チェンジ
この人が不二のお兄さん?
カッコ良い人だね。
金田の言葉が裕太の脳裏に余韻を残して響き渡る。
なんだよ。
お前も兄貴が良いのかよ。
裏切られた気持ちか、兄に大切なものを奪われた悔しさか、どちらかは良くわからない。ただショックを受けた事は確かであった。
金田は不二の弟ではなく、不二裕太としてルドルフへ来て仲良くなった大切な人。彼の前ぐらいは、兄より勝っていたい。
「よし」
意を決したように、裕太は部室のドアを開け放った。
部室には部長の赤澤とマネージャーの観月がミーティング………がてらにノートの中で○×ゲームを行っていた。
「キーッ!もう一勝負です!」
「はは良いぜ、○×ゲームで俺に勝とうなんざ100年早い」
どうやら赤澤の圧勝らしく、観月が苛立っている。どことなく、そこに漂うのどかな雰囲気。今は昼休みであった。空になった弁当の箱がテーブルの隅に置かれている。
「あの……良いですか……」
裕太が恐る恐る声をかける。
「おや。どうしたんですか?」
「おう裕太か。どうしたよ?」
観月と赤澤が振り返り、裕太は適当な席に腰掛けた。
「ゲームの途中にすみません」
「ま!ゲームですって?何の事やら!」
観月は赤澤の手ごとノートを閉じる。
「実は相談がありまして」
「さすが裕太くん。困ったことがあれば僕に聞く。賢い選択です」
さあ勉強でも恋でもどーんと僕にお任せなさい。
期待に目を輝かす観月の横で、赤澤は溜め息混じりに頬杖をつく。
「イメチェン…………したいなぁって」
「いっ……!!?」
衝撃のあまり赤澤の頬杖が崩れ、ガバッと観月の方を見た。
「イメチェン…………!イ・メ・チェ・ンですか…………!!?」
瞳の中に流星群を降らせて、観月は両手で頬を押さえて感激する。
赤澤の顔を冷や汗がダラダラと流れる。まさかこんな事が目の前で起きようとは……
観月2号の誕生の瞬間を目撃するハメになるとは……!
「裕太!お前早まるな!ゆっくり話し合っ………ぶふっ!」
バシッ!
観月がノートを抜き取って赤澤の顔面へ叩き付けた。
「赤澤は黙ってなさい。さあ裕太くん、まず何から始めますか?」
「髪を伸ばしたいんですけど」
「髪!髪ですか!結構結構!僕の行き着けの美容院へ」
「いえその…………」
裕太はほんのり頬を染めて、息を軽く吸う。
「赤澤先輩みたいな感じに………」
「あ?」
「はい、赤澤先輩です」
「ああ……………」
硬直してしまう観月に代わって、顔の痛みの引いた赤澤が復活した。
固まっている観月の僅かに開いた口からは“トウキョウモンノ ユウタクンハ ヤハリトウキョウモンノファッションガ イインデスネ ドウセボクハ ドウセドウセ”と呪文めいた言葉が囁かれていた。
「え?俺ぐらいまで髪伸ばしたいの?」
「は、はいっ」
「なんでまた」
「カッコ良くなるかな、と思いまして。絶対似合うと思うんですよ」
裕太はこう考えた。
周助とは同じ兄弟。だいたい土台は同じだ。
彼と同じ髪型にしたら、並ぶことは出来るかもしれない、と。
まずは追いつく事から始めたい、と。
「カッコ、良い、ねえ。おい観月」
「………………」
「観月」
赤澤は踵で観月の椅子の足を突付いた。その振動で観月が我に返る。
「なんですか?」
「俺みたいな髪型の裕太ってどうよ?」
「え?……………うーん………」
「んー」
2人とも唸ってしまう。想像すら難しいので、似合う似合わない以前の問題であった。
「そもそもなぜ、カッコ良いと確信がもてるのですか?」
「え、えっと」
兄と同じ髪型だから、とは言えない。
「昔髪が長かったとか」
「や……その」
「君の長さから言って、赤澤までなるのは随分な月日がかかると思うのですが。んーまぁ、手っ取り早いのが」
観月と赤澤は顔を見合わせ、同時に頷く。
「ノムタクー」
「野村くーん」
「なんだー?」
ロッカーの陰から野村が顔を出す。
「わ、ノムタク先輩いらっしゃったんですか!」
裕太は目を丸くして驚く。
「いたとは失礼だな弟くん。ミーティングに副部長は不可欠だろう」
ああでもウチの場合は。
思わず言いそうになった言葉を飲み込んだ。
「棚の中からカツラ取って下さいな」
「あいよ」
備品などが入っている棚から黒髪のカツラを取り出して、観月へ投げた。
「大切な物なんですから大事に扱ってくださいよ」
「な、なな、なんでそんな物が部室にあるんですか」
思わず裕太はカツラに指を指してしまう。
「裕太くん、これ無しでどう他校へ偵察に行けというのですか」
「そうだよ」
真顔で話す先輩2人に“この部、やっぱりズレてる”と内心裕太は思う。
「ほら、被って御覧なさい」
「はい」
裕太はカツラを被った。
「「ブッ!!!!」」
赤澤と観月が同時に噴出す。
似合わない。どうしようもなく似合わなかった。カツラが悪いのだと思いたいが、どうにもこうにも似合わなかった。
「ど、どうですか!」
裕太は真剣な表情で2人に詰め寄った。あまりに真剣なので、本当の事を言うのは気が引けてしまう。
「ごっ、ごほっ、えっと、なんだ」
赤澤はむせているフリをして、腹を抱えるように笑いを抑える。
「す、すみません…目にゴミが……」
ゴミのせいにして、おかしくて目許に浮かんだ涙を拭う観月。
「はっきり言って下さい!」
正直に言うか、嘘を吐くか、選択を迫られる。
「あっれ。どうしたの?」
グッドタイミングなのか、バッドタイミングなのか、木更津が部室へ入ってきた。その後ろには柳沢と金田もいる。
「「ブッ!!!!」」
裕太の姿を見るなり、木更津と柳沢が噴出した。
「なにやってるだーね裕太!」
「罰ゲームなの!?誰だよ考えたの!さいっこう!」
「「あははははははは!!!」」
指差し、互いを叩き合って大笑いしだす始末。
「そ、そんなに似合わないスか………?」
ショックを隠しきれない裕太の表情に陰が指す。
「こ、こら!笑っちゃいけません!」
観月が裕太の前へ出て、彼を庇う。一方の赤澤は机に突っ伏して笑いをこらえていた。
「観月だっておかしいと思ってるだーね」
「な、なにを!」
「だって目ぇ合わせてないじゃん?」
「そんな、事は」
木更津と柳沢は観月を押さえて裕太の顔を見せようとする。
「や、やめなさい!やめなさいってば!」
まわりが騒ぐ中、一人笑わなかった金田は裕太の元に歩み寄った。
「金田、お前は笑わないのか?」
視線を逸らして、裕太は問う。もし笑われてしまったなら、その顔を見るのが辛かった。
「ん?あんまりな事でビックリした。面白いよ?」
「お、おもしろ………」
金田に言われるのが一番のショックであり、裕太の背に重い何かがのしかかる。
「なに?どうしたの?」
「いや…………髪をな、伸ばそうかなって」
「へえ。良いんじゃない?」
「カッコ良いかなぁって………」
「うん、良いんじゃない?」
ニコニコして金田は答えた。
「金田は、どう思う?」
「俺?」
「うん」
ごくり。裕太は生唾を飲む。
「不二がそうしたいなら、そうすれば良いんじゃない?ここだって自分で決めて来たんだろ?そういうの決められる不二って凄いなぁって思うよ。カッコ良いよね」
木更津の助言あってか、普段思っている事を言葉で伝える。
ぱさり。
裕太の頭からカツラが落ちた。
顔が熱くてたまらない。
「俺、髪伸ばすの、やめるよ」
「そうなんだ」
「うん、このままで良いや」
「そっか」
「そう」
口元を綻ばせて、2人見つめあった。この場所だけ、時が止まったように、永遠のように感じた。
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