聖ルドルフ学院は世間がクリスマスのイルミネーションで包まれても、クリスマス礼拝があっても、寮生活を送っているせいか当日が近付かないと疎い。
「もうすぐだっけ、クリスマスは」
「確か、そうだった。礼拝楽しみだね」
寮の中の一室。裕太と金田の部屋で二人は顔を見合わせて、呑気に言葉を交わす。
君にだけ
「クリスマス、か」
椅子に座って机に向かっていた裕太は立ち上がり、閉じていたカーテンを開けて窓をも開けた。
「どうした?」
金田はベッドに転がっていた身を起こす。
「あのさ」
裕太は俯き、開けられた窓からは冷たい風が差し込んだ。
「…………………………」
口を閉ざし、続きをなかなか話そうとしない。
「不二?」
「……………お前にだけ、話す。内緒、だからな」
「わ、わかった」
深刻な話なのだろうか。金田はベッドの上で正座になる。
「俺っ」
裕太は振り返り、ぼそぼそと言うが、初めの一言だけで後は何を言っているのか全く聞こえなかった。
「え?なんだって」
「だから、俺、俺は…………サンタを信じているんだっ」
顔を赤くさせて背を向け、窓をぴしゃりと閉じる。
「……え……あ……そうなんだ……」
ひとまず相槌を打つ。
サンタクロース――――架空の人物だとは言われているが、実際は外国の方で公認サンタクロースなるものをやっているらしいし、日本にもいるらしい。しかし、裕太の言っているサンタとは“クリスマスの夜空にソリを滑らせて煙突から入ってくる系”のまるっきりファンタジーのサンタを示しているように聞こえた。赤面が決定打だった。
裕太がこの年まで信じるのは、彼の家族の温かい配慮があったと思うのだが、ルームメイトとしてどう反応すれば良いのかは悩みどころだ。
「い、良いと思うよ。信じていても」
当たり障りの無い言葉をかける金田。
もし相手が裕太ではない全く知らない人だったら"いない"ときっぱり答えただろう。
「そうだよなっ。信じていても良いよな」
裕太はもう一度振り返り、赤い顔のまま微笑む。声色も嬉しいらしく明るい。
「サンタさん、今年は何くれるんだろう」
斜め上を見上げながら、裕太はのろのろと机に戻っていった。
不二、さん付けちゃった。さん付けちゃったよ。
金田はクリスマスまで裕太がこの調子なのだと思うと、疲労していくのを感じた。肯定してしまえば、来年も同じようになるのかもしれない。来年は二人で部を支えていかなければならないのに、だ。
サンタクロースを信じる彼と今後どう付き合っていくべきか。先輩に相談をしてみようと金田は思う。
翌日の部室。金田は赤澤に相談を持ちかけた。
早朝の二人だけの機会を狙ったのだ。
人選は金田なりに考えた。観月に言えば、むざむざと現実を突き付けてきそうだったので、赤澤なら穏便に済ませられるような気がしたからである。
「裕太がねぇ…………」
金田の話を聞いて、赤澤は何かを巡らせるように顎に手をあて、長椅子に座った。
「部長。俺、どうしたら良いのか」
金田も長椅子に座り、机に肘を突いて頭を抱える。
来年の部長が決まっていても、金田にとって赤澤は部長であった。
「金田」
「はい」
顔を上げて、赤澤を見る。
「俺は今まで裕太を見くびっていたのかもしれん」
「?」
「俺は裕太を見直した」
「はぁ」
口元に人差し指を持っていき"内緒"の合図を送る赤澤。
「俺も、サンタ信じてるんだ」
「…………………………」
何か後頭部に重いものが圧し掛かるような感覚に襲われ、金田は机に突っ伏す。影で視界が暗くなる中で“あの野郎、早く言ってくれりゃあ良いのに水臭ぇ”という赤澤の嬉々とした声が聞こえていた。
駄目だ。やっぱり観月さん、あなたしか……。
次に機会を狙って、観月に相談をした。
朝練のグラウンドの隅で二人は話し合う。
「裕太くんがですか」
赤澤までは手に負えないと、裕太のみに絞った。
「裕太くんがですか……」
ぶつぶつと呟きながら、近くにあった照明の柱に額を付ける。
「観月さん」
背中から、金田は不安の声を吐く。
「まさか、裕太くんが。そんな」
冬の寒さで柱は冷え切っており、冷たくなった額を離して観月は振り向いた。
「実はね、僕も信じているんですよ。サンタ!」
言っちゃったと抱えていたバインダーで顔を隠す観月に、金田は盛大に後ろからバターッと倒れる。
なんなんだ。なんなんだろう。
金田は心の中で自問自答する。
不二も、部長も、観月さんまでサンタを信じているなんて。
ここまで来ると、自分が間違っているようにも思えてしまう。恐るべき集団心理。
ちなみに若い学生にとって、友達二、三人は“皆”の基準である。
俺、夢が無いんだろうか。汚れているんだろうか。ひょっとして俺の家だけ来ていない?
考えれば考えるほど、自己嫌悪の沼に引き込まれてしまう。
どうせ答えは見つからないのだからと閉じられた瞼を開ければ、朝日に反射したメガネが煌いた。
「どうした、金田」
「野村先輩…………」
野村は金田を抱き起こしてくれたようで、小さく礼を言う。観月はまだ顔をバインダーで隠していた。
「金田?」
じっと観月を見ていた金田は我に返る。
「なんでもないです」
野村までサンタを信じていると言われたら立ち直れそうにない。
皮肉に満ちた心の中で、金田は愛想笑いを浮かべた。
「そうなら良いけれど。もうすぐクリスマスだなぁ」
「そうですね」
立ち上がって、土埃を払う。
「ここだけの話だけどよ、赤澤ってサンタ信じているらしい」
「……え?」
野村を見るが、彼は別の方向を向いていて表情は見えない。
「木更津と柳沢も信じているみたいだし、結構皆信じているもんなんだな」
木更津先輩と柳沢先輩まで、というのは置いておき、金田には野村がサンタを信じていない仲間だというのに安心感を覚えた。さすが副部長。尊敬までしてしまう。
それにしても、彼らは寮生活をしている去年までどうしていたんだろうか。
疑問は挙げれば挙げるほど出てくるが、金田の憂鬱は晴れていた。
野村は横目で金田を見ると、すっきりとした顔をしていたので倒れていた理由は特に詮索しまいと首を横に振る。
サンタを信じるのは悪い事じゃない。夢見る事は悪い事じゃない。
彼らが信じるのなら、信じたままでいさせたいと思う。
金田は気付けば、放課後に外を出てクリスマスイルミネーションに彩られた町に踏み入れていた。
適当な店へ入って、適当な物を手に取ってレジへ持っていく。
「これ、一つずつ包装して下さい」
定員はクリスマス柄の包装紙を取り出し、購入した物を包む。その様を眺めながら、金田の心は何をやっているんだろうと後悔混じりに思いを巡らせていた。
裕太の赤面した顔、赤澤の嬉しそうな声、バインダーで顔を隠す観月、意外と冷静だった野村。木更津と柳沢の照れ笑いを浮かべる様子も浮かび上がる。
信じたままでいさせたい。金田は財布を取り出した。
その数日後にクリスマスイヴは訪れ、クリスマス礼拝が行われる。終わった後の生徒たちは寮に戻って眠りに着く。
電気を消した薄暗い部屋で、金田は目を開けてベッドから身を起こした。隣のベッドで眠る裕太の様子を伺いながら床に足を付けて立ち上がる。
夜は明けてクリスマス当日。たまたま食堂でテニス部メンバーは顔を合わせ、同じテーブルで朝食を取る事にした。
座るなり、開口一番に話し始めたのは珍しくも裕太。
「聞いてくださいよ。朝起きたら、枕元にお菓子の包みが置いてあったんです」
「奇遇ですね。僕もですよ」
「そうそう」
観月と赤澤は見合わせて頷く。
「俺たちもだーね。なー淳?」
「うん」
「俺もなんだよ」
柳沢、木更津、野村が軽く手を挙げた。
「金田は?」
「あんまり見ていないんで。調べてみます」
話を振られ、早口で答えて食事に視線を落とす。
菓子を用意して、枕元に置いて来たのは金田当人なので、自分のものは用意していない。
「俺も一緒に探してやるよ。もしかしたら二人で一つだったのかもしれないし」
「有難う、不二」
「観月さん、これはひょっとしてひょっとするかもしれませんよ」
裕太は金田から観月へと話の相手を変える。
「んふっ。なんでしょうか裕太くん」
観月は指先で前髪をいじって耳を傾けた。
「きっと、サンタクロースの仕業ですよ」
「僕もそう思っていた所です」
「お前もそうかよ観月」
「観月もそうだったの?俺もね」
「俺もだーね」
裕太、観月、赤澤、木更津、柳沢の順にサンタ説に賛同しだす。冷静に見れば異様な光景である。
「なあ、金田」
金田の隣に座る野村は、そっと囁く。
「なんです?」
「俺、こないだはあんな事言ったけれど」
「はい」
「サンタっているのかもしれないな」
「…………………………」
誤算であった。
鍵の問題は気にしないで下さい。
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