1.遠くのあなたへ
のどかな昼休み。空は雲ひとつ無い快晴で、屋上の青空の下、大石と菊丸は弁当を摘んでいた。
「あのさ、大石」
菊丸が箸を止め、大石の名を呼ぶ。今日は食欲でも無いのか、箸は動いていたものの、弁当はほとんど減っていない。
「手塚とはどう?」
「手塚?」
大石は箸の端を銜えたまま、きょとんとする。
手塚は今、九州にいる。
「どうって………どう?」
斜め20度、首を傾げた。
「連絡取ってるんだろ」
「そうだけど。英二、手塚に何か言いたい事でもあるのか?」
「そうじゃなくて」
なかなか大石がわかってくれず、菊丸は言い方を変えようと、大石と同じように箸の端を銜えて頭を回転させる。
「ほら、大石は手塚と付き合ってるじゃん。そ、そ、そっちの連絡だよ」
心なしか顔が熱くなっていく。聞かれてもいない心臓の音も気になっていく。
「英二、熱でもあるのか?」
「は!?」
「英二が手塚との事聞くなんて…。雪でも降るかな」
大石は空を見上げる振りをしてみせた。ああ、そういう熱ね、菊丸はホッと胸を撫で下ろす。
「で、どうなの?」
「どうって聞かれても、どうもしないんだけど」
「メールとかでやり取りするの?」
「うん、まぁ」
「そう。電話とかは?」
「する時もあるよ」
「場所とか違うと、話題とか困らない?」
「いや、新鮮で良いよ」
「じゃあさ」
「ち、ちょっと英二、待ってくれ」
大石は菊丸の質問攻めに待ったをかける。
「なんであんなに惚気話なんて聞きたくないって言ってた手塚との事聞こうとするんだ。一体どうした」
「ちょっと、聞いてみたくなっただけだって」
「ちょっと?」
「そういう時だってあるの。あるったらあるの」
「英二」
「ええと…………だから」
大石に誤魔化しも効くはずもなく、菊丸は口ごもった。
やはり冒険が過ぎたかと、後悔する。
大石は東京、手塚は九州にいる。2人は今、遠距離恋愛をしているのだ。
大石に聞くことによって、少しでも千葉にいる恋人との恋愛のヒントに出来れば良いと思っていた。
いや、本当に聞きたかったのは仲直りのヒントであった。先日、また喧嘩をして樹を怒らせたままだ。早く何とかせねばと、焦っていたかもしれない。
「大石、寂しくないのかなって」
しんみりと、呟いてみる。
こういう言い方はなかなか上手くないか。心の中でこっそり自分を褒めた。
「そりゃ寂しいけど、仕方ないじゃないか。少しの辛抱だよ」
大石は素直に菊丸の気遣いを嬉しく思い、微笑んだ。
少しの辛抱。
菊丸の顔から、ふっと表情が消える。
そうだった。手塚は帰ってくるのだった。帰ってくれば2人はまた一緒にいられる。
だが自分たちはどうか。昔も今もこれからも、2人離れたままだ。
「英二?」
「ん?ああ…いや…」
菊丸は我に返った。
「もし、だけどさ、喧嘩とかした時どうしてるの?もし、だけど。お前らは喧嘩なんて」
「するよ、するする」
大石は身を乗り出して肯定してくる。話を聞いてくれとばかりに、さらに顔を近付けた。
「こないだ俺がちょっとでも浮気の疑いを出したらさ、手塚怒っちゃって。冗談のつもりだったんだけど、収拾つかなくて。なんでムキになるのって俺も意固地になったのも悪いんだけどね。久々の大喧嘩だった」
「…そうなんだ」
勢いに圧倒され、菊丸はこくこくと頷いて相槌を打つ。
「俺の方から謝ったよ。俺が悪かったし。そしたら手塚、きっと俺がお前に寂しい思いをさせているからだって!だって!」
一人顔を赤くさせて、大石は床をべしべしと叩く。
「俺も自分から謝った方が良いんだよな」
自然と口から漏れた呟き。
「英二、何か言った?」
大石が顔を上げる。菊丸は何も答えず、首を横に振った。
昼食を終え、大石は階段を下りて行った。菊丸はというと屋上に残り、フェンスに寄りかかって携帯を取り出した。開いて、耳元へ持って行く。
「あのさ、俺」
すう。息を吸った。
「昨日は、ごめん」
………………………。
気持ちの良い風が、髪を撫でる。
見上げる空に、一つ浮かんだ雲が流れて行く。
「よし、こんな感じに謝れば良いか」
空いた手を握り締めた。先程のはシミュレーションであった。
「………………………」
いざ行動になると、なかなか一歩が踏み出せず、寄りかかるのをやめ、体ごと向きを変えてフェンスの金具を掴んだ。爽快な景色が目の前に広がる。海はどの方向にあるのだろうか。金具の間に指を入れて音を奏でて、フェンス伝いに歩いた。
そろそろ覚悟を決めて携帯の電話帳を開き、樹に電話をかけた。
「あのさ、昨日は悪かった。うん、それだけ言いたくて。そうだ、後これだけ……」
自然と口元に笑みが浮かんだ。
「今日、良い天気だな」
きっと海があるだろう景色の先を眺めようと、目を細め、遠くを見つめる。
思い浮かべるのは燦々とした太陽の光で、きらきらと輝く海。星屑を散りばめたような輝く海。
また樹に連れられて、海を見てみたかった。
そうして2人並んで、顔が合えば笑い合いたい。
『そうですね』
樹の返事が返ってくる。声が笑っているように聞こえた。
『こういう日に、また菊丸を海に誘いたいのね』
彼もまた、2人で見た海を思い出していた。
好きな人と一緒に何かが出来たら良いと、2人夢見て、憧れていたかもしれない。
現実、想い人は近くにはおらず、この遥か視線の先にいるだろう。この先も、2人を隔てる距離は変わらないだろう。
だが今、顔を合わせているようだと感じる。繋がっていると感じる。
これが俺たちなのだと思えば、幸いに変わるような気がした。
俺たちは、たぶんきっと、これで良い。
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