16.私を愛でるあなた
「はぁーっ、あつー…………」
今日の分の練習を終えた菊丸は、誰よりも早くミーティング室の中へ入った。
この後ここで集まり、打ち合わせをしてから解散となる。
「ん」
机の上の置いてあるリモコンに目が入った菊丸。手に持ってみて辺りを見回せばクーラーの存在に気付く。使用していなかったので初めて気付いた。
別に使わなくても熱はすぐに冷めるのだが、弄ってみたい衝動にかられる。
もしも大石がいたのなら“英二、むやみに弄るもんじゃない”とリモコンを奪われるのだが、運が良いのか悪いのか、チームに彼はいない。
さっそくリモコンをクーラーへ向けてスイッチを押す。
音を立ててクーラーは動き出し、口を開けて風を吐き出した。けれども、感じるのは温かい空気。
「暖房になっているのか?」
温度を下げるボタンを連続で押す。
クーラーといえども、すぐに冷たい風が出てくるとは限らない。
家のものなら使い慣れてはいるが、他所のものはわからずに温度ばかりを下げていく。それに元々、菊丸は機械の扱いが得意ではないのだ。だから大石に取り上げられるというのに、彼はちっともわかろうとしない。
「寒いな……」
ようやく寒さに気付く。
汗も急に冷えてきて、くしゃみを一つする。
菊丸が鼻を啜ると同時に、ドアが開いてもう一人の仲間・樹が戻って来た。
「なんなのね、この寒さ」
開口一番、異様な気温を口にする。
「あー樹か。クーラーつけたんだ」
のんびりと言った後、またくしゃみをした。
「何度なんですか」
歩み寄り、リモコンを見ようとする樹。菊丸は文句を言われる気がしてかわそうとしたが取られてしまう。
「凍死する気ですかっ」
温度を通常に戻してから、クーラーそのものの電源を切る。
「慣れないもんで、つい」
愛想笑いを浮かべて言う声は鼻声であった。
「慣れないからって。風邪ひくのね」
半袖である菊丸の腕を掴めば、ひんやりと冷え切っている。運動で温まった身体が、すっかり冷めてしまったのだ。
「お前、何やってるのね」
樹は焦ったように菊丸の腕を摩りだす。
「い、いいって、馬鹿」
「馬鹿は菊丸ですっ」
ぐさっ。胸に言葉の矢が突き刺さる。
「こんなに冷えて……これでも着ていてください」
樹は脇に抱えていたジャージの上着を菊丸に羽織らせた。抱えていた樹の体温も残っており、じんわりとした温かさが背中と腕を温めてくれる。
「もう」
ジャージごと菊丸を抱き締めた。菊丸は体温とは別の熱が身体の奥から湧いてくるのを感じ、一人顔を赤くさせる。
「別に、大丈夫だっつの」
引き剥がそうとすると、勝手に樹から離れてくれた。
「顔はどうなのね」
両手で両頬を押さえられ、上下に動かして摩られる。
「絆創膏剥がれるだろっ」
「剥がれたら、また貼れば良いのね」
押さえられているので、どうしても顔を向き合わせてしまう。
正面から見る樹の顔は、本当に心配そうであった。
世話焼きでお節介な程の普段のパートナーとは異なる相手に気を遣われるのは、変にドキドキと胸を高鳴らせる。
これは慣れていないからだ。そう何度も思い込もうとする。
樹はこれ以外にも、菊丸の事をよく見てくる。彼の視線が元々苦手なのだ。そう何度も思い込もうとする。
「お、二人とも、何やってんだ」
残りの仲間・黒羽と桃城も入ってきた。
黒羽には樹が菊丸の頬を摩っているよりも、菊丸が樹のジャージを着ている方に目が行ったようで。
「菊丸ー、ウチのジャージ良いだろ」
とんちんかんな事を言い出してくる。菊丸が返事を出来ないでいると、桃城が羨ましがってきた。
「良いっすよねー。赤はイカします」
「そうだろそうだろ」
「俺も着てみたいっす」
「そうかそうか」
黒羽も樹と同様、ジャージの上着を抱えており、桃城に羽織らせてやる。
「あ。さてはこれ、一回りデカいっすね」
「わからねえな。そうかもな」
黒羽は後ろから桃城を抱き込み、ジャージごと包もうとした。すると桃城がくすぐったいのか笑い出してじゃれあいが始まる。
樹はまだ摩るのをやめてくれない。
お前ら纏めて全員うざい。
菊丸は心の内で悪態を吐いた。
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