「俺とペア、組まない?」
 勇気を出して言った言葉が、昨日の事のように頭の中で余韻を残している。



これからも、よろしく



 学校の垣根のないペアでダブルスの試合をする『月刊プロテニス杯』。伊武はこの大会の話を友人の神尾から聞いた。


 桜井と組みたい。


 話を聞いた途端、心の中で囁く。


 桜井と組みたい。


 桜井と組みたい。


 桜井と組みたい。




 囁きは疼きとなって、鼓動を高鳴らせる。
 伊武は一年の頃から桜井に想いを寄せていた。伊武自身、不器用な人間なので、それは表現される事なく今に至るが、日に日に想いは募るばかりであった。きっとこのまま何も伝えることのないまま、3年になり、卒業していくんだろうか……そんな事を最近、良く思うようになっていた時にこの話だ。伊武には非常に魅力的である。
「深司、もちろん出るだろ?」
 神尾が笑いかけた。
「うん」
 そっけない様子だが、力強く伊武は頷く。
「ダブルスがもしミクスドだったら、杏ちゃんと組めるのにな〜〜」
 頭の後ろに手を組んで、神尾が言う。
「もしミクスドでも、相手の意思ってものがあるだろ?」
「うわ、ひでぇ!」




 相手の意思ってものがあるだろ?


 自ら発した言葉に、ズキリと胸を痛めた。
 桜井にだって、意思がある。断られるかもしれない。
 やっぱ、駄目だ。
 駄目なんだ。
 気持ちが一気に沈んだ。




「でもな!」
 神尾が伊武に詰め寄った。
「組んでくれるかもしれないじゃないか!頼んでみなきゃ、わかんないだろ!!」
「だから、ミクスドはないって」
 暑苦しい神尾の視線を逸らし、伊武は耳の後ろに髪をかける。
「だから、もしだよ!もしぃ!」
「はいはい」




 頼んでみなきゃ、わかんないだろ!!




 そうだね。
 神尾はホントにたまにだけど、俺に勇気をくれる。
 有難うなんて言ってやらないけれど。
 伊武は桜井をダブルスペアに誘う決心をした。




「俺とペア、組まない?」
 シンプルかもしれないが、勇気を出して言った。桜井からして見れば、その時の伊武はとても挙動不審だったかもしれない。けれど桜井は、伊武の好きな笑顔で。
「いいよ」
 そう言ってくれた。








 あれから、もう一週間経つ。今日が練習最終日。そして明日は大会だ。


 しかし。


 一週間前と同じ不安が、伊武の心を締め付けていた。


 桜井は、俺と大会に出てくれるだろうか。と。








 最後の練習はダブルスに決めた。
 桜井の隣に並んでストリートテニス場へ向かう道が、近いようで遠く、遠いようで近く、何とも言い難いのだが、この道がもっと長くなれば良いと思った。
「「………………………………」」
 テニス場へ着き、ダブルスの対戦相手を見るなり、伊武と桜井は唖然とする。
「お、来たな」
「さっそく始めようか」
 橘と手塚がラケットを手に取ってコートの中へ入った。
「た、橘さんと手塚さんが対戦相手なんですか!?」
 思わず伊武は大声を上げた。珍しい反応に、橘は目をパチクリさせてから“そうだよ”と落ち着いた口調で答える。
「伊武」
 桜井が伊武の肩に手を置いて振り向かせる。
「頑張ろう」
「…………………………」
 伊武は無言で頷き、試合を始めた。




 桜井と一緒に練習をした一週間は。
 嵐のようにあっという間の出来事だったが、夢のような輝いた時間だった。


 桜井が、俺を見てくれる。


 桜井が、俺の名を呼んでくれる。


 桜井が、俺を必要としてくれる。


 幸せすぎて、怖いんだ。
 桜井をもっと好きになるのが、怖いんだ。


 桜井は本当の所、どう思っているんだろう。


 俺をペアだと認めてくれているのだろうか。


 俺と大会に出てくれるのだろうか。


 幸せの死角にそんな不安が押込められているのだ。




 最後の練習が橘さんと手塚さんなんて最悪だ。


 勝てる訳がない。


 負けて、桜井が自信を無くしてしまったら。


 大会に出てくれないかもしれない。




 だから。
 たとえ相手が橘さんと手塚さんでも、負ける訳にはいかない。


 桜井ともっと一緒にいたい。


 でも現実は、やはり現実で。
 伊武の頑張りは空回りに終わり、桜井に迷惑をかけてしまう。
 惨敗だった。




「負けちゃったな」
「…………………………」
 誰もいなくなった夜のストリートテニス場で、伊武と桜井はベンチに腰掛けて反省会をする。夜空にぼんやりと満月が輝いていた。伊武はじっと俯いて、口を閉ざしている。
「伊武、落ち込んでいるのかぁ?」
 茶化す口調で桜井はスポーツタオルで、伊武のこめかみを伝う汗を拭ってやる。
「汗拭かないと風邪ひくぞ」


 桜井の声が遠く感じる。
 どうせ大会には出れない、風邪をひいたって良いさ。


 伊武の心は深く沈み込んでいた。


「やっぱ橘さんと手塚さんは強いよな。ありゃ詐欺だ」
「…………………………」
 桜井の笑う声が妙に響く。
「大会もあんな強力ペアがたくさん出るのかな?」
「…………………………」


 ああ、次に桜井から大会出場断りの言葉が来る!
 伊武はぎゅっと目を瞑った。




「でもまあ、俺達なら何とか出来るだろ」




「え?」
 伊武は顔を上げて、きょとんとする。
「え?って……………………ええ!?」
 桜井はガバっと伊武の顔を覗き込む。
「伊武!ひょっとして、さっきボロ負けしたもんだから大会出ないとか言わないよな!?」
 桜井の顔が間近にあるものだから、頬を染めてポカンと口を開けたまま、伊武はふるふると首を横に振った。
「……………………さ、桜井が」
 視線を逸らし、小さな声で言う。
「俺が大会出ないって言うと思ったのか?」
 こくこく。
 伊武は小さく何度も頷く。




 桜井が。
 その言葉だけで、何を言いたいのかわかってくれた。




「伊武お前、いっつもそうな」
「?」
 桜井は座り直し、視線をコートに移す。
「1人で頑張りすぎ。俺に遠慮しすぎ。俺の事、信用してくれねぇのかよ」




 桜井の表情が良く見えない。
 嫌われた?
 伊武はどうしようもないくらい悲しい気分に駆られた。




「違う……………………俺は、ただ」




 桜井と一緒にいたかった。




 視線をコートに向けたまま、桜井は小さく首を横に振る。
「ごめん。伊武の事、ペア組むまで良くわからなかったもんだから…。この一週間は驚かされる事ばかりだった。伊武の色んな部分を見て、それはほとんど俺が初めて見るモノで…。発見が多すぎなものだから、追いついていかなくて…混乱して。伊武に1人頑張らせていたのは俺なのかもな」
 ごめん。
 桜井はもう一度付け加えた。
「俺たち、ダブルスペアとしては未熟すぎだな」
「…………………………」
 伊武が俯こうと顎を動かした時、桜井が伊武の方を向く。
「でも、結構イケてるんじゃないか?さっきの試合だって結構食いついていたじゃない」
「え?」
「伊武、そんな顔するなよ。結果はどうあれ、ここまで頑張ったんだ。大会、出るよな?」
 桜井はニッコリと笑う。
「…………うん」
 伊武はこくっと頷く。笑顔につられて、思わず顔が綻んだ。




「じゃあ」
 桜井は手を差し出す。








「これからも、よろしく」








「こちら、こそ」
 伊武は手を握り返した。




「伊武って手、大きいのな」
 握られた手に、桜井は視線を落とした。
「桜井のは……………………」
「俺のは?」
「…………………………」
 伊武はじっと桜井の手を見つめる。
「え?何?なんなんだよ!」
 桜井の問いには反応せず、見つめ続ける。








 桜井の手は、ドキドキする手だった。







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