あなたとふたりで
「こらーっ、今は反省会の最中だぞっ」
菊丸は仁王立ちをして大石を見下ろした。
「ごめん」
菊丸を見上げて、大石は謝る。
2人は“いつもの場所”で反省会をしていた。夕陽は影を長く長く伸ばしていた。
「ったく、何ニヤニヤしているんだか…」
ふうっ。鼻で息を吐いて、菊丸は座る。
「だって手塚が」
「励ましてくれた?」
大石は頷く。
「ふーん。そりゃ良ござんしたねー」
だらんと足を投げ出した。
「大石があの手塚と付き合うなんてさ、正直どうかと思っていたけど、上手く行ってるようじゃん?」
頭を右へ左へ傾けて、首をコキコキ鳴らす。
「手塚と恋人、楽し?」
「うんっ」
幸せそうに、大石は微笑んだ。
「英二もすれば?」
「恋」
菊丸の頭の動きが止まった。
「まだ良い」
「ちょっと怖いよ」
「ふうん」
そう言って、大石は夕陽をぼんやりと見上げる。つられるように、菊丸も見上げた。
無表情な顔に開かれた大きな瞳の中に、真っ赤な太陽が揺れていた。
そんな、いつか見た夕陽と同じように、菊丸の瞳の中で揺れていたのは
「……………………」
「……………………」
すぐ目の前に立つ、樹の瞳であった。
何がどうして、このような状況になったのか、全てが吹っ飛んだように思い出せない。
ただ、今は、今この場所には2人しかいなかった。
ただ、体が熱くて、鼓動が鳴りすぎで心臓が飛び出しそうだった。
「ん」
樹の姿がぼやけたと同時に、唇に唇が触れる。
「……んぅっ………」
閉ざしたままの口の中に、舌が侵入してくる。それを待っていたように、自分のそれは絡まろうと歯の間から出て来た。
ばか。
何やってんだ。
頭でやめようと指令を送っても、舌は別の生き物のように、樹の舌と絡み合っていた。
「う……ん………」
樹は菊丸の胸にしがみ付き、その背を掻くように手で掴み、抱きすくめる。
「………………………………………………………………………………」
深い、深い、口付けをした。
全身から、樹を好きな気持ちが、流れるように溢れ出す。
窒息寸前で唇を離すと、銀糸が間を紡ぎ、無音のまま途切れた。
「はぁ」
「はぁ」
「はぁ」
「はぁ」
熱っぽく潤んだ樹の瞳は、菊丸をただ1人、真っ直ぐと見つめていた。
頼りない瞳は、菊丸をただ1人、求めていた。
「はぁ」
「はぁ」
「はぁ」
「はぁ」
息を吸って吐きながら、唇は何かを訴えるかのように僅かな隙間を作っていた。
「何、やってんだ………お前………」
「ばか………お前…………」
菊丸の瞳もまた、樹をただ1人、真っ直ぐと見つめていた。
「うん…………」
樹は菊丸の肩口に顔を埋める。胸を掴む手をやんわりとはずし、ピッタリとくっつけた。
ドクドクと激しい心音が胸を打ち付けて、奥の方へ振動させる。
「すげえ音……………」
「うん…………」
その声は、いつか見た夕陽の横で聞こえた、友人の声と重なって聞こえた気がした。
いつかの自分の声が、頭の中で騒いだ。
そうして、境界を越えようと淫らな欲望を含んだ腕は
上がらなかった。
固まったように、動かなくなった。
「だ」
「駄目っ」
「やめよっ」
菊丸は樹の体を離し、一歩後ろへ下がる。
「え?」
樹はきょとんとした顔で立ち尽くす。
「………ごめん……………ごめんな…………」
俯き加減に首を振り、服を手早く正す。
「菊丸………?」
樹は菊丸の腕に触れようとする。
「お前は、悪くないから………お前のこと……好きだからさ……今日は………ごめ………」
頭を抱えるように髪をくしゃりと掴み、俯くように謝った。
樹はなにも言う事が出来ず、菊丸を見つめていた。
「英二、どうしたー?」
「んー」
翌日の放課後、練習の終えた部室で、部長代理として部誌を書いている大石の正面を、菊丸が椅子を逆にして座って揺らしていた。
「俺、もうちょっとかかるぞー」
「んー」
「皆と帰らなくて良かったのかー?」
「んー」
「珍しいなー」
「んー」
部室には大石と菊丸しかおらず、椅子の揺れる音が良く通った。
「樹くんのことかー?」
「ん?ん、ん、んんーっ」
菊丸は顔をしかめる。
かたん。
椅子の音が止んだ。
「どうしたらいいかわからないのかー?」
「んー」
「怖くなっちゃったのかー?」
「んー」
「両方かー?」
「ん…………」
こくりと、頷いた。
大石はそのままのんびりと部誌を書き続けている。
「びびってんなー」
「ん」
「傷付けそ?」
「……………」
菊丸の大きな瞳は、ぎゅっと瞑って開かれた。
そんな彼をチラリと見て、口元を綻ばせる。
「傷付いたり、傷付けられたり、お互い様じゃないか?喧嘩もすれば良いじゃないか」
「大丈夫だって、英二。心配ないよ」
「うん………」
その言葉に、菊丸は大石と同じように口元を綻ばせた。
「そう、後押しが欲しかった?昔、俺にしてくれたみたいに」
「うん………」
小さく頷いた。
「もうちょっと早く言ってくれれば良かったのに。英二はそういう事になると全然言わないから」
僅かに菊丸の視線が下がる。
「手塚の事で、俺に遠慮してたなんて言うなよな」
書き終えた部誌の角で菊丸の額を突付く。
「思い出した。俺達が付き合いだした頃、その事を手塚に話したら」
大石は立ち上がり、むーっとした顔で額を押さえる菊丸を見下ろした。
「そういう悩みは俺に言ってくれれば良いのにって、膨れてたな」
視線をドアの向こうに向け、
「きっと、同じ事を思っているんじゃないか?」
挨拶するように、軽く手を上げる。
「ん?」
大石の視線の方向が気になり、菊丸が後ろを向いた先には、
「……………………」
樹がドアの横に寄り掛かって立っていた。
「な!?お前どうして…………!!」
慌てて席から立ち上がろうとするが、バランスを崩してよろける。
「どうもしないのね。菊丸に会いに来ただけです」
心なしか、口調は怒っているよう聞こえた。
「会いに来たって………距離あるだろう」
「そんな距離……………」
溜め込んでいたものが溢れそうで、樹は鼻を啜った。
「愛されているな、英二。大切にしろよ」
ぽむ、大石は菊丸の肩に手を置く。彼の方を見ると、既に帰り支度を整えているではないか。
「じゃ、お先」
「お、お、おおいしーっ、お、お、おーい…………」
菊丸の手にはいつの間にか部室の鍵が押込められており、不意をつかれ、引き止めるタイミングを失っていた。
パタン。ドアが静かに閉まる。
静寂の中で、糸に引かれるように菊丸と樹は相手の方を見ると、歩み寄った。
そのまま近付いて行き、抱き締めあう。
「どうして、昨日は駄目だったの?」
耳元で、樹が囁いた。
「うん……………わかんなくなっちゃって」
「俺もわかんなかったのね」
クスクスと体を小さく震わせて笑う。
「菊丸……………可愛いですね……」
「お前の方が、可愛い」
抱き締める腕に力を込めると、指にかけていた部室の鍵の紐がずり落ちて、床に金属音を鳴らした。
「良いのか?」
「はい?」
「止めねーぞ…」
「……………………」
樹は口付けで答えた。
「…………は……」
バンッ。
ロッカーに手を置いて、樹は切ない息を吐く。
「逃げんなっつの…」
菊丸は指の腹で顎を固定させ、猫のような仕草で首筋を舐め上げた。
舌は首から耳の後ろへ回り、耳の中へと入り込む。
「……っ………くすぐった…………へ、変な感じがします………」
くちゅっ。
耳の性感帯を舌の先で突付いた。
「あ」
身震いをして反応する。
衣服を巻く仕上げ、吸うように口付けを落としていく。
「………………ふっ………ぅ…………」
声が漏れぬように、指で口を押さえるが、隙間から吐息が漏れた。
膝が思うように立たず、樹は震える体で菊丸の首に手を回す。
「気持ち……いい……のね」
音がするように、短く菊丸の首元に口付けをしたかと思うと、きつく吸って印を付けた。
「溶けそうに熱いよ」
腰を引き寄せ、自分と樹の自身を取り出し、一緒に手で包み込んで擦り合わせる。
「や、やめ…………あ………っ…………やぁっ………」
樹は真っ赤になって生理的な涙で瞳を潤ませた。
菊丸のすぐ耳元で甘い声を出されるものだから、さらに欲情を掻き立たせることになる。
自身から零れる蜜が絡まって、羞恥で死んでしまいそうになるくらい、卑猥な音を立てていた。
「菊丸……………も……………駄目…………………」
ぎゅーっとしがみ付いて、漏れそうになる声を押し殺しながら、樹が限界宣言をする。
「俺も………だってお前、エロいんだもん………」
「ばか………………………」
1つの形のように2人きつく抱き合ったまま、欲望を放つ。
腕が痺れて支えられなくなるまで、この体勢のままで幸せを感じていようと思った。
「あ―――――――あ…………手塚、会いたくなっちゃったよ…………」
一人帰路へ続く通学路から上を向いて、大石は空に笑いかける。
細められた瞳に、真っ赤な太陽が揺れていた。
いつか、同じ瞳で、最愛の人の顔を映したいと思った。
ある漫画の影響を受けてしまった。タイトルはこれを打っていた時流していた曲の名前で。
Back