全て色も形も違うかもしれない。けれど、それは全て同じ方向に辿り着くのだと思う。



愛の法則



 一年前、山吹の地味'sこと、南と東方は青春学園の敵城視察へ向かった。
 次期部長になる南はペア名通りの地味で内気な性格から、先輩に押し付けられるように任せられてしまったのだ。東方は付き合いで同行していた。
 無事データを収集した頃には、既に太陽は傾きかけていて、地上をオレンジ色に染めていた。
「はぁ〜〜あ」
 南の深〜い溜め息に、東方は苦笑する。
「溜め息つきっぱなしだなぁ」
「だってよ」
 げっそりした顔を上げ、南は東方を見る。
「おっ」
 東方は南の肩を軽く叩いて指を指した。
「川があるぞ」
「あ、ホントだ」
 山吹中の周りにはビルだらけで、自然のモノは少なかった。せっかくだから川に沿って歩いて行こうと話を持ち出す東方に、頷こうとする南のこめかみが突如ひきつけを起こす。風に流れて、聞き覚えのある声が聞こえる。


 ねえねえねえ、君可愛いね


 馴れ馴れしい誘い言葉。聞き間違えるはずもない、その声の主は


「千石ッ!!!」
 南はズカズカと大股で大人しそうな女生徒をナンパしている千石に近付き、その頬をねじりをきかせて抓った。
「いらい!いららららら〜〜っ!!いらいよ!!」
 口の端を引っ張られて、千石は思うように喋れない。女生徒はこれをチャンスに去って行った。
「お前用事があるとか言ってなかったか!?」
「はい、言ってまひた」
 頬を押さえて、ぐすんと鼻を啜る。
「用事のあるお前が、どうしてこんな所にいる」
 腕を組んで見下ろす南は、千石には3倍近くも大きく見えた。
「そりゃデ」
「デ?」
「ひいいいいっ!!!ごめんなさいごめんなさいごめんな…」
 その場に座り込み、土下座を繰り返す千石に、南は微動だにしない。
 横目でチラリと東方の方を見て


 千石と話があるから、先に帰ってくれ


 というアイコンタクトを送った。




 キラキラと輝く川を眺めながら、それに沿って東方は帰路を歩んだ。眺めながら、試合のこと、来年のこと、勉強のことなどを考えていた。何もないと思い込んでいて、横ばかりを見て前をあまり見ていなかった。


 どんっ。
 何かにぶつかり、東方は芝生に手を付く。
 前を見ると、自分と同じように芝生に手を付く少年がいた。
 見た所中学生、顔にあざ、手にも擦り傷、傷、傷、傷………………
 血の気が引く。
「だ、大丈夫か!?」
 慌てて東方は四つんばいになって、彼に近寄る。
「え?」
「傷だらけじゃないかっ!」
「あ、はい」
 少年はきょとんとする。
「大丈夫かと聞いているんだ!」
「はい」
 こくりと頷くと、ようやく東方はその傷が自分の不注意によって招いたものでは無い事に気付いた。少し考えればわかった事だが、いささか混乱してしまったようだ。急に恥ずかしくなり、誤魔化し方を考えた。
「その傷、何か貼った方が良い。俺、救急セット持っているから、貸してやるよ」
 後ろに投げ出された鞄の上をパタパタ叩いて中身を確かめながら、東方は笑ってみせる。用意周到な相方に持たされたものがこんな所で役に立つとは思わなかった。
「でも……」
「これも何かの縁さ」
 遠慮する少年の手元に転がる鞄を見る。ぶつかっただけでもわかる。
「あの中、テニスラケット入っているだろ?俺も、テニスやってるんだ」
「え」
 目をパチクリさせる彼の瞳に、警戒心の色が薄れていく。




 手当てをしてやりながら、お互いの事を話した。
 東方は、東方という名前と、山吹という学校の生徒だと言う事、2年生だと言う事、今日は敵城視察で来た事を教えた。
 少年は、桜井という名前と、不動峰という学校の生徒だと言う事、1年生だと言う事、この道をいつも通っている事を教えた。
 傷の事を桜井に聞いた。先輩達にやられたのだと教えてもらった。上級生に優しくされたのは、初めてだと言った。会った時からピリピリと感じていた威圧感は、防衛本能から来るものだと理解した。彼は、恐れていたのだろう。悪いとは思いながらも、今自分のいる場所が、いかに恵まれていたかと言う事を実感してしまう。




「これで良し、と」
「有難うございます」
 笑いかける東方に、桜井は笑って答えた。手当てを終える頃には、すっかり打ち溶け合っていた。
「まあ、そのなんだ」
 東方は頭の中で言葉を紡ぎながら、桜井の目を見る。


「頑張れよ」
「……………」
 桜井は顔を曇らせ、俯いた。


「頑張っている奴に頑張れなんて酷だけど、頑張れよ」
「……………」
「諦めないでくれよ」
「……………」
「俺、君の辛さはわかってやれないけれど、嫌な奴いっぱいいるのわかっているけど、それでもテニス好きなんだよ。君にテニスを嫌いになって欲しくない」


「もう少しだけ、頑張ってみようと思います………」
 東方の熱意に押されたのか、それとも話を終わらせたかったのか、桜井は“頑張る”という言葉を口にした。
「いつか、試合したいな………都大会とかで」
「そんな遠い事………わからないですよ………」
「ごめん。ただ………君がそういってくれたのが、嬉しかったんだ………」
「……………」
「……………」
 2人はしばらく川を眺めていた。その後自然と別れた。








 何となくではあるが、東方は桜井の事を覚えていた。大きい大会がある度、彼を無意識に探していた。彼がテニスから離れていない事を願っていた。何か辛い事があった時、彼に言った言葉を思い出して、頑張ろうと思うようになった。彼は思い出だった。けれど、彼の存在は確かに、心の中にあるのだ。
 そして一年後、東方は都大会で“不動峰”という学校名を見つける事になる。桜井を見つけるなり、胸の中の何かが蘇るかのように、熱く、潤うような感覚に見舞われた。しかし、あの頃と変わりの無い、何かを抱える瞳に悲しくなった。不動峰は怪我をしているらしいという話を南から聞き、棄権という形は、宛ては無いが秘めやかに望んでいた夢を崩された気分であった。


 だが三度、東方は桜井と出会うことになった。関東大会2回戦で、山吹と不動峰は再び交える事になる。これは偶然、はたまた奇跡、運命なのだろうか。3度目の桜井の表情は明らかに変わっていた。明るく、希望に満ち溢れ、テニスを心から楽しんでいる感じがした。この姿を見られただけで、満足だったのかもしれない。まさか試合で当たるとは、最高の喜びだった。




 声をかけようと思った。
 また会えたね。それだけでも良いから、声をかけたかった。
 けれど、それはどうだろうか。
 あの時、初めてあった時の思い出は、彼にとって果たして良いモノなのか。
 2度と思い出したくはない、過去かもしれない。
 自分にはかけがえの無い思い出かもしれない。
 彼には、そうではなかった。ただ、それだけの事だ。


 あまりにちっぽけかもしれないが、確かに存在する好意の気持ち。
 こういうものは、大きさはもちろん、全て色も形も違うかもしれない。
 けれど、それは全て同じ方向に辿り着くのだと思う。


 想い人の幸福を願う。


 俺は何も言わない。
 だから、君の苦い思い出と共に、そのまま俺の事も忘れて欲しい。
 君が幸せになれるなら。




「南」
 試合を始める前に、東方は視線を動かさずに隣にいる南の名を呼ぶ。
「全力で行こう」
「え?」
「そうしないと…………俺たち、負けるぞ」
 東方の瞳には、今までに無い気迫が映し出されていた。




 桜井くん。
 ほんの少ししか言葉を交わしていないかもしれない。
 けれど、君の存在で、俺は今日まで頑張れたんだ。


 ありがとう。
 心の中だけでも、そう言わせて欲しい。


 後悔しないように。
 俺も君の事を忘れられるように。
 全力で戦いたい。




 南&東方ペアは石田&桜井ペアに勝つことは出来たが、山吹は不動峰に負けてしまった。
 挨拶をして解散すると、千石と東方の姿が見えない。
「あれ?千石〜〜っ?東方ぁ?」
 南はキョロキョロと辺りを見回し、他校生がごった返すフェンスの外へと消えていった。
 千石が伴田と話している頃、東方は人気の無い場所で、一人泣いた。
 悲しいのか、未練なのか、ただただ溢れて止まらないのだ。




 彼が思い出の中に居過ぎて、大きくなり過ぎてしまったかもしれない。
 外に出ることは無かったかもしれないが、内に熱く、灼熱のように愛していたかもしれない。
 それはもう、過去の事にしようと決めた。
 再び泣く事の無いように、涙を出し切ってしまう事にした。


 人の体の6割が水なのなら、きっと彼への想いも、それくらいあったのだろう。







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