この時々押し寄せる、この衝動はきっと



独占欲



 伊武は部室で着替えながら、仲間と話して笑う桜井を無意識に目で追っていた。
 桜井の心は自分のものだと、わかっているはずなのに、チクチクと嫉妬心が胸を突付く。


 詰まらない考えだと思う。
 こんな思いは捨ててしまわないと、男女両方に嫉妬することになってしまう。


 しかし、心は目には見えないもので。
 確かな証を、目で、心で、体全てで、感じたいものだった。




 部活終了時、部室から仲間達が出て行った後、一瞬だけ出来る2人だけの空間。部室前で雑談をして“さて帰ろうか”という間までの僅かな時間。それが伊武と桜井の密会時間だった。


 一瞬。
 2人きり。
 秘密。


 タイミングの扱いが難しければ難しい程、興奮するものだった。
 この瞬間ほど、頭と神経を研ぎ澄まし、刺激を与え、恋を燃え上がらせるものは無い。
 有効に使えば、デートを含む色々な約束事を決めたり、愛の囁きに使ったり出来る。仲間が“何やってるんだ”とドアを開けるギリギリの瞬間まで、キスをし続けるというスリルを味わった事もあった。


 今日は、何をするんだ?


 期待とときめきに満ちた瞳で、桜井は伊武に視線を送る。


 伊武は神尾と一緒に出て行く振りをして、桜井1人を部室に残すような形を取り、部室を出る既の所で。
「今日は桜井と話したい事あるから、先に帰ってて」
 “そうなの?”と視線が桜井に集まり、彼はコクコクと頷く。
 皆を締め出すような形で出て行ったのを確認すると、伊武はそっとドアを閉めた。外の方では雑談が聞こえる。すぐに部室から離れる気配はしない。


 カチャ。
 外にいる仲間にも、中にいる桜井にも悟られないように、静かに内側から鍵を閉める。




「そうだ伊武」
 2人きりになり、すっかり恋人モードに切り替えた桜井は、早歩きで、それはもう嬉しそうに、伊武の元へ寄ってくる。
「明後日の事なんだけど」
「雅也」
 ふいに名前で呼ばれて、桜井の頬が名字の通りの桜色に染まったのが、明かりの消えた部室の中でもはっきりわかった。
 伊武が桜井の事を名前で呼んだ事など、デートの時はもちろん、体を重ねた時でさえ、全くといって無い。


 伊武の手が桜井の頬に振れ、呼ばれるように桜井は一歩前へ出た。
 息がかかる近距離まで、2人は接近する。


 桜井は視線を逸らさず、熱っぽい瞳で伊武の瞳を見つめている。顔の熱は引くことは無く、染まったままだった。心音が聞こえそうなほど、彼からは伊武を愛しいと思う気持ちが溢れていた。
 その顔を見れば一目瞭然なのに、もっと確かなものを求める欲望が渦巻く。




「俺の事、好き?」
 外に聞こえないように、小音量で口の動きにメリハリを付けて、伊武は問う。


「好きだよ?」
 きょとん、として桜井は答える。


「俺の事を好きって言って」


「伊武が好きだよ?」


「名前で呼んでみて」


 かあぁっ。
 押しては寄せる波のように、再び桜井は頬を桜色に染めた。


「……………」
 桜井は視線を泳がせる。


「ねえ」
 伊武は顔を近づけ、桜井の鼻の頭をぺろりと舐める。


 まだ桜井は視線を泳がせる。


 床に視線を止め


「…深司が、好き」
 桜井は答える。








 まだ。


 まだだ。


 まだ、足りない。


 もっと。


 もっと確かな証が欲しい。


 絶対的な、永久的な、証が欲しい。








「ねえ」
 伊武は手を伸ばし、桜井の制服のシャツの一番心臓に近いボタン、第二ボタンをいじる。


 カチッ
 カチッ


 爪でプラスチックをはじく音が、2人きりの部室に良く響く。


 カチッ
 カチッ


 ボタンをいじりながら、伊武は桜井の体を舐めるように視線を上下させて眺める。


 伊武が何をしたいのかは、だいたい察する事が出来る。




「伊武。それは………………その」
 桜井は口ごもりながら、ぼそぼそと言葉を続けた。
「着替えたばっかりだし……………………」


 本当は着替えなど、どうでも良い。
 まだ皆がドアの外にいる。
 聞かれたら、大事になってしまう。


「…………………………」
 伊武は黙って耳を貸す。


 言い訳なんて、とっくのお見通し。
 聞かれるのが嫌なだけなんだろう?


「そうだね」
 わざと、桜井の意見を呑んだ振りをした。
 ホッとしたように桜井は息を吐く。








「じゃあ、口でして」


「へ?」
 桜井には一瞬何の意味か理解出来ない。


 ぴちゃっ…
 伊武は下唇を、ゆっくりと音を立てて舌でなぞって見せる。


「ここの所」


「ご無沙汰じゃない?」


 一言、一言、間を空けて。


「着替えたばっかりだし」


「脱ぐのは面倒だし」


 先程の桜井の言い訳を逆手にとって。


「桜井が欲しくて堪らないんだ」


「でも、今ここじゃ出来ないし」


 ゆっくりと、宥めながら、誘導していく。




 桜井は恥ずかしそうに指をしきりに動かし、絡ませながら、必死に言葉を探している。


 困っている。








 自分の事で迷い、戸惑う様を眺める事に、快感を覚える。


 俺の最愛の人が、俺の事を考えて、迷っている。


 俺の事を傷つけずに、場を乗り切れる言葉を探しているんだ。


 俺は、彼に愛されている。




 いつから、自ら困らせたいなどと思い始めたのだろう。


 きっとあれだ。


 愛される快感の中に、愛を確かめたい欲が生まれたんだ。


 そこから、前触れも無く
 ときどき芽吹いて
 俺に悪戯を吹き込む。


 この時々押し寄せる、この衝動はきっと


 独占欲。








「…………………」
 伊武はハッと我に返り、現実を確かめるように瞬きをした。


 桜井はまだ言葉を探していた。
 目許が僅かだが赤い。泣きそうになるくらいに困っている。


 彼は知らないのだ。
 ここの鍵を閉めている事を。
 人が入って来る訳が無いのだ。


 酷く傷つけてしまった気がする。
 どうしようもない罪悪感に囚われた。


 困らせたかっただけで。
 ほんの少し、困らせたかっただけで。
 傷つけたり、無理強いをさせるつもりなんて無い。


 調子に乗って、言い過ぎただけなんだ。








「ごめん。嫌だったらやらな」
「するよ」
 桜井は伊武の言葉を遮ったが、彼は伊武の声が入らないほど考え込んでいたのだろう。


 膝を曲げ、床につける。
 震える手でベルトに手をかけ、ズボンのファスナーを下ろす。


 下着越しに伊武自身に触れる。


 桜井には伊武が息を呑むのがわかった。


 優しく掴み、ゆっくりと指を動かした。


 伊武の体が震えるように反応する。




「伊武がして欲しいと思う事は、出来る限り、してあげたいんだ」
 自分自身に言い聞かせるように、桜井は小さな声で呟く。
 これからする行為は、愛していなければ出来ない行為。


 下着をずらして、直に触れる。


 ゆっくりと頭を下げて、伊武の下半身に顔を埋める。


 桜井の息が、伊武自身にかかる。




「そんな事、しなくて良い!」
 泣きそうな声で伊武は桜井の頭を掴む。
「桜井は、そんな事をしなくて良いんだ!」
 引き剥がそうと手に力を込める。


「伊武?」
 桜井は上目遣いで伊武を見上げる。
 その瞳に射貫かれるように、伊武の鼓動が大きく脈打つ。


「して、欲しいんだろう?」
 小首を傾げて問う。


 視線を静かに下ろす。


「だって、欲しいって言ってる」
 桜井は熱くなっている伊武自身の先から、滲み出る物を舌先で舐め取った。




「駄目!」
 伊武は慌てて、桜井を引き剥がす。
「嫌だろ!?そんな…そんな事をさせたかった訳じゃないんだ」
 力なく、床に崩れ落ちる。
「ん?伊武?どうした?」
 桜井は心配そうに、四つん這いになって伊武の顔を覗き込んだ。


「ただ……………ちょっとだけ、困らせたかった………だけなんだ」
 正直に告白した。
「どうして、困らせたかったんだ?」
「桜井の、困った顔が、見たかったんだ」
「………」
 桜井の表情が僅かに曇る。
「桜井の、気持ちを確かめたくて、もっと、もっと良く確かめたくて……。ごめん…ごめん桜井……」
 伊武は何度も何度も謝り続ける。




 こつん。
 桜井は伊武の額に、自分の額を合わせた。


「呆れた奴」
「………ごめん」


「俺を困らせたって、俺の気持ちは変わらないのに」


 こつん。
 額を一度離し、もう一度合わせる。


「呆れた奴だな」
「………ごめん」




「俺も、困らせちまおうかなぁ」
「へ?」
 桜井は意地悪な笑みを浮かべたかと思うと、伊武の下半身に再び顔を埋めた。


 伊武自身を、温かい口内の熱が包む。


「あっ」
 堪らず伊武は声を上げた。


 舌先を動かし、刺激していく。


「伊武」
 桜井が口を離すと、伊武自身と唇の間が艶かしく銀糸で紡がれる。
「自分で言ったことは責任とらなきゃなぁ」
 そう言う彼の瞳は熱っぽく潤み、頬は上気して、色香を放っていた。
「気持ち良くさせてあげる」


 ぎこちなかった舌先は、しだいに箇所を押さえていく。
 伊武自身から零れる蜜を苦ともせず、飲み込む。
 自身から伝わる快感と、それを口に含む桜井の表情が、伊武を限界へと追い詰めていく。


「桜井…………も……ヤバい……離して………」
 息も絶え絶えに訴える。
「ん………ぅ?こん中に………出さないと………服が……汚れるだろ………?」
「で……っ……だけど……」
 伊武の訴えを無視し、桜井は愛撫の施しを緩めない。
「はぁっ………ごめ……ん……っ!」
 伊武はドアに後ろ頭を押し付けて、体を震わせる。桜井の口内に欲望を放つ。


 たまらず口を離し、受け止められなかった精が顔にかかる。
「げほっ、げほっ」
 飲み込むことが出来ず、床に咳き込むように吐き出す。
「ほら吐いて、吐いて」
 伊武は桜井の背中をさすって、吐き出させる手伝いをする。
「今、ティッシュ持って来るから。意地張ってこんな事しないで」
 立ち上がろうとする伊武の手を、桜井はすかさず握った。その手は彼の放ったモノで濡れている。


「なあ、気持ち…………良かった?」
 不安そうに揺れる瞳。


「やっぱその………………下手……だったよな」


 伊武は桜井の手を握り返す。弾かれた様に彼は顔を上げる。




「今度、俺がしてあげよっか?」
 ニヤ〜っと口の端を上げて、意地の悪い笑みを浮かべた。
「〜〜〜〜っ!!」
 桜井の口はへの字に歪んだ。







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