近いようで遠い、遠いようで近い。
そんな関係はある試合を節目に変化をしていった。
RED&GOLD
季節は夏を迎えようとしていた。
早朝、木更津は寮の同室である柳沢を叩き起こして部室へと向かっていた。
日の昇りきらない朝は眩しくも暑さも軽減されているが、あくまで昼に比べればマシな程度。起きて着替えて歩けば汗が浮かび上がる。
「暑い暑い。遅刻したら柳沢のせいだからな」
「悪かっただーね」
眠気眼をこすりながら詫びる柳沢。まだ彼は夢の世界を漂っているようだ。
寮暮らしで学校が目と鼻の先というのもあり、補強組は遅刻をすると肩身の狭い思いをしてしまう。
「おはよー」
部室のドアを開けて挨拶をする。
「おはよう」
中にいた野村が返す。壁掛け時計はまだ余裕のある時間を指していた。
「ほら淳、大丈夫だっただーね」
「そりゃ結果論だろ」
「まあまあ」
ムッとする木更津をなだめる野村。感情の起伏は運動前から身体を熱くさせる。
「二人とも来たか」
「おはようございます」
野村に続いて赤澤と金田が木更津と柳沢に気付く。二人は挨拶を済ますと顔を戻して雑談を始める。
荷物を置いて部室を見回した柳沢は野村に問う。
「観月は来てないのか」
「うん」
「あの二人、あんな仲だったっけ?」
「さあ」
柳沢に続き木更津が質問をする。
あの二人というのは赤澤と金田、あんな仲とは雑談する姿。彼らは都大会が終わってから、会話をしているのを良く見かけるようになった。
会話内容をそっと盗み聞きすれば、どうも地元に関する話題のようだった。関東県出身ではない野村と柳沢、千葉である木更津もわからない。まさに同じ生え抜き組である赤澤と金田だけで通じる内容であった。恐らく東京である裕太でもわからないだろう。
「今まで気にした事なかったけど悔しいや」
木更津は正直な気持ちを口にする。
「そりゃされた事がないからじゃないの」
「淳の気持ちはわかるだーね。俺たちは所詮、離れた場所から来たんだって。今の今になってそれが寂しく思う時もある」
「いや、そこまでは」
木更津と野村が同じタイミングで手を振った。
この聖ルドルフ学院テニス部は生え抜き組と補強組に分類され、各地域から集った補強組は個人という意識を強く持ってやって来た。短くも濃厚な時の流れが情を抱かせ、かけがえのないものへ変化させていく。そうして振り返ろうとする時、寂しさが生まれたのだ。
「おはようございます。どうしたんです先輩方」
丁度入ってきた裕太が三人を見て目をぱちくりさせる。
「弟くんは良いねえ、東京で」
「はあ?」
ぽかんと口を開けた下では指をボキボキ鳴らしていた。
夏はより本格的なものへと移り変わる。
八月。部活のないとある日。金田は気ままに散歩をしていた。ただでさえ暑いのに、駅前に出ると余計に暑くなったような気がする。
「ふー」
流れる汗を拭い、金田は思う。仲間たちは何をしているのだろうか。
まだ寝ているのか、自分のようにのんびりしているのか、遊んでいるのか。宿題をしているのかもしれない。そんな事を巡らせながら適当に歩く。
「ん?」
見知った人物の背中を見つけ、通り過ぎそうになった足を戻してもう一度良く見た。やはり彼であった。
「部長じゃありませんか」
「おお、金田」
呼ばれて振り返った赤澤。彼の日に焼けた肌は夏に良く似合う。
「部長も散歩ですか」
「お前こんな暑さで散歩かよ……。俺はこれよ」
赤澤は彼の前にある店を指す。カレー屋だった。
「部長こそ、こんな暑さでカレーですか」
「良く言いやがるな。金田、飯はまだか?」
「はい」
「だったらどうだ一緒に。良く行く店なんだ。味は保障する」
親指を立てて店を指し、カッコをつける。
「良いですよ」
「よし」
そうして赤澤と金田は店の中へ入って行った。
席に座り、赤澤の勧めるままに注文をする。届くのを待ちながら会話を始めた。
「そういやあ、二人だけでこんな所へ行くのは初めてかもな」
「そうですね。そういえば、そうでした」
水を含み、思い返して相槌を打つ。
「金田とは良く話すようになったとは思うよ」
「部長は俺にとって遠い存在でしたからね」
「そっかあ?」
「ええ」
金田はやや照れたが、赤澤は気付かなかったようだ。
「それなりに付き合いは長かったが、三年の敗退後にこうなるとはな。案外わからないもんだ」
「俺、部長とダブルス組めて良かったと思います」
「同感だ。アイツの選択を初めはどうかと疑わしかった。しかし、アイツの見る目は凄かったんだな」
これは本人には内緒。赤澤は人差し指を口元にあてて合図を送る。
どこかで誰かのクシャミの音が聞こえたような気がした。
「それで……」
何かを言いかけたが口をつむぐ。注文の品が届いたのだ。カレーを食べながら話を再開する。
「あ、美味しいですね」
「だろ?だっけどな……」
赤澤は小声になり、金田だけに聞こえるように囁く。あまりにも小さすぎて聞き取り辛いが、なにを言っているのかはだいたいわかった。
この店は近い内に閉店するらしい、と。
「好きな味だったのになあ。いつか終わっちまうもんなのかな」
心底残念そうな赤澤に金田はかける言葉が見つからない。
「しょうがないもんはしょうがないな。俺だって今年で中学卒業だ」
自己完結したのか、普段の赤澤に戻った。けれども今度は金田が残念な気持ちになってしまう。
「中学は終わるが、これからも仲良くやっていこうぜ。辛気臭いのは終えて冷めない内に食っちまおう」
「はい」
皿が空になるまで、二人は無言で食べ続けた。
店員が皿を片付けた後、金田はふと思い出した事を口にする。
「部長、明日誕生日じゃなかったですか?」
「明日?あーそうだな」
今日は八月二日。明日三日は赤澤の誕生日となる。
「俺が忘れかけていたのに、良く覚えていたな」
「去年先輩たちに言いふらしていませんでした?」
「そうだっけ?あと三日は誕生日の他になにかあった気もする」
「え?なんですか?」
二人で考えたが、結局わからなかった。
翌日。夏休み中ではあるが練習がある。金田は赤澤に会うなり、彼の誕生日を祝った。
「赤澤部長、おめでとうございます」
「……………………………」
「赤澤、部長?」
赤澤の返事は返ってこない。聞こえなかったのだろうかと、声を大きくして言い直そうとした時に赤澤が口を開く。
「そうだ!思い出した!」
「は、はいっ?」
後ろによろけて下がる金田。赤澤はキラキラと輝く笑顔で金田の方を向く。
「あれだよ。今日は祭があるんだ」
「祭?ああそうでしたね!」
祭だけで金田はすぐにわかった。赤澤と金田の住んでいる地域一帯で行われる夏祭である。
「よしっ、部活が終わった後に行くか」
「そっ…………」
賛成しようとする金田の肩を掴み、木更津と柳沢が前に出た。
「もうなんだよ二人ともっ。勝手に話を決めてさ」
「なに怒ってるんだよ」
「そりゃ怒るだーね。今楽しそうに良い話をしていただーね」
木更津と柳沢に続いて、裕太も乗り出してくる。
「二人だけでわかるなんてずるいです。祭に俺も連れて行ってください」
「そうだそうだ連れてけ連れてけ」
「だーねだーね」
ぶーぶー言って来る三人に赤澤は呆れながらも快く受け入れた。
「わかった連れてくから。それで文句ないだろ」
「ないない」
祭に行くと決まったら決まったで盛り上がる彼らに金田も巻き込まれる。一方、賑やかな部室の隅で黙々とパソコンを弄る観月に野村が声をかけた。
「観月、僕たちも行こうよ」
「……………………………」
野村を見る観月の顔は心底うんざりとしており『面倒臭いからヤダ』という文字が浮かび上がりそうであった。
「わかったわかった。金魚すくってやるから我慢しろって」
「じゃあ綿菓子が良いです。君が注文するんですよ」
羞恥作戦に持ち込もうとする観月に、今度は野村がしぶい気分になった。
夏真っ盛り。薄闇の中に一際賑やかな七人組が祭りにやって来るだろう。彼らにとって忘れられない一年はまだ終わらない。
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