春。やや肌寒い青空に、いつも響き渡るのは
「やんのかテメエ!」
「上等だ!」
犬猿の仲の後輩2人の、喧嘩開始のゴングであった。
副部長たちの反乱
「こら2人とも!」
部員の世話役、そして青学の母と呼ばれる副部長・大石が素早く飛んで間に割って入る。
「喧嘩両成敗だ。2人とも悪い」
がしっ。
大石は桃城と海堂の頭を掴み
「はいオシマイ!」
同時に頭を下げさせた。
「何度も言うようだけれど、喧嘩は駄目だぞ」
「「へ〜〜〜い」」
罰が悪そうに、2年コンビは声を揃えて返事をする。
「全く……………」
溜め息をつきながら、部長の隣へ戻っていく。
手塚はバインダーに挟まれた練習メニュー表に目を通していた。
「またあの2人は喧嘩をしていたのか……」
視線を動かさず、大石に話しかける。
「うん」
「さすが大石だな」
むっ。
大石の胸に密かなムカつきが芽生える。
「今回はあれで済んだけど、酷い時は手に負えないんだ。たまには手塚も手伝ってくれないか?」
「……………ああ」
彼の顔を見ずに、ぼそりと返事をした。
ただの相槌。手伝う気は全くなし。
大石はジト目になって怒りをこらえる。
「はぁ〜〜〜〜〜あ…………」
放課後、大石は帰路をトボトボと歩いていた。その背には部活の疲労の他に、気苦労がどっさりと乗りかかっている。周りに誰もいないのを良い事に、口から愚痴がこぼれ出す。
「桃と海堂はいっつも喧嘩、英二はいっつも遅刻、必要な時以外タカさんにはラケット持たせちゃ駄目だってのに、不二は何かあるとすぐに渡すし、タカさん頼まれ事断れない性格だから、ビシッと代わりに言ってるの俺だし、乾に部員の事を思うなら、美味い汁作ってくれって言ってるのに聞かないし、越前の国語、皆で見てあげようって決めたはずなのに、結局残ったの俺だけだし…………」
ふうっ。
軽く息を吹く大石の顔は、運動部とは思えない程の陰気さに満ちていた。
「何だよ………………」
見上げる空に浮かぶ夕日は、一年の頃手塚と全国行きを誓った風景を呼び起こす。
「俺達が部長、副部長になった時、仕事は半々で分け合おうって約束したじゃないか」
目許に、涙が滲む。
その姿は結婚する時、家事は分担しようと約束したものの、結局大半やる事になってしまい、1人途方に暮れる妻のようだった。
「部員の面倒は俺に任せて、自分はグラウンド何とか周〜〜〜っだもんな!俺の苦労なんて………」
ぐすっと鼻を啜る。
その姿は子育てに疲れ果て、誰も相談相手のいない孤独を背負う妻のようだった。
「………っく」
こぼれそうになった涙を手の甲で拭う。
その同じ時間、反対方向の道から大石と同じように独り言をしながら歩く人物がいた。
立海大学附属中の制服に黒い帽子、真田であった。
「けしからん!実にけしからん!」
こちらは完全に怒っているようだ。
「今日は練習試合だというのに丸井と仁王の奴、待ち合わせ時間に遅れよって!説教をしている時の蓮司と柳生の我関せず的な態度はどうにかならんのか!?士気を高める雰囲気と勢いがあれではつかん!赤也はジャッカルを連れ回す度に問題を起こしよって!ジャッカルの気苦労も目に見えたものになってくるし…!嫌なら断らんか!」
湯気の立つ勢いで、拳を上下に振りながら部員への不満を愚痴っている。
「けしからん………!」
見上げる空に浮かぶ夕日に、幸村の笑顔が浮かんだ。
「幸村…………」
気丈な振りをしているが、幸村は体調が悪いようだった。
なぜ俺に話してくれないのだろう…………悲しみが心を支配していく。
「秘密裏に幸村に負担をかけさせないようにと決めたは良いものの、厄介事は全て俺にまわしよって…!確かに俺は副部長だが、部は団体だ!それを奴らはわかっておらん!」
悲しみは再び怒りへと変化していき、ググッと拳を握り締めた。
とぼとぼとぼ。
つかつかつか。
2つの足音は確実に近付いていく。
しかし2人とも考え事をしているので、反対方向からやってくる見知った人物に気付きはしない。
(危険なので、ちゃんと前に気をつけましょう)
ぷちっ。
大石の中で何かが切れる。
「なんだよ皆、俺にばかり押し付けて!」
ぶちぶちぶちっ。
約5歩単位で真田の中の何かが切れまくっている。
「俺は都合の良いように使われているだけなのか!?」
すうっ。
2人は同時に息を吸い
「「副部長を何だと思っているんだ!!!!」」
同時に声を張り上げた。
……………………………………。
目を点にさせて、大石と真田は向かい合っていた。
ようやく互いの存在に気付いたようだ。
「や、やあ立海の真田くんだっけ?」
声を上げてしまった事を恥ずかしく思い、頬を上気させて大石が軽く手を上げる。
「あ、ああ。お前は青学の大石だったな」
真田も頬を染めて、頷いてみせる。
まだ恥ずかしさで体をカチコチにさせながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「真田くんも副部長だったよね………」
「大石もそうであったな」
「立海は部員がしっかりしてそうで羨ましいよ。ウチなんか皆俺に任せっきりで」
ははは。
愚痴がこぼれ、大石は乾いた笑いをした。
「そんな事は無い………個人主義が多くて困っている」
……………………………………。
ハッとしたように互いを見詰め合い、
パシッ。
相手の両手を握り締め、ブンブンと上下に振った。
「わかる!わかるよそれ!協調性は大事だよね!」
「そうか!わかってくれるか!一人の仕事への負担は大変だな!」
突然出会った2人は意気投合をし、そのままファーストフード店へと直行し、話し合いをしだした。
内容は普段言えない愚痴、そして同情と分かち合いである。周りの女子校生たちに負けず劣らず盛り上がっている副部長2人の姿は異様に浮き立っていた。
「何度も何度も言っちゃうが、副部長を何だと思っているんだろうね!」
「全くだ!奴らは俺達を当てにし過ぎだ!」
「もう当たり前すぎて、何にも思っていないんだろうな」
「うっ」
大石の言葉に、真田もさすがに言葉に詰まってしまう。
確かに当然の事すぎて、何も思われていないかもしれない。
「はぁ………あ。明日休みだけど休日練習なんだ。気が重いよ。遅刻が増えるんだよね」
「俺も明日は練習だ。遅刻は厳禁で徹底しているが、雰囲気を盛り立てるのも俺の役割だからな」
「さぼっちゃおっか、2人で」
頬杖をつき、窓の景色をぼんやりと眺めながら、ぽつりと大石は呟く。
「何を言う。俺達がいなければ………」
「俺達が何でもしちゃうから、いけないんじゃないか?性格上もあるけれど、このまま現状を続けていたら、将来的に部の為にならないと思うんだ」
「む………」
最もな意見に、真田は何も言い出す事が出来ない。
「ねえ、さぼっちゃおうよ」
嬉々とした表情で、大石は真田の方を向く。
1人では考えもしなかった事。2人なら、出来そうな気がする。
「わかった。奴等の為だ」
「よしっ。じゃあせっかくだし、2人で遊びに行っちゃおうよ」
「そうだな」
真田が頷くと、大石は素早く遊びの計画を立て始めた。
翌日。青学テニス部コートでは、副部長不在の状態で練習を行っていた。
事情を知っている一部の部員は暗い影を背負ってラケットを振っている。
早朝、大石から鍵を預かった乾がドアを開けている時に、手塚と出会ってしまい、大石が今日来ない事を告げた。何も知らされていない手塚は即座に大石へ携帯で電話をかけ、口論となってしまう。その間に続々と部員たちが部室前へやって来る。
大石!俺に何か不満があるのか!
待て!待ってくれ大石!
じっくり話し合おう!まずは会わない事には始まらない!
何だかこんな光景、テレビで観かけたね。
部員たちの脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
あえて、何も聞くまい。
暗黙の了解が生まれた。
フェンスにもたれ、手塚は空を見上げていた。
空に浮かぶ柔らかな雲が、大石に見える。
ああ、大石がいっぱい。
「ねえねえ手塚どったの?」
菊丸が河村に問う。彼は遅刻した為、事情を知らない。
「大石が来ないの、自分のせいだって思っているみたい」
「え?そうなの?あの大石を休ませるなんて、手塚さっすがー。そうそうタカさん」
さらりと大石の話を終わらせ、朝起きた出来事を話し始めた。
英二、もう少しアクシデントを予想して行動した方が良いよ。
心の中で突っ込みを入れた河村は、何だか大石の苦労が見えた気がした。
大石が休んだの、俺たち全員のせいかもしれない。
鋭い勘を見せたが、それを口に出す勇気を彼は持ち合わせていなかった。
「…………ってな訳。じゃ、タカさんまた〜」
自分で勝手に話を終えた菊丸は河村と別れた。
1人になって思う、大石は私情で休む事などしない。
今日、遅刻してしまった事を大石に謝ろうと思っていた。
胸に何かが突っかかる。ひょっとしたら、これは罪悪感かもしれない。
部員たちはおもむろに、手塚と同じように空を見上げる。
こうして見上げていれば、どこからか大石が注意してくれそうな気がした。
一方、同じ空の下の立海テニス部コートでは、同じように副部長不在の状態で練習を行っていた。
真田の代わりに柳が彼の仕事を行っている。
雰囲気はあまり変わっていないようだが、どことなく静かな感じがした。あの副部長の声がしないからだと、誰かが呟く。
「真田、休みなんだよね……」
幸村は伸びをしながら、空を見上げた。
真田が休むと聞いて、電話をかけはしたが、あえて何も詮索はしなかった。
今、その事を後悔している。
君がいないと寂しいというより
君がいないと嫌だという方が合っているかもしれない。
部員たちは副部長のいない、この風景に“非日常”と言う言葉を宛てた。
都内某水族館。大石と真田は部活を休んで、のんびりと魚を眺めていた。
「こういうのも悪くないな」
真田が口元を綻ばせる。そんな彼を“おじさん”と呼ぼうとした子供は母親に口を塞がれて抱えられ、素早く退場して行った。
「アクアリウムは好きだけど、水族館は小学校以来かもしれない」
言ってしまった後で、大石は先月手塚と来た事を思い出す。
ガラスの向こう側は魚。その後ろには人。休日なせいか、親子連れが多いかもしれない。
「「…………………………」」
話しかけようとした2人の口が薄く開いたまま固まる。
うっかり魚が部員に見えてしまった。
うっかり親子に自分と部員の姿を見てしまった。
その事を連れに話そうとしてしまった。
そこまで自分と部員、そしてテニスというモノは切っても切れない関係なのだという事を悟った気がする。当たり前すぎて、見失っていたかもしれない。
とん。
軽く握った拳をガラスにくっ付け、息を吐く。
「ここで止まっていても仕方ないし、他を見に行こう」
「ああ」
小さく頷きあう彼らの顔は、なぜか苦笑していた。
一通り回った終着点にある土産コーナーで、部員の好みを話し合う副部長たちの姿があった。
それは楽しそうに、まるで子供を自慢する母親のように。
青学と立海の副部長が、部活を休んでしまった日から数日経った5月初旬。
「もうすぐ母の日だなぁ」
桃城がそんな事を突然言い出した。
「なんスかいきなり」
越前が桃城を見る。
「大石副部長にも何か感謝の気持ちを込めて何か………」
「副部長は男だろうが」
ハァ?
海堂がすかさず敵意の満ちた突っ込みを入れた。
「んなこたぁわかってるよ!副部長って母親みたいじゃねーか」
「青学の母って呼ばれてるしね」
微笑を浮かべて不二が話に加わる。
「それイタダキー!大石〜〜っ、肩揉みしてやるよー。母の日は日曜日だしよー」
盗み聞きをしていた菊丸が、大石の方を向いて声を上げた。
「ズルイっすよ英二先輩」
「そうっスよ、俺が頂く所だったのに」
「ん?」
何だか騒がしくなり、大石が後ろを向き、手塚が眉間にしわを寄せた。
そこにはレギュラーを含む、たくさんの肩揉み希望の部員たちが手を上げていた。
同じような光景が、立海でも起きていたという。
「副部長’s企画」より母の日SSです。
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