神様
 僕の十五歳の誕生日は
 勝利が欲しかった



僕の 十五歳



 ――――五月都大会。
 聖ルドルフ学院は五位決定戦にて氷帝学園に敗退。関東大会への切符は手に入らなかった。
 今年の夏は、あまりにも早く過ぎ去った。
 まだ暑さで汗が滲む前に。彼等の代わりに帰路に浮かぶ夕焼けの赤が滲んでいた。




 それから数日が経った、ある日の部室。朝練の終わりに赤澤は金田を呼ぶ。
「金田」
「はい、なんでしょう」
 すぐに反応し、金田は振り返る。
「あー、実は話があるんだ」
 言葉を濁しながら、辺りを見回す赤澤。他の生徒は気にせずに着替えている。
「もうすぐ、六月だろう」
「そうですね」
 相槌を打ち、壁にかけられたカレンダーを見た。
「梅雨に入るとコートを使えない日が増えるから、嫌ですね」
「いや、梅雨は梅雨なんだが、その前に」
「はい?」
 赤澤はもう一度辺りを見回し、声を潜める。
「観月の誕生日があるだろ」
「そうなんですか」
「そうなんですか、じゃないだろ。二十七日だ」
 きょとんとする金田に、赤澤は指でカレンダーの観月の誕生日を突いた。
「お前、去年の誕生日を思い出せ」
 金田は斜め上を見上げて思い出す。彼の誕生日は大晦日。まさか当日に、仲間たちから祝ってもらえるとは考えもしなかった。温かい気持ちになれる、いい思い出だ。
「あれ、企画したのは観月なんだよ。俺も誕生日に丁度欲しい物を貰ってな。他の連中もそうだ。データマンだけあって、そこらへんはよく知ってやがる」
 それで、だ。腕を組んだ赤澤が、話を続ける。
「俺たちも、あいつの誕生日に欲しい物を渡してやりたいと思わないか」
「思いますっ」
 即答する金田。
「だろ?だがなぁ、なかなか観月は尻尾を出しやがらない。どうも俺じゃ不振に見られるんだとよ。そこで、金田にそれとなく聞き出して欲しい」
「俺がですか?」
「他の奴だと今の時期は、な。敗者に厳しい奴だから」
 赤澤の含んだ言葉を察し、引き受けるしかなかった。
 今の時期――――大会が終わったばかりでは、観月の機嫌はすこぶる悪い。露わにはしないが、ぴりぴり感じるものがある。結果的には敗北だが、赤澤と金田に黒星はない。
「悔やんでばかりもいられないさ。夏はまた来る」
 身体を前に向けて受け入れないと。赤澤は上半身の向きを左右に曲げながら言う。金田は口を押さえて笑い、頷いた。


 昼休み。金田は観月を捜した。
 食堂内を見回し、偶然目に入った窓。食堂の周りは手入れされた芝生が美しい、庭が広がっている。そこに観月らしき姿を見つけたのだ。しかし、彼は頭の後ろに手を組んで寝そべっているではないか。普段の彼なら、食堂で優雅に紅茶を飲んでいる印象がある。本当に、あれは観月か。
 金田は窓に近付き、目を凝らす。穴の空くほど凝視しても、やはり観月だった。食堂を出て回り込み、観月の元へと向かう。
 後ろから、勇気を出して声をかける。
「観月、さん」
 聞き覚えのある声に観月の閉じられた瞼がひくりと震えた。
「なにか、御用でしょうか」
 呟くように返事をしてから、うっすら瞼を開く。
「はい、お話があります」
「嫌です」
 拒否に、金田は衝撃で立ち尽くしてしまう。
「なんてね、困るんでしょう。いいですよ、聞きますよ」
 金田の安堵の息が、観月の耳に届いて可笑しさが込み上げた。
「失礼します」
 観月の隣に腰をかける金田。
「その……珍しいですね、観月さんがこんな所で」
「君が知らないだけだよ」
 観月は瞳をきょろりと動かし、空を見上げる。今日の空は綺麗な青空だが、先日、一昨日と曇りが続いていた。梅雨が近付いているのだろう。
「久しぶりの天気ですからね。こうして人工的な芝生でもね、緑に包まれていると思い出すのです……故郷をね」
 徐々に声が小さくなり、終わりには欠伸が混じったようにも感じた。
「故郷、ですか」
「そうです。遠い……遥か……遠い、ね。宇宙を」
「ええっ」
 驚く金田に、観月は口の端を上げる。
「無反応だったら、君を無視して眠るつもりでした」
「それで、本当はどこなんです」
「君には話していませんでしたね」
「で、その」
「しつこい」
 生まれた土地は、教えてくれなかった。
「金田くん」
「はっ……はい」
 観月はなかなか、話を切り出す機会を与えてはくれない。
「明日は雨だそうです。予報でやっていましたよ」
「はあ」
「もうすぐ、僕の誕生日が近いんですが、生まれた日は生憎の雨でね」
 僕の誕生日。その言葉に金田が聞く体勢を取ったのを横目で眺め、見逃さなかった。けれど、特になにも指摘せずに進める。
「次も……その次の年も雨で、僕の誕生日は雨続きだったらしい。そんな中、やっと晴れた年があったんだよ。父が喜んでね、外で遊べる物をプレゼントしてくれた。それがテニスラケットとボールでね、僕は夢中で遊んで……それから」
「それから?」
「……なーんてなったら、感動的な話ですけどね。そう上手くシナリオは作られていないのですよ。なにを貰ったのかさえ、とっくに忘れています」
 喉で笑う観月だが、金田はというと、どう反応すればいいのかわからず、困り果てていた。
「そういえば金田くん、僕に話があったのではないですか」
「はい、その」
「大方、赤澤にでも頼まれたんでしょう。僕の誕生日の事とかでね」
 ぎくりとして金田は観月の方を振り向き、彼と目が合う。
「ほら、図星だ」
 瞳を捉えて、目を細めた。
「僕に言わせれば、君一人で僕に話しかける事の方が珍しい」
「………………………」
 金田はまたもや困り果てて、黙り込んだ。
「おや、すみませんでした。珍しいものだから、つい困らせてみたくなって」
 咳を払い、瞳を閉じて視線を逸らす。
「あえて言うなら、僕は勝利が欲しかったよ」
 閉じられた闇の中で、柔らかな風が鼻の頭をくすぐった。金田の言葉は返ってこない。
「……冗談さ。僕にも責任はある。それにだ、また夏は来るだろう。悔やんだままでは迎えられない」
 ぼそぼそした、低い声で言う。まるで内へ取り込むように、己へ言い聞かせているようにも捉えられる。
「だからね、いいんだよ。義理なんて、気にしないでくれ」
「違いますっ。そんなんじゃない」
 金田ははじくように反論した。驚いた観月は眼を見開いて丸くさせる。
「俺……いえ、俺たちは、観月さんを喜ばせたいだけです。嬉しかったから、同じ喜びを感じて欲しいだけです」
 思いは吐露され、溢れ出す。
「どうして」
「同じテニス部の仲間だからでしょう」
「仲間?」
 観月は眉を潜めた。
 仲間――――司令塔として駒扱いした自分を、そう呼ぶのか。そうか、仲間だったのかと、思い出したような感覚に襲われる。彼らは仲間であった。同じ志で夢を見た仲間であった。
「違うんですか」
 見据える金田。
「なんというか……君は変わったな」
 都大会で、赤澤に意見した時から。心の内で含む中で、首を横に振る。
「いや、僕が知らなかっただけか」
 一人笑い出す観月に、金田はきょとんとして眺めるだけであった。
「僕も、変われるかな。例えば、この捻くれた性格とかね」
「ええっ」
「それじゃわからない」
 ずっと、金田は困らされる羽目になった。
 観月がいつの間にか敬語で話していない事に気付くのには、もう少し時間がかかった。
 本当の彼を、概観見た気分さえする。心が僅かでも通じたと思いたかった。




 そうして数日後にやって来た観月の誕生日。当の本人は部室の入り口の前で立ち止まった。
 ポケットから手鏡を取り出して、自分の顔――――特に口元を映し出そうとする。口を歪ませた、ぎこちない笑みを作ってから表情を戻し、鏡をしまう。
「おはようございます」
 普段と同じような素振りで扉を開ける。
 その先には、待っていたとばかりに笑顔で迎えるレギュラーの顔ぶれ。
 赤澤、野村、柳沢、木更津、裕太に金田。彼らの笑みは観月が笑ってくれる事を願い、期待して形作られたものだ。
 あの日、幼い頃、初めて晴れた誕生日で、自分を迎えてくれた家族の笑顔と重なったような気がした。
 なにを貰ったのかは覚えていないが、温かな記憶だけは焼きついている。
「全く、君たちは」
 先ほど鏡の前で作ったように、口を歪めて観月は笑う。苦いような、酸っぱいような、甘すぎるような。濃すぎて慣れない味を噛み締める気分だ。だが、満更ではない。そう思えるようになった。少しずつ、ゆっくりと変わっていく。
 有難う。
 心の内だけで言う。まだ口には出し辛い。




 神様
 僕には欲しいものがたくさんあります
 ですが、あなたには求めません
 なんとか僕自身と、その周りの人間とで、叶えていきたいのです







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