喜びを



 あれは一年の冬。
 寮の部屋で机に向かっている時であった。
「不二!」
 後ろからいきなり大声をかけられ、驚いて振り返れば同室の金田が立っている。
「どうした?」
 怪訝そうに見上げる裕太。
「おめでとう!」
 金田は包装された包みを裕太に渡す。
「今日、誕生日でしょう?」
「…………え?」
 反応が遅れるが、裕太は頷いた。確かにこの日は裕太の誕生日であった。
 観月さんにでも聞いたのだろうか。金田が自分の誕生日を知っている理由を脳裏に巡らせる。身体は包みを受け取った格好で固まっていた。どう反応すれば良いのかわからない。
 誕生日なんて、中学に入ってからは兄のものしか聞かれなかった。閏年だと答えると、決まって残念そうにする生徒の顔ばかりが焼き付いている。
「不二?」
「あ、いや…………」
 きょとんとした金田と目が合って、裕太は俯く。
「有難う…………」
 小さく礼を言い、口元を綻ばせた。


 嬉しくて、嬉しくてたまらなかったのに、どう伝えれば良いのかわからなかった。
 嬉しかった気持ちを、どうか伝えたい。
 金田の誕生日に、あの時感じた同じ気持ちを抱いてくれたなら。
 喜ばせたい。夏が終わったとある日に、裕太は決意をした。


「ふむ……」
 一人裕太は顎に手をあて、考える。
 金田の誕生日はいつなんだろう。まず基本的なものすら何も知らなかった。
 直接本人に聞けば良いのだが、驚かせてみたい欲も湧いてくる。
 困った時、わからない時は観月さん。裕太の思考はそう線を紡ぐように繋がっていた。




 頃合を見て、部室でパソコンに向かう観月へ問う。
「金田くんの誕生日ですか?」
「はい」
 裕太は口元に手を添えて“内緒話”という合図を送った。部室には金田は一年と買出しに行っていないものの、他のレギュラーがくつろいでいる。耳に入れば彼らの事、からかわれるのは間違いない。
「大晦日ですよ」
 詮索を入れず、観月は答えてくれた。
「大晦日ですか」
 大晦日だと生徒は各家に帰っているだろう。難しい時期だ。
「観月さん。前と後に祝うの、どっちが良いでしょうか」
「僕に聞かれても」
 苦笑を浮かべる観月。もっともであった。
「俺は後でも良いよ」
「俺は前でも良いだーね」
 横からする声。木更津と柳沢の手が裕太の両肩に置かれる。
「俺は当日が良いけどね」
 後ろからする声と気配。野村が構えているのだろう。
「丸聞こえですねえ」
 他人事のように観月はパソコンの画面に視線を移す。
「何あげるつもりだーね?」
「それはまだ……」
「観月ぃ、金田の趣味ってなに?」
 裕太を余所に木更津と柳沢は話を進めだした。
「切手集めですよ」
 観月はさらりと回答する。その様に、部員クイズでもやってみたらどうだと茶々を入れる野村。
「切手集め?」
 つい裕太は聞き返してしまう。
「へえ、裕太は知らなかったの?」
「え」
 何気ない木更津の言葉に、詰まらせた。
 金田の誕生日もテニス以外の趣味も、何も知らない。部屋も同室で、もうすぐ一年になるというのに、だ。切手の趣味は金田が一人で何かごそごそとやっている、くらいの認識しかない。思い返して、あれは切手なのだとわかったぐらいだ。
「てっきり、あんな事もこんな事も知っていると思っただーね」
「そんなっ」
 赤面して、先輩たちにすれば面白い反応を見せてしまう。
「こら。からかわない」
 ぴしゃりと止める観月。


「切手となると、詳しくない限りは下手に突っ込まない方が良いかもね」
 野村の言葉に裕太、木更津、柳沢は振り返り、のろのろと長椅子に座って話し込む体勢に入った。観月はパソコンをいじりながら、彼らの話に耳を傾けている。
「あー、わかる」
 柳沢は机に肘を突いて同意した。
「俺、彼女にテニスが好きだからってボール貰っただーね。別に嫌じゃないけど、微妙だった」
「彼女?いたの?」
「うん、いたんだよ。過去」
「淳っ、お前が答えるなだーね!」
 柳沢の“彼女”発言に乗り出す野村に、木更津が代わりに答える。
「趣味とかはあんまり考えなくても良いかもよ」
「そうそう」
 野村と木更津の視線が裕太に集まった。その横から観月が笑いながら言ってくる。
「裕太くん、金田くんを喜ばせたいんでしょう。君、誕生日の時に随分嬉しそうでしたもの」
「え?あ?それは」
 しっかりと覚えられており、また裕太は顔が熱くなった。
「その気持ちがあれば、大丈夫ですよ」
 裕太の方を見て、観月は微笑む。
「なに観月どうしちゃたの?」
「ビョーキ?」
「明日は嵐だーね」
「黙らっしゃいお前ら」
 笑顔のまま、青筋が浮かぶ。


「なんだよ、楽しそうな話をしているじゃねえか」
 ドアが開いて、赤澤が入ってくる。ぶるっと震えて寒かったと呟いた。
 裕太が話さないでくれと両手をばたばたさせるが、野村が嬉々としてペラペラ語りだす。
「金田か。アイツはなんでも喜ぶぞ」
 あっけらかんと言う赤澤に、裕太は口をムッと曲げる。
 金田は尊敬する部長なら、ほいほい言う事を聞くのだろう。苦とも思わないのだろう。
「むかつきますね」
 ぽつりと呟く観月の一言が、裕太の心境を代弁していた。




 金田の誕生日についてレギュラーと話し合ったのは夏の終わり。
 冬なんて、大晦日なんてまだまだ遠いと思っていた。
 月日はゆっくりと、確実に進んでいき、もう冬へと季節を変えて年の終わりを迎えようとしている。
 裕太は家の自室のベッドにごろりと転がり、携帯でメールを打ち込む。送り終わると手を落とし、小さく音を立てた。
 金田に初詣を一緒に行こうと約束を交わした。
 一月一日になる前に会って、神社へ行こうと。
 一月一日になる前に、祝いの言葉を伝えようと考えた。
 寝返りを打った先に、瞳には机の上に置かれたプレゼントが目に入る。
 どうやって渡そうか、金田は喜んでくれるのだろうか。ぐるぐる思いは巡った。
 あの時、嬉しかった思いを伝えたい。願うのはそれだけだった。
「んん」
 低く呻いて起き上がり、外出の準備に取り掛かる。
 コートを纏って玄関で靴を履いていると、兄が冷えるよとマフラーを持ってきてくれた。姉が手袋まで出してくる。過保護ではあるが、温かな愛がそこにはあり、照れながらも裕太は受け入れた。
「遅いんだから、気をつけてね」
「わかってるよ」
「鍵、持ったね」
「ああ」
「いってらっしゃい」
「いって、きます……」
 手厚く送り出され、裕太は夜道を早足で歩く。


 人気の無い待ち合わせの場所で、金田を見つけた。遠くからでも彼だと一目でわかる。辺りを見回し、目が合うと笑ったような気がした。
「金田っ」
 思わず名を呼び、驚いたように目を丸くさせる金田。歩きを走りに変えて、裕太は駆け寄った。
「おめでとう!おめでとう、金田!」
 驚いたままの金田の表情は、溶けていくように笑顔へと変化していく。
「有難う、不二」
 寒さか、照れているのか、頬を染めて礼を言う。
 金田の前で立ち止まり、裕太は白い息を吐きながら笑顔を向けた。
「ちょっと、びっくりしたよ」
 裕太を見上げ、肩を竦める。
「そっか」
 特に悪びれた素振りもせず、白い歯を見せた。
「不二」
 金田は笑い出し、裕太も声を上げて笑う。
 共にいる時間が増えれば増えるほど、笑顔が増していった。
 これからも、この先も。願わずにはいられない。







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