学校から帰って来て、少し休んで、夕食を食べ終わる頃、アイツはやって来た。



to you



「よっ!」
 ドアを開けると、自転車に跨った神尾が軽く手を上げた。
「カラオケ行こうぜ!」
 少し高い声で誘う。
「はぁ?」
 冗談だろ?
 立ち尽くす桜井の顔には、そんな文字が浮かんでいた。
「行こうぜ!」
 調子を変えずに言ってくる。
「なっ!行こうぜ!」
 念を押すように、もう一度誘う。


「あ、ああ」


 桜井が返事をすると、それがわかっていたように、神尾はニッコリと笑った。


「じゃ、乗って乗って」
「ま、待てって」
 桜井は一度中へ戻って準備を整えてから、神尾の自転車の後ろに跨る。
「捕まってろよーっ」
 元気の良い合図を送って、神尾は自転車を走らせた。




「どこのカラオケ行くんだー?」
 神尾の腰に手を回して、桜井は話しかける。
「んー?安いトコー」
「それ答えになってないし」
「そうかぁ?ま、俺にドーンと任せておけよっ!」
 走行中に神尾は胸を叩こうとしてしまう。自転車はバランスを崩してグラグラと揺れた。
「バッ!殺す気かーっ!」
「大丈夫大丈夫」
 冷や汗まじりで、神尾はカラカラと笑う。








 カラオケ屋の前を通ると、神尾は自転車を着け、桜井の手を引いて中へと入って行った。
 順番が回ってくると、手早く注文を済ませて、カラオケルームのソファにどっかりと座る。


 流されるままに、桜井はマイクを持っていた。神尾はノリノリで歌っている。
 何が悲しくて、男2人で夜遅くカラオケなんてやっているんだろうか。
 俺、神尾のストレス発散に付き合わされてるんだろうな。
 頭の中は現実を見据えていた。


 しかし、楽しそうに歌う神尾の横顔を見ると、
 まぁ良いかと、許してやってしまう。
「ん?」
 視線に気が付いたのか、神尾が桜井の方を向いた。
「いや」
 桜井は笑って首を横に振る。


 もう1時間は歌った頃、桜井はジト目で神尾を見た。
 ソファに座って歌っていた。
 2人並んで座っていた。
 2人ピッタリ寄り添って座っていた。
 正確には神尾がくっついて来ているのだが。
 歌い始めの時からずっと、この調子である。


「ちょっと暑いな」
 聞こえるようにそう呟いて、離れようとするが、
「熱くなる方が良いじゃん!」
 あっさりと交わされてくっつかれる。


 くっつくのもそうなのだが、
 学校で会った時よりも、テンションが高かった。


 何かあったのかなぁ。
 少し、心配になった。


 好奇心旺盛な中学生。夜遅くのカラオケルームで、興味が湧いてくるのはやはり…
「酒、頼んじゃおっか」
 わざとらしい小声で、神尾が桜井の耳元で囁く。
「頼めないっつの」
 呆れた顔で言う。


「パパパラッパパー♪」
 神尾が可笑しなリズムと共に鞄から取り出したるは
「缶ビール〜」
 見慣れたデザインの缶ビールであった。


「仕舞えって、カメラがあったらどうするんだっ」
 桜井は慌てて神尾の出した缶を押し込めようとする。
 その手に、神尾は自分の手を重ねた。
 顔を上げる桜井に
「今日は良いじゃん」
 真顔で顔を近づけられて囁かれた。神尾の髪が、鼻に触れる。


 いつもとは様子の違う彼に、それ以上何も言えなかった。


 缶ビールを1つずつ持って、桜井は見つかった時の言い訳を考えながら、プルタブに触れる。
 神尾は先に開けて、喉を鳴らしながら、一気飲みをしていた。
「おい……そんな急に飲むと」
 警告は既に遅く、飲み終わった後の神尾は、たいして時間も経たない内に、眠ってしまう。








 気持ちの良いリズムが体を揺らす。
 目を覚ますと、そこはカラオケルームではなく、外であった。
 神尾は桜井の背に負われて、乗ってきた自転車まで引き摺って貰っていた。
 まだ酔っているのか、車輪の回る音が心地良いと思った。
「目、覚めた?」
「ごめん」
「歩けるか?」
「まだちょっと」
「そう」


 背中を通して、桜井と言葉を交わす。
 ぺったりとくっついて、神尾は自分のした事を後悔していた。


「今、何時?」
「日にち、変わったかも」
「メール、誰からか届いてた?」
「こんな状況じゃ見れねぇよ」
「電話は?」
「さあ」


「そう」
 神尾の声は、嬉しそうに聞こえた。


「桜井」
「ん?」




「誕生日、おめでとう」




「え?」
「俺の記憶が正しければ、今日は桜井の誕生日のはずだぜ」
「ああ………そうかもな。サンキュ」


 人気の無い所を歩いているのか、夜道は恐ろしいほど静かで、くぐもった声でも良く響く。


「本当は0時きっかりに、カラオケで歌って祝ってやりたかったんだ」
「あ……………」
 桜井はようやく、今夜の神尾の行動がわかったような気がした。
 いらぬ心配をしてしまったようで、安堵の息が自然と出る。
「どうしたんだ?」
「俺の誕生日で、良かったなって」
「え?」
「こっちの話」


「とにかく……一番に、言いたかったんだ。誰にも、邪魔されたく無かったんだ」
 だから前日の夜から連れ出した。
 カラオケは閉鎖された空間で、拘束をするには適当な場所だったのだ。
「神尾らしいな」
「そっ。俺!ってのを出したかったんだ」


「でも何で酒なんて持って来たんだ?」
「あー………っと、酒の力を借りれば言えるかなって」
「ドラマじゃあるまいし、上手く行くわけないじゃん」
「だよなぁ」
 神尾が笑う様を背中を通じて伝わってくる。
「何を言おうとしたんだ?」
「もう良いんだよ」


 酔っているのか、眠りに着く前まで考えていた事は、もはやどうでも良くなっていた。


 いや、そうじゃない。
 そうじゃないかもしれない。


 神尾は後ろから、桜井にギュッと抱きついた。


 いくら祝いの言葉を考えても、しっくり来なかった。
 いくら隣にいても、しっくり来なかった。


 そうなんだ。
 俺はこうやって、お前を抱き締めたかったんだ。


 わかったから、どうでも良くなった。
 勢いでも言ってしまおうと思っていた言葉も、どうでも良くなった。


 このまま、こうしていたい。


「ハッピーバースデー……」
 桜井にだけ聞こえる小さな声で、神尾は誕生日祝いの定番の歌を口ずさみ出す。
 夜道には、自転車の車輪が回る音が、奏でるように鳴っていた。







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