忘れないで



 寮の大掃除を終えて、終業式も終わると、寮に住む生徒たちは家族の元へ帰って年を越す。
「さて、どうしたものか」
 観月は自室を見回して、長い息を吐いた。
 何を持って故郷へ帰ろうか。毎年悩む所であった。
 日々を積み重ねていくにつれ、部屋は生活の匂いを染み込ませていく。
 離れるのは数日の間なのに、名残惜しさをも感じさせた。ここがいつか離れるべき場所だとわかっているからなのかもしれないが。


 眺めたままの観月の瞳は、不意のノック音に瞼がひくりと震えて瞬きされる。
「はい」
 返事をして、ドアを開ける。
「よお」
 開くと同時に赤澤が軽く手を上げ、その後ろに控えた金田が礼をした。自宅通いの生え抜き組の二人には帰省の準備はない。
「手伝いに来た」
「間に合ってます」
 赤澤に掃除と称しプライベートを漁られるのを危惧して、即座にドアを閉じようとノブを持つ。
「まあまあ待て待て」
 間に肩を挟んで食い下がってくる。
「俺だと嫌がるのはわかってるんだよ。金田を貸すから。俺は柳沢を手伝ってくる」
 貸す、という単語に眉を潜めた。金田は赤澤の物ではないだろう。
 指摘をする前に、赤澤は廊下を歩いていってしまった。視線で赤澤の背を見送った後、金田と目が合う。
「意思を示さないと良い様に扱われますよ」
「はぁ」
 わかっているのか、いないのか、曖昧な返事をする金田。甘んじているのだろう。
「ほら、廊下は寒いでしょう。入りなさい」
 ドアを大きく開き、招き入れた。


 せっかくだからと、観月は帰省の準備を金田に手伝わせる。
「それと、これを角の方に置いてください」
 荷物の中身は触らせず、移動という名の肉体労働を任せた。
「荷物、多いですね」
 運びながら、金田は呟く。
「僕は遠いですからね」
 背を向けて鞄に荷物を入れながら、観月も呟く。
 各地より集まってきたルドルフの生徒。テニス部レギュラーは意外にも関東の人間が多い。
 赤澤、金田は自宅通い、裕太と木更津も関東内。遠さは観月、柳沢、野村の順であった。
「ルドルフに入らなければ、僕は君たちと知り合う機会も無かったでしょう」
 異なる意味合いとしては、ルドルフを卒業すれば出会う機会を失ってしまう。全く会えない事はないが、時間も機会も限られていく。
 当然、わかりきっている事であった。だが、だからといって何も感じないはずもない。
 今、寂しい話を口に出している。観月はぼんやりと意識した。
「言われて見ればそうですね。貴重です」
 金田の同意の声が、背中にあたる。
 その貴重と言ったものを、覚えていてくれるだろうか。胸の内で問いかけた。
「……忘れません」
「えっ」
 思わず観月は振り向く。観月の上げた声に、金田も振り向いた。
「観月さん?」
「君、今なんて言いました?」
 床に手をついて、四つん這いになって近寄る。
「貴重な経験を、忘れないって。どうかしたんですか」
「忘れないんですか。僕なんて卒業したら」
 心中だけに秘めていた事まで口走ってしまう。
「観月さんは卒業したら東京を離れるんですか。高校も校舎が違いますし、寂しいですけど、俺にとって観月さんは観月さんですよ」
 思いなど、その時になってみなければわからない。けれども今この時、観月は温かな気持ちを感じていた。
「金田くんは随分と言えるようになりましたね。んふ、誰に似たのやら」
 観月は安堵のような息を吐き、口元を綻ばせて独特の笑みを漏らす。座り直し、指先で前髪をいじった。
「いえ、でも金田くんは金田くんですものね」
 一人頷いて立ち上がる。
「観月さん?」
 見上げる金田と視線が交差し、目を細めた。
「来年、お土産でも用意して戻ってきますね」
 手を伸ばして金田の頭を撫でる。意外な行動に、金田は静かに驚いていた。
「しばしのお別れですが、待っていて下さい」
 手を離して、荷造りを再開させる。
 か細くはあるが、聞こえたような金田の返事。イエスであると信じて、聞き返しはしなかった。







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