3.交通費のためにも



「えっ?」
 思わぬ衝撃に、呟きが漏れる。
「マジで?」
 頭のてっぺんから首へ、暑さのような、寒さのような、ぞわっとしたものが通過した。
 菊丸が見下ろすのは、財布の札入れ。
 そこには何も無く、空洞が見える。そう、一枚も入っていなかった。
「えー……」
 渋い顔をした後で、現状を把握した。


 ここは青春学園の購買部。昼休みの真っ最中であった。
 食べようと思っていたものは頭から抜け落ち、財布を閉じながら列から離れる。
「…………参ったなぁ」
 適当な壁に寄りかかり、所持金を改めて確認した。
 思っていた金額よりも、遥かに少ない。少なすぎる。
「俺、何かしたっけ」
 財布を仕舞い、自分の行動を思い返す。
 これといって高い買い物は、していないはずだった。
「ああ」
 心当たりを見つけ、顔を上げる。
 先日、樹に会って、その際にかかった交通費が馬鹿にならなかった。


 中学生ではバイトも出来ず、先立つものは限られている。
 直接会わなくとも、メールや電話で連絡はいくらでもできる。それらもそれなりに活用しており、また費用がかかってしまう。文字だけでは、声だけでは物足りない。しかし実際会っても物足りない。
 何もかもが物足りない。満たされない。また、すぐに会いたくなってしまう。
 重症であった。仕方が無い、これは病なのだから。元から正常ではないのだ。しかも、治す気は無いときている。
「なんとかしないと」
 背伸びをして言う。
 金銭の計画は、それなりには考えていた。けれどもやはり、それなりの事止まりで、このような結果を招いてしまったのだ。




 数日後。菊丸は交通費を用意して樹と会った。互いの切符代が半分になる、2人の間の駅で。
 適当な店に入り、適当な席に座り、適当な物を頼んで、向かい合った。
「樹。お前、交通費大丈夫か?」
 さっそく、本題に入った。
「…………………………」
 すぐには返事が返ってこない。樹も危機を感じているようだ。
「今日は、その話題なのね?」
「話し合う必要があると思う」
「良いアイディアはあるんですか?」
「…………………………」
 淡々と交わされた会話が、ピタリと止まる。
「やっぱり。そんな事だろうと思いました」
「わかる?」
「ええ」
 涼しげな視線で、樹は頷いた。
「なんかさ」
 菊丸は頬杖を突いた。
「どうでも良くなっちゃって」
「会う回数、減らします?」
 口の動きだけで、菊丸は“やだ”と拒否をする。
「お前はさ、寂しくなんないの?」
 視線を他の客に移し、呟くように言う。


「とりたてて用事も、会話の内容がある訳じゃないし。他の物で済む事もあるよ。でもさ、何も無くてもこうしていたくなる」
「今日はやけに素直なのねー」
 耳の横から、樹の声が入ってくる。
「そっかぁ?」
「そうですよ」
「お前は?」
「嬉しいですよ」
「そう」
「埋まらないんだけどさ。どうしたら良いと思う?」
 樹に答えを求めた。考えても、見えてこない。


 頬杖を突いていない、テーブルに置かれた手に、樹の指が触れた。
「抱いてみます?」
「……………………………」
 首をゆっくりと、樹の方へ向ける。突っ込む言葉が見つからない。顔は恐らく、真っ赤だろう。悔しくも対照的に、樹の顔は普段通りであった。普段通り、真意が見えない。
「からかってるだろ、俺の事」
「冗談じゃ、言わないのね」
 樹は視線をはずした。怒ったように見える。
「わっかんねえのな、お前」
 頬杖をやめ、指でテーブルをカツカツと鳴らす。
 気まずいのに、心臓がドクドクと鳴った。目を合わせずとも、嫌でも樹の存在を感じる。
 道は1つしかない。深みに嵌っていくだけであった。







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