎らしくもくっ付いている。
「あ………!」
 ぷつ、と剥がれた。懸命に押さえ込み、なんとか吐き出さずには済んだ。
「はあっ、はあ、は――――っ」
 財前はその場に転がり、息を整えた。倒れながら、膨張した自身が見られないように足を閉じる。
「良かったぁ」
 息を吐く河村。蛸をまな板へ持って行き、財前が持っていたのとは違う包丁を出して目の間――――すなわち急所を切りつけて黙らせる。ぐったりした蛸はとりあえずそのままにしておき、布巾を濡らして絞り、財前に渡した。
「大丈夫?」
「なわけあるか」
 受け取った布巾で顔を拭って頭を冷やし、手を拭く。
「起きられる?」
「腰、抜けた」
「手、貸そうか」
「自分で立てますわ」
「その、行った方が良いよ」
「余計なお世話や。黙っとき」
 話している内に、財前は半身を起こした。
「調理は俺がやっておく」
「堪忍な。俺ん中に入った足は切って捨てて欲しいんやけど」
「え…………」
 どの足かなど、忘れている。
 だがこれ以上、財前が恥ずかしい目に遭わせられるのも忍びなく、愛想笑いを浮かべた。
「では、頼みます」
 立ち上がった財前はよろよろと調理場を出て行く。廊下へ出ると、全速力で洗面所へと向かった。
 残った河村は恐らくこの足だろうという足を切り、捨てる。もしもの場合でもぬめりと共に丹念に洗って流すので、彼の中で良しとした。






 洗面所へ行った財前は個室へ入り込んだ。幸い、誰もいない。
 改めて己を見れば、衣服の所々しっとりと濡れ、粘液が付いた酷い姿である。ハーフパンツと下着を下ろせば、血液を集めた自身が取り出される。濡れているのは、蛸のせいだけではない。
 手で包むように触れ、自分で自分を慰めようとする。すぐ吐き出すのに、何か良いおかずは無いかと考えを巡らせれば、先ほどの調理場での出来事が思い浮かび、河村の顔が出てきた。
 それはあんまりだと考え直そうとしても、離れない。そうしている内に欲望は吐き出されてしまった。
「う」
 開放感と共に湧く罪悪感。一時的な性欲は失せたが、後ろめたさが拭えない。
 河村で抜いてしまったようなものだ。
「顔、合わせ辛……」
 個室から出て流し台で洗い、前にある鏡にうんざりした顔を映して呟く。
 服を正し、調理場に戻れば良い匂いがする。
「ああ、おかえり」
 振り返る河村は、何事も無かったかのように笑いかけた。気を遣ってくれているのだろう。
 財前は小さく会釈をして彼の隣に並び、調理の手伝いをした。
 目は合わせ辛いし、顔は熱くなる、心音も速まってくる。
 変な気分とは、こういう事を言うのかもしれない。







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