一緒に帰ろう
菊丸はミーティング室のドアの前に立っていた。
軽く握った拳を上げたかと思うと、下げてしまう。同じ動作を2、3度は繰り返していた。
練習を終えて、シャワーで汗を流し、制服に着替え、帰宅の準備は整っている。けれど帰らずに、ドアの前に立っていた。
ええい、ままよ。
心の内に決意し、ドアを開ける。
中には人が1人。長椅子に座ってテーブルに向かい、何かをしている。菊丸の目当ての人物であった。なんとなくズボンのポケットに手を入れ、さりげないフリをして名を呼んだ。
「よお、樹」
呼ばれた人物、樹は顔を上げ、菊丸を見たかと思うとテーブルに視線を落とす。テーブルの上にはノートと筆記用具が置かれており、彼は今日の練習内容を纏めているようであった。
「なんなのね」
呟くように、樹は言う。
「何って、そりゃあ、まぁ、その」
言葉を濁しながら、樹の隣に座り込む。手はポケットに突っ込んだままであった。
「帰らないのね?」
ノートに書き留めながら問いかける。
「帰るよ」
背もたれに寄りかかり、ポケットから手を出して伸びをする。帰るには帰るのだが、せっかく共にいられるのだから、彼を誘って帰りたかった。けれど誘う事に照れを感じて言い出せないでいた。たった一言だけなのに、どうでも良い話題を口に出してしまう。
「お前、まだ着替えてないんだな」
横目で見て言う。樹はまだ着替えておらず、テニスウェアの姿であった。
言葉を紡ごうと、唇を薄く開いたまま、不意に菊丸の胸がどきりと高鳴る。窓から降り注ぐ夕焼けのオレンジの光が、樹の肌を照らしていた。海遊びはするのに、六角の連中は色が白く、健康的なラインが妙に艶めかしく映ってしまう。
こんな事を感じてしまうのは俺だけなのかもしれないと、ズレに悩むが、俺だけという特別な事なのだと考えれば、貴重なものだと思えてくる。一旦思えば、胸の高鳴りはさらに早まっていく。
「一体、なんなのね」
樹はゆっくりと振り返り、菊丸を見た。視線が気になるらしい。
「別に」
素早く返した言葉は、逃げの言葉であった。樹とは照れる仲ではない。手も握ったし、肌を合わせた事もあったし、性器に触れた事もある。隠す部分などはない。見慣れ、欲望も満たしたはずなのに、胸の高鳴りはこうして突如訪れては菊丸を戸惑わせた。底を知らない情が溢れるのだ。
「別にじゃ、わかりません」
ペンを置き、身体ごと菊丸の方へ向ける樹。瞳は疑いの色を示していた。
「見ちゃいけねーのかよ」
「いけません」
即答であった。面を食らう菊丸に、樹は長椅子に手を置いて、にじり寄って来る。
「気になるのね」
身体が近付いて、影が出来た。布摩れの音がして、胸と胸が合わさった。2人とも、心音が早い。
「俺、お前が気になるのね」
耳元で、菊丸だけに聞こえる声で囁く。息が耳に触れて、こそばゆくも熱くなるものを感じた。
「…………………………」
ここで俺も、と言えれば良いのだが、言い出すタイミングがわからずに黙り込んでしまう。
はーっ。樹は溜め息を吐くと、身体を離した。背もたれに寄りかかり、樹に迫られたので菊丸は体勢を崩してしまい、座り直そうと身体を動かそうとした時、硬直してしまう。
樹の手が布越しに自身へ触れていた。力をこめられ、握られる。嫌な汗が流れるのを感じた。樹を見ると、彼は恍惚とした表情で自身のある場所を見つめている。そう熱視線で見据えられると、羞恥を仰がれ、顔の熱が高まっていく。
ここで乗せられては駄目だと思っていても、身体は正直に、自身は張り詰めていく。
「こっちに聞く事にします」
「聞くなってっ!」
口で突っ込みを入れても、慣れた手つきでベルトのバックルははずされ、ファスナーが下げられ、下着から自身を取り出されてしまう。
片手で掴まれ、親指と人差し指で頭の部分を弄られ、湧き上がる快感に菊丸は吐息を漏らす。
「は」
五本の指で箇所を捉えられれば、顔をしかめた。けれど上気する頬で気持ちが良いのだとわかる。樹はじっとその様子を伺う。口元は弧を描き、目を細め、彼に酔っているようだった。手は休めずに、菊丸自身を愛撫し続ける。
「……ん………………っ」
体勢を崩したままの不自然な姿勢で、低く呻く。変に身体を動かせば、快楽に流されてしまいそうで、自身を保とうと動けないでいた。意識は超えていないのに、理性が端から削られるように崩れていき、自身は形を変えていく。
「あ」
意識を持っていかれそうな、朦朧とした頭の中で、耳を伝って濡れた音が聞こえ始める。先端から蜜が滲み出て、樹の指を汚した。
「気持ち良いですか」
そっと指で蜜をすくい、口元へ持っていく。見せ付けるように唇へ付けて、その隙間から姿を現した赤い舌が舐め取る。そうしてまた自身を手で包み込むと、椅子から下りようと腰を上げた。
「だから、やめろって」
何をするのかわかったのか、菊丸は制止をかける。なぜこのような事になったのか、ここへ来た目的は崩れてしまい、なすがままにされて、このまま流されたくはなかった。
「やめろなんて、初めて聞いたのね」
「だからさ、今日は一緒に帰るんだよ」
つい、ぽろりと零した、ここへ来た目的。樹は目をパチクリとさせる。
「はぁ?」
「そのさ、一緒に帰ろ」
「はぁ……」
相槌を打つしかなかった。
「菊丸が誘うなんて、珍しいのね」
樹はくすくすと笑う。菊丸はふてくされたような顔をするが、照れ臭いようだ。
「あと、さぁ」
「?」
「俺もお前が気になる」
一言本音を漏らせば、二言目はすんなり言えてしまう。
笑い声が一瞬止んだが、また樹は笑い出す。菊丸の口元も僅かに綻んでいた。
「でも」
ぴたりと笑うのをやめる。
「そのままには出来ないでしょう」
自身を押さえた手を一度上下させた。片足だけ椅子から下ろし、顔を近付ける。息がかかってドクドクと心臓は脈打つ。
「そんな事する必要、ないだろ」
顔を上げさせようと伸ばした手は、樹の一言に固まってしまう。
「だってこうすると、菊丸の反応が面白いですから」
下を向いていて表情は見えないが、恐らく笑っているだろう。
「面白いか?」
「ええ。今みたいに困るじゃないですか。俺見る顔、凄くいやらしいのね」
「そうかな」
「そうですよ。それに、好きでしょ」
「………………………」
口ごもり、何となく頬を掻く菊丸。こうしている時の樹は、支配欲をかきたてられるが、同時に何を思っているのか見えない部分があり、引き込まれてしまう。わざと引っ掛かる罠のようだと彼は思う。
「話が出来なくなるのが、デメリットですけど」
そう言って耳の後ろに髪をかけると、樹は口を大きく開いた。
「樹」
「は?」
口を開けたまま問う。
「こっち、見んなよ」
答えぬまま、菊丸自身を咥え込んだ。
「あっ」
口内の熱が包み込み、菊丸は堪らず声を上げる。
樹は菊丸自身を口から解放させると、舌で裏筋を舐め上げた。唾液と蜜で濡れた自身は、鈍い光を放ち、卑猥で淫らな2人だけの秘密の象徴へと変貌を遂げる。
「…………はっ……………」
吐く息は熱く、吸う息は鼻の抜けるような音に聞こえた。
「ん…………んん……」
口の中へ出し入れを繰り返し、わざと水音を立たせる。樹の頬はすっかり上気していて、染みるように湧き出た涙で視界が滲む。含んだままで顔を上げようとする樹の頭を、菊丸が押さえる。
「上げんなって」
きっと目が合ったら我慢が利かなくなるだろう。目を合わせるわけにはいかなかった。
「ん」
それでも樹は顔を上げてきて、菊丸の顔を見上げた。目が合うと、射抜かれたように離せなくなる。一気に限界が近付いていく。樹も目を逸らさぬまま、菊丸自身を口の中から解放させ、銀糸を引かせながら舌先で舐り続ける。
「上げんなって言っただろ」
怒ったような素振りを見せた。最後の抵抗に近い。
「その面見ると、めちゃくちゃにしたくなるんだよ」
「すれば良いじゃないですか」
挑発的な態度を取った。
「じゃ、するぞ。俺、もう駄目」
「…………え?」
きょとんとする樹の顔に、菊丸は自身にそっと手を添えると、欲望を放つ。
どろりとした白濁した体液が、樹の顔を汚した。
「な、なにするのね」
上気させた頬をさらに赤らめる。頬に手を伸ばし、指に付着した物へ視線を落とすと、指同士を擦り合わせた。
菊丸はというと、自分の欲望で汚れた樹の顔を見て、征服欲に満たされ、嫌味なくらいにご満悦である。
「一度やってみたかったんだよね」
「馬鹿じゃないですか、どうしてくれるのね」
「拭けば良いんだろ」
菊丸は背もたれから背を離し、机を押して空間を作り、辺りを見回す。樹は膝を床に付けたまま、彼の行動を眼で追った。
「ティッシュある?」
「そこに入っていると思うのね」
後ろの席に乗せてある鞄を指差す。
「借りるよ」
鞄からティッシュを取り出し、まず自分の方の汚れを拭い取り、下着を上げて自身を仕舞いこんだ。
新しいのを何枚か取り出し、樹の身体に馬乗りになるように床へ倒した。
「顔、良く見せるよ。じゃないと拭けないから」
膝を床につけ、中腰の体勢で樹の顔を見下ろした。舐めるように見られて、今度は樹が羞恥を仰がれる番であった。菊丸は身体を屈め、重なるように寄せてくる。
軽く押すようにティッシュを当てられ、丁寧に汚れを拭っていく。
「なんだ。優しいじゃないですか」
言葉が返ってこないまま、菊丸は指で白濁した欲望を掬うと、樹の口の中へ含ませた。表情を変えぬまま、ごくりと喉が揺れる。
「なんだよ、可愛いじゃん」
押し付けるように数回、口付けを落とす。
「舐め取ってくれても良いんですよ」
「どうすっかな」
舌を出して、線を描くように頬を舐め上げる。
「ん」
心地良さそうに、樹は短く呻く。
「樹、お前もさ」
菊丸は身を起こし、樹のハーフパンツの中へ手を滑り込ませた。
「キツいだろ」
下着を通って樹自身へ到達すると、口元が弧を描く。樹の顔を見下ろしながら、自身を愛撫して反応を楽しもうとする。
「帰るんじゃないのね」
湧き起こる快感を表に出さないように、呟いて見せた。
「帰るよ。でもよ、このままには出来ないだろ?」
樹の真似をして見せる。余裕の態度とは裏腹に、樹自身を捉え、愛撫する指の動きは強くて荒々しい。
「勝手にして下さい」
投げやりに言い放つと、たがをはずしたように快感を示しだす。
切ない吐息と息遣いが、静寂の中へ通り、夕日は徐々に確実に沈んで行った。
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