10.電話越しの愛の囁き
校舎の壁に寄りかかり、菊丸は携帯を取り出し、電話をかける。
しばし待って、聞こえてくるのは慣れた声。樹の声であった。
『……はい』
「俺」
『どうしたのね」
「今日、ほら」
横目で校庭の方を見やる。多くの生徒が立ち止まり、会話を交わしていた。大半が筒状の物を持っている。
「卒業式じゃん。お前の方もそうだって聞いたけど」
『……ですよ』
強めの風が吹き、上手く聞き取れない。乱れた髪を軽く指で整える。
季節は春。けれどまだ冬の寒さは残り、肌に冷たさを感じる。
「お前、泣いた?」
『はぁ?』
「泣きそうだなって思って」
『菊丸こそどうなのね。お前が泣いてたら見ものです』
「俺?……………俺というか、うちは高校も青学だし。それでも泣く奴はいるけど。俺達は泣いてはいないんだけど……」
集まっている仲間たちの姿を見て苦笑する。手塚がこちらに気付くが、手を振って少し待って欲しいという合図を送った。
「海堂がさ」
『海堂?』
2年生の名前が出てきて、樹は聞き返す。
「泣いちゃって大変だよ。あいつ無口だし愛想ないけど、もう大泣きでさ。今、皆で慰めてる。桃もおチビも寂しそうしてたけど、あれじゃあ泣いてらんないよ」
おチビと越前の名を口に出して、菊丸は気付く。彼は全国大会後の秋頃から背が伸びだし、そうとは呼べなくなって来ていた。当然、樹は知らず、その話をしようかと思った際に、彼の声が聞こえてくる。
『お前は参加しないのね』
「こういうのは他の奴らの方が得意だって。俺、苦手なんだよね」
『そうですね』
「…………………………」
あっさりと肯定され、菊丸はぐうの音も出ない。
『実は、俺の方もなのですよ』
「ん?」
『ダビデが大泣きなのね。こちらでも皆で慰めてます』
樹は苦笑し、顔を上げて仲間たちの方を見る。彼もまた、校舎の壁に寄りかかり、校庭に集まる人を眺めていた。
「天根、がねぇ」
『あいつも大人しくて、海堂みたいにあまり口に出さないタイプですね』
「そうかあ?」
天根は大人しかったのだろうと思い返す。言われて見れば、そうだったような憶えがした。
「部長の方は、どうした」
『剣太郎ですか。今日卒業する3年生の女子に告白するそうですよ』
「へえ」
相槌を打った後、話を切り出す。
「うん、じゃあそろそろ切るわ」
『それだけですか?』
「それだけってなんだよ」
『何か、無いんですか』
「何か?」
『今日、卒業式ですよ。それだけで終わるのね?』
「それだけって」
顔が熱くなっていく。樹が何を言いたいのかがわかった。駄目だ駄目だと思っていても、冷められるほど器用では無い。
「俺が、言うの?」
『当たり前じゃないですか。お前からかけておいて』
「……………来年も、いや青学に入って、じゃない。…あー」
上手い言葉が見つからない。樹としては、難しいものはいらないのだろう。けれどもシンプルなものほど、言うのは照れてしまうし、ここでは誰かに聞かれてしまうだろう。それは言い訳なのかもしれないが。
「また、かける」
素早く言って、電話を強引に切った。
そうして携帯を制服のズボンへ仕舞い、仲間たちの方へ戻ろうと足を踏み出す。
途中、忘れていたものに気付いて歩みが鈍る。
樹へ電話をかけた要因である、泣いていたかはどうだというのは、結局聞き出すことは出来なかった。
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