「あの…本気?」
 菊丸の口から、思わずそんな言葉が漏れた。



落ち込んだなら



 関東ジュニアオープンへ向けて、コートでトレーニングをしている時であった。
「あたっ」
 菊丸の上げた声に、仲間達が振り返る。
「いてて……」
 向いた先には、足を押さえている菊丸の姿があった。ひねってしまったようだ。足の負傷。安静の為、彼は一週間、トレーニングには参加出来なくなってしまった。
「ごめん。大事な時期に」
 メンバーに苦笑いで詫びる。


 ベンチに座り、休んでいる菊丸を横目で見て、樹は同じメンバーの大石を呼び止めた。
「大石」
「ん?」
「菊丸、落ち込んでいるようですけど」
「うーん、英二は引き摺っちゃう方だからなぁ」
 顎に手を当て、大石は言う。
「………………で?」
 目をパチクリとさせて、樹を見る。
「大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫だよ」
「でも……ええと……」
 樹は口ごもる。大石は菊丸の落ち込んだ様子に、慣れているのかもしれないが、樹は慣れていない。慣れなどは関係無いのかもしれない。好きだから、気になるのだ。
「……なんでもないのね」
 ぽつりと呟いて、大石の元を足早に去った。




 煮え切らない思いを胸に秘めたまま、その日の練習は終わり、メンバーは帰宅していく。菊丸はまだミーティング室に残っているようで、樹は部屋の中に入った。
「菊丸、いますか?」
「いるよん」
 椅子を引いて、菊丸は振り返る。
「何やっているのね?」
 出来るだけ明るい声で話しかけた。
「ああ、今日の練習のメニューについて、ノートに。大石の代わりに書く事にしたんだ」
「ふーん」
 机に座り、ノートを見下ろす。
「退屈だしな」
「……………………」
 そう言われると、何を言えば良いのかわからず、黙り込んでしまう。


「大石と帰らなくて良かったんですか?」
「先に帰って良いって、言っておいた」
「なんで?」
「………そりゃ樹が…………」
 言いかけて黙り込む。菊丸のペンの動きが止まった。
「俺が、何なのね?」
「いや………別に…………」
 言葉を濁らせ、言おうとしない。
「はっきり言って下さい」
「樹が…………」
「はい、俺が?」


「元気、なさそうだったから」


「は?」
 樹は、顔の温度が一気に熱くなるのを感じた。
 菊丸を心配している自分を、菊丸は心配していたようだ。想い合っていた事が恥ずかしい。こそばゆかった。
「俺は佐伯や、六角の連中じゃないから、お前に気の利いた事言えないのかもしれないけど、俺だって……俺にだって…………」
 ぼそぼそと独り言のように呟く。首が徐々に下へと傾いていく。
「俺は、菊丸が怪我をした事、気にしているみたいだったから……」
「俺は大丈夫だよ」
「大石にも言われました。でも………」
「……………………」
「……………………」
 2人とも、口を閉ざしてしまう。
 菊丸は樹の袖を引っ張り、机から降りるように促す。隣の椅子に座る樹に、菊丸は言った。
「そんなに気にするなって」
「はい……」
「……………………」
「……………………」
 またもや言葉を失ってしまう。
 心臓は早鐘のように鳴り、落ち着かない。




 樹は椅子を引き寄せ、菊丸の頬に吸い付くような口付けをした。
 菊丸の首が僅かに動くのを逃さず、今度は唇同士を合わせる。浅く、深くを繰り返して、口付けを交わす。
「んぁ……」
 口の中を割られ、樹の舌が侵入してくる。ぞくりとする感触に、菊丸は体を離した。
「これ以上は、ほら」
 怪我をした足に視線を下ろす。このままでは抱く事が出来ない。
「心配ないのね」
 樹は熱っぽく、菊丸の耳元に唇を寄せて囁く。企むような笑みを見せて、椅子を立った。


「樹?」
 身を屈め、机の下に回る。股の間から樹の頭が見えて、菊丸の顔が引き攣った。
「おい……」
 止めるべきか、任せるべきか、迷う内に、ベルトのバックルははずされ、ファスナーを下ろされ、下着の間から自身を取り出されてしまう。
「………っ………」
 自身に触れられたと思えば、口内の熱に包まれて、顔をしかめた。理性は快楽の波に押されて、菊丸は手探りで樹に触れて、引き寄せる。
 机の下から樹の様子を覗くと、彼の瞳と目が合う。見上げたまま、自身を口と手でし続ける愛撫。
「………は………」
 菊丸の頬は上気し、熱い息が吐かれる。
「…う……………」
 呻き、耐え切れず、机に前屈みになって突っ伏す。ぎゅっと目を瞑ると、愛撫する水音が聞こえて、情欲をそそられた。


「ん」
 銀糸を引かせて、樹は菊丸自身から口を離す。
 四つんばいになって机の下から出て来て立ち上がる。横から、舌で唇を濡らすのが見えた。
「ね、心配ないのね」
「ん……ああ」
 菊丸は顔を高揚させたまま、僅かに首を動かす。しばらく復活出来そうに無い。
 樹は何食わぬ顔で菊丸の横を通り、鞄の置いてある場所へ行き、中を漁る。取り出されるものを、菊丸はぼんやりと眺めていた。




「あの…本気?」
 菊丸の口から、思わずそんな言葉が漏れた。
「ええ、本気ですとも」
「……………………」
 体が熱く、床が余計に冷えている感触がする。
 菊丸は横に寝て、樹がその上に跨っていた。この体勢で、交接しようというのだ。
 見下ろしてくる樹の顔は、とても淫らに見えて、これからしようとする行為を想像すれば、血潮が騒ぐ。
「足、痛かったら言って欲しいのね」
「ん、うん」
 首をカクカクさせて頷く。
「お前も、無理するなよ」
「ええ…………」
 妙な間が空けて、樹の手が菊丸自身に触れて、掴まれる。ローションが絡んだ、濡れた音がして、緊張が走る。もう一方の、ローションを使って慣らした場所を引き寄せて、樹は腰を沈めていく。
「「…………あっ………」」
 体が重なると2人同時に、体を震わせた。
「………く……」
 窮屈さと甘い歓喜に、菊丸は顎を上げて、顔を反らせる。堪えようと、手に力を込めるが、床が滑って、上手く押さえられない。
「は」
 樹が痛みに顔をしかめたまま、腰を揺らし始めた。汗が浮かんで、卑猥な水音に、ますます熱くなるばかりであった。


「…………あっ………あ………」
「…ん………っ…………………」
 揺らし、揺らされる度に、2人の薄く開かれた唇から、漏れる切ない吐息。なじんで来たのか、菊丸は樹の腕を取って、もっと揺らそうとする。
「ちょっと、菊丸…」
 痛みはとっくに快楽へ変貌を遂げており、もっと深くなる歓喜に、意識を持っていかれそうになる。
「やめて欲しいのね、だから駄目ですって」
「嘘吐けよ」
「……………………」
 とっくに見抜かれていた。壊れてしまいそうになるくらい、重なり合いたかった。
 涙がボロボロと零れて、顔はぐしゃぐしゃで、菊丸の目元にも、涙が浮かんでいた。限界が訪れて、欲望がはじける。吐き出した後、顔を互いにまじまじと眺めてしまい、笑いが込み上げた。




 帰り道、足を引き摺る菊丸に樹は肩を貸して、2人肩を並べて歩いた。怪我人を助けるという口実ならば、体を堂々と密着させる事が出来る。幸せな反面、やはり心配であった。
「あのう、菊丸。大丈夫って言いましたけど………」
 心配をさせて欲しいと言おうと、菊丸の顔を覗き込む。
「何か言った?」
 振り返る菊丸の顔は、赤く染まっていた。かなり照れているようだ。
「なんでもないのね」
 言うのは明日にする事に決めた。







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