都大会準々決勝でルドルフは青学に負けてしまったが、あのゴールデンペアに勝ったダブルスペアとして、赤澤と金田は月刊プロテニスの井上&芝のインタビューを受ける事となった。インタビューは社交的な赤澤が受け答えをし、引っ込み思案な金田は彼の横で愛想笑いを浮かべている。
質疑応答の中、当然補強組と生え抜き組みについての話題も出た。金田は思う、赤澤部長は良くこの2組を纏めて、部長をやっているなぁと。それに比べ、俺は補強組の皆とうまくやれているんだろうか……………と。
そんな事を赤澤に相談してみたら。
“お前はうまくやっているんじゃねぇの?”と笑っていた。
金田の一日
早朝、部室のドアをそっと開けると、すでにジャージに着替えてノートパソコンに向かっていた観月と目が合う。
「おや早いですね。おはようございます」
観月はにっこりと笑って挨拶をするが
「お、おはよう…………ございます」
金田はびくびくしながら頭を下げる。何しろ青学に負けた昨日の今日だ。観月は不機嫌度MAXかもしれない。
「どうしたんですか?そんな所に突っ立ってないで、入って来なさいよ」
「は、はい」
ぎこちない足取りでロッカーの前まで歩き、それを開けて着替え始めた。
非常に居辛い雰囲気が漂う。早く誰かが来てくれないかと思うが、いつも一緒に来る裕太は今日、実家から通ってくるので早くにはやって来ないと思うし、他のメンバーは部活開始ギリギリ組なので期待はできない。
昨日のインタビューで、補強組の人達とのコミュニケーションをもっと考えようと思っていたのに、のっけから逃げに入ってしまっている。
「金田くん」
「は、はい!」
観月に突然名前を呼ばれて、声が裏返りそうになる。
「別にそんな慌てて返事しなくても良いですよ」
「はぁ…」
上着の裾を整えながら金田は振り返った。
「明後日、数学のテストがあるでしょ」
「ええ、あります」
「そうでしょう。着替え終わったら、教科書持ってこっちへいらっしゃい」
「え?」
思わず聞き返してしまう。
「え?じゃないです。僕が見てあげますよ」
着替えを終えると観月の言う通り、教科書を持って彼の隣に腰掛けた。テストの範囲を伝えると、観月は淡々とした口調で勉強を教え始める。
「ほらここ。見落としがちです」
「あ、すみません」
「君はね、努力する子ですけど、イマイチ効率が悪いです。時間をかければ良いってものじゃないんですよ」
観月は金田の手元にあった消しゴムを取り、間違った部分を消した。
「ありがとうございます。あの、どうして……」
どうして俺に勉強、教えてくれるんだろう。機嫌が悪いはずなのに。
「あいつら来るの遅いですし、時間余っちゃうでしょ」
「はぁ…」
「なんだか今日の金田くんは、僕の事を必要以上に怖がってません?」
図星。
「…………やっぱり。安心してください、僕は根に持つタイプですけど、負けた気持ちは引き摺りませんから♪」
んふふっ。観月は笑うが
それもどうかと思った金田は苦笑した。
怖い印象を持つ観月だが、ときどきこうして勉強を教えてくれるし、テニスに関しても良いアドバイスをくれる。赤澤の次に尊敬している先輩だが、やっぱり怖いのでそんな事は口に出せない。
「さ、続きを始めましょ」
観月は教科書を捲ろうと手を伸ばす。
「そんなに僕の事、怖がらないで下さいね」
が。
それは少し方向を変え、側に置かれた金田の手の上へ…
「だって、ねぇ?」
そっと覆うように自分の手を…
バターン!!
勢い良くドアが開く。
「「「「「おはようッ!!!」」」」」
馬鹿デカイ声で挨拶をして赤澤、木更津、柳沢、野村、そして3年生達に両肩をロックされた裕太がズカズカと部室へ入って来た。観月は金田に聞こえない程度の小さな舌打ちをする。メンバーが揃った所で、朝練が始まった。
ぽ――――――ん。
ぽ――――――ん。
金田は柳沢と打ち合っている間、視線は彼の頬に当てられたガーゼに向けられていた。
先日、青学との試合で桃城からダンクスマッシュを受けた治療の痕だ。
「金田、余所見は駄目だーね」
「…その………先輩。大丈夫ですか?」
上目遣いで心配そうに柳沢の顔を覗き込む。
「ああ、これ?」
そっと頬に手を当てた。
「大丈夫だーね。そんな心配………」
柳沢は笑おうと口を動かし
「大丈夫に決まっているよっ!!」
隣のコートで野村と打っていた木更津が声を上げた。
キッ。
真剣な表情で柳沢を見据える。
「この僕が治療したんだからっ!」
不安が残るのか、少々目元が潤んでいる。
「あ、淳………………」
ぽっ。
柳沢は木更津の方を向き直り、頬を染めた。
「たっぷり愛を込めたんだから、すぐに治るよ。ね?」
ぽっ。
木更津も頬を染める。
甘い雰囲気が漂う。
「そんなに頬腫らしていたら、頬擦り出来ないじゃないかっ、横顔を見てもガーゼしか見えないなんてやだよっ、頬チューだって片方にしか出来ないし……それに、それにっ」
木更津は延々と“頬が治らないと出来ないこと”を述べ続けている。
「あ、淳………………」
柳沢の瞳の中は無数の星で散りばめられていた。
野村が“他所でやれよバカップル”と肩をあげる横で、金田は“2人は本当に仲が良いんですね!”と木更津と柳沢の友情に感動していた。
「金田」
野村が金田に声を掛ける。
「あいつら、ああだし……俺と打つか。こっち行こう」
「はいっ」
良く通る声で返事をした金田は、野村の後をちょこちょことついて行く。
その仕草に野村は苦笑して
「お前って何か可愛いよな」
ぼそっと呟く。
「そうですか?」
金田は目をパチクリさせる。
「そんな事無いですよ。野村先輩だって」
「可愛いって、身長?」
野村の身長は158センチ。金田より5センチ低い。
からかってやろうと、わざとムッとした口調で言う。
「ち、ちがっ。あ、あ、あの、すみません、すみません」
金田は俯き、顔を真っ赤にさせてふるふると首を横に振る。
「お前って可愛いし、面白いし、最高な」
わざと皆に聞こえるように言ってやった。遠くの方で何かが壊れる音がして、観月が“裕太くん!あんなセリフ言えないからって公共物に当たるのはいけません!”と叫びながらパタパタと走る姿が見えた。
朝練も終わり、午前の授業も流れるように終わり、金田は裕太と食堂で昼食を取っていた。
「そういえば朝練の時は、あんまり不二と話せなかったね」
スパゲッティをフォークでかき混ぜながら金田が笑う。
「そうだな」
裕太もつられるように笑う。
彼には金田のその笑顔だけでお腹いっぱいであった。
兄・周助の“そこで満足しちゃうから、ちっとも進展しないんだよ”という声、姉・由美子の“そーよそーよ。押せ押せユータ!”という声、そして母・淑子の“でも裕太のそういう所、母さん大好きだわぁ♪”という三つの声が脳裏を駆け巡る。
「ねえ不二。昨日久しぶりに家に帰ってどうだった?」
「みんな元気そうで良かったよ」
「そう。お姉さんのラズベリーパイ美味しかった?」
「ああ、美味かった」
「俺も食べたいなぁ……なんてね」
金田は頬杖をついて裕太を見る。
「………………」
だったらウチ来いよ。
ウチ来いよ。
来いよ。
来い…
裕太の脳裏では“金田を家へ誘う”セリフがエコーしていく。
「だったら、その」
「あ」
金田は何かを思い出したように顔を上げた。
「不二の食べてるそれ」
「この和風ハンバーグがどうしたよ?」
フォークの箸を銜えながら、裕太は目をパチクリさせる。
「秋の新メニューだって、一度食ってみろよって赤澤部長が言ってた」
「ふうん」
「一口ちょうだい」
裕太の思考が一時停止した。
「…………………………は?」
間を空けて、裕太は声を漏らす。
「駄目?」
なんだかその言い方が、可愛く聞こえた。
「だ、駄目じゃない。駄目じゃねえよ」
高速で首をブンブンと横に振る。
駄目じゃない、と言ってみたものの。
どうやって一口あげればいいんだ?
普通に皿を差し出せばいいのか?
否!
断じて否!
ここはアレしかないですよね!観月さん!(裕太、心の観月さんへの語りかけ)
食べさせるしかない!
大丈夫!俺は慣れている!
昔っから兄貴に“裕太これあげる〜♪”とか姉貴に“裕太、ほらあ〜ん♪”って食べさせられているから(自分でした事は無い)!!
「じゃ、じゃあこれ」
裕太はおもむろにフォークを持ち直し…
「あっれー?裕太と金田じゃん」
トレイを持った木更津と赤澤が2人の座るテーブルを横切り、わざとらしく驚いた振りをする。
「空いてる席が無くって困ってたんだよね」
裕太と金田の場所は4人席。丁度2人分空いている。
「先輩方どうぞ、空いてますから!」
ハキハキとした声で金田が言う。
「悪いなー」
「悪いねー」
悪びれた様子も無く、木更津は裕太の隣、赤澤は金田の隣に腰掛ける。
「さっきちょこっと聞こえちゃったんだけど、金田このハンバーグ味見してみたいの?」
木更津のトレイには裕太と同じ和風ハンバーグが乗っていた。
「俺の食べてみる?」
「えっ、でも…………」
「それ美味いんだって、金田も絶対ハマるから」
戸惑う金田の肩を赤澤が軽く叩く。ちなみに彼の本日の昼食は好物のカレーである。
「で、ではお言葉に甘えて」
「うんうん」
木更津はクスクス笑いながら、フォークでハンバーグを切り分けた。
「はい、あ〜〜ん」
「え?…………あ…」
頬を染めて、小さく開ける金田の口の中へ、木更津は小さく分けたハンバーグを入れてやる。
「美味しい?」
「はい!おい…美味しいです」
先輩の問いに早く答えなければならないと、口をもごもごさせて金田は言う。
「だろ?美味いだろ?このカレーも美味いぞ」
「赤澤部長のカレーが美味しいって言うのは、いつもの事じゃないですかぁ」
「…………金田お前、都大会から言うようになったなー」
「そ、そうですか?す、す、すみません」
小さく首を下げて謝る金田に、赤澤と木更津は吹き出す。
「謝んなって。怒っちゃいないって」
「金田もさー、この調子でもっと言ってやった方が良いよぉ。くすっ」
仲睦まじい先輩と後輩の会話。
「………………」
裕太は1人取り残されてしまっている。次こそリベンジ!と心に固く誓った。
そして放課後。
テニス部がいつものようにテニスコートで打ち合っていると。
「わっ!」
本当に偶然であった。
本当に偶然、野村の打った球がベンチへ戻ろうとした金田の後頭部に直撃してしまったのだ。
ぱたっ。
金田はそのまま倒れてしまう。
「金田すまっ……」
金田に謝ろうとする野村に
「「金田(くん)っ!!!」」
後ろから駆け寄って来た観月&裕太のダブルラリアットが炸裂する。
「あいたたた……」
「大丈夫だーね?」
一番近くにいた柳沢の手を借りて、身を起こす金田の膝はすりむいて血が滲んでいる。
血を見て眩暈を起こす柳沢の背を、木更津がすかさず支えた。
「傷口洗っておけば大丈夫だろ」
てくてくと様子を見に歩み寄ってきた赤澤が言う。
「何を言うんですか赤澤。保健室でしょう!」
しゃがみ込んで金田の足に手を当てる観月がキッと睨んだ。
「別にそんくらいなら…」
「君と一緒にしないで下さい。金田くんは……そう金田くんはね
僕に似て、かよわいんですからねッ!!」
よよよと泣き崩れる。
「「「「何を抜かすか、この皆勤!」」」」
赤澤、柳沢、木更津、野村の3年生が声を揃えて突っ込んだ。
「皆勤って言ったら、あなた方全員当て嵌まるじゃないですか!」
観月は3年生達をビシビシと指差す。ルドルフテニス部3年生は皆健康であった。
「金田、保健室行くか」
いつの間にか金田の背後に回っていた裕太がそっと囁く。その手はしっかりと背中を包むように当てられていた。抱き上げる準備オッケーな体勢である。
「裕太が金田と保健室行くつもりだぞ!」
野村の声に、ババッと3年生は振り返った。
「裕太くん、僕は君をそんな抜け駆けをする子に育てた覚えはありませんよ」
「こういうのはさ、先輩に譲るものじゃないかな?」
「こればっかりは譲れませんよ!」
「ノムタク、観月も、ほら淳、裕太…金田の傷口を洗うのが先だーね………聞いてる?」
誰が金田を保健室へ運ぶかで揉める野村、観月、木更津、裕太をオロオロしながらなだめようとする柳沢。その光景に、ただただ金田は呆然とするばかりであった。
「金田、今の内に傷口洗って来い」
彼らの様子を、腕を組んで傍観していた赤澤が、金田の方をちらりと見て言う。
「……………………」
「金田?」
「あ、はい。洗って来ます」
「お前が怪我をしただけで、あれだぜ?」
赤澤は苦笑して、もう一度金田を見る。
「……………………」
「昨日も言ったが、お前はうまくやっているんじゃねぇの?もっと自身持てって」
「…………………は、はい」
金田は照れ臭そうに口元を綻ばせ、立ち上がった。そして小走りでテニスコートを離れる。
「さてと」
“そろそろコイツ等をどうにかしないと……”
面倒くさいと思いながらも、どこか楽しそうに赤澤は小さな人だかりの中へ入って行った。
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