あなたと私。2人だけのパーティー



 本格的な冬の寒さが身体を冷やす。コートにマフラー、手袋と重装備で東方は校門をくぐった。引退したものの、後輩指導の為に毎日朝早く登校をしている。
「うう……寒っ………」
 朝は特に冷え込んでおり、身震いをして部室のドアを開けた。
「よう」
 中には鍵当番の南が既に来ており、軽く手を上げて挨拶をする。その手は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「どうしたんだよ、その包帯。ラケット持てんのか?」
「ああ大丈夫大丈夫。ほら利き腕じゃないし」
 カラカラと南は笑って、グーとパーを繰り返してみせる。
「ん…まぁ大丈夫なら良いんだけど。何やったんだ?」
 怪訝そうに包帯を眺め、東方は鞄をロッカーへ放り込んだ。


「寒いじゃないか」
 笑顔のままで南は言う。
「あ、ああ」
 東方のこめかみから、暑くも無いのに流れる一筋の汗。南が唐突に筋道を立てずに言い出す時は、たいてい千石の事と決まっている。
「寒いと……ほら……アレだろ?」
 アレって何だよ。突っ込みは胸の中へ仕舞った。
 南は落ち着かない様子で、ロッカーへ向かって触れる程度にジャブをし始める。恥ずかしいのか、視線を合わせない。
「温かいモノ、食べたくなるよな!」
「肉まんとか?」
「いや、もっと……ほら!」
「シチュー?」
「ちっがーう!違う!ほらあるだろ!」
 南が何を言いたいのかは、だいたいわかっていた。しかし嫌な予感がして、何となく答えを避けてしまう。ジャブがだんだん早くなってくるので、東方は覚悟を決める。
「な、鍋?」
 ぽそっ。
 小声で言う。


「そっ!鍋!!!!」
 ガスッ!
 金属製のロッカーの戸が大きな音を立てる。見事なストレートが入った。


「鍋ってさ、皆で色々と具を突付きあいながら食べられるから楽しいよな。それに栄養もたっぷり取れるし…」
 南は独り言のようにブツブツと勝手に語りだした。もはや彼の耳に東方の声は届かない。
「2人でこたつに入ったり、会話も盛り上がるし…同じテレビの話題も面白そうだし」
 妄想が始まった。先ほどの“皆”はどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
 彼の脳裏に浮かぶのは、楽しそうに千石と鍋を突付きあう光景。妄想の中の千石の笑顔の眩しさに、南は頬を染め出す。
「箸をほら………突付いて、2人同じ具を取っちゃったりしてさ。お前にやるよ、いや南にあげるよ、でも、だってこれ南好きだろ?どうして知ってるんだよ、南の事なら何でもお見通しさ…………」


「せ、千石ッ!!!!!」
 バキッ!ガタン!
 強烈な一撃がロッカーの戸に決まり、くっきりと拳型に凹んだ戸ははずれ、床に南を避けるように倒れた。東方は固まったまま動けない。普段地味ながらに朗らかな部長は、想い人の事になるとおかしくなる。南はまだ妄想をやめず、終いには鍋で温まった千石が自分に襲い掛かるシチュエーションまで進んでいた。
「み、南!」
 ガバッ!
 隣の千石のロッカーへ抱きついた。
「千石………そんな………」
 ロッカーを揺らし、恥らう自分を演技させる。
 頼むからその1人2役を他所でやるなよ。東方は思った。
「我慢できないよ南。俺は…………き、き、き………」
 どうやら“君が欲しい”と言いたいようだ。
「駄目だ千石!ほ、ほら俺たち中学生だし!ま、まだ付き合ってないしー!」
 ぎゅううううう。掴む手に力が入ると、


「せ、千石ッ!!!!!」
 ガターン!
 ロッカーを背負い投げる。
 ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ、
 背を丸めて、荒い息を吐く。
 そして何事も無かったように東方の前に歩み出て
「良いアイディアだと思わないか!?」
 と目を輝かせて同意を求めてきた。
「う……………………」
 素直に“うん”と言う事が出来ない。
 付き合っても無いのに、良くもまぁここまで1人盛り上がれるものだと東方は関心する。いつかこんなになる程までに恋焦がれられる相手に出会えたら良いと思った。
「な、良いだろ!?」
「………………………」
 グリッ。
 東方の頭を押さえつけ、力付くで頷かせる。


「で、どうして包帯が………」
「鍋の具に飾り包丁が入っていたらポイント高いじゃないか」
 指をいじりながら、はにかんだ。だが、その可愛らしい態度の背後には、ドロドロした恐ろしいオーラが漂う。
「で、練習して手を切りまくったと」
 一つの質問の答えを聞くのに、やたらと時間がかかってしまった。








「おっはよー!」
「おはようございます」
 しばらくすると、他の部員たちが入って来て、その中には千石の姿もある。ロッカーは綺麗に直っていた。
「せ、せせ、せせせせ、千石!」
 ユニフォームに着替えた南は、千石の横に並んで名を呼ぶ。
「んー、どったの?」
「あ、あのさ、寒いよな」
「そうだね、寒いね」
 うんうん。のんびり頷いて、千石はロッカーに荷物を仕舞いながら、彼の話を聞く。
「俺の話を聞いてくれ!」
 メリッ!
 南は千石のロッカーの戸を閉めた。千石の指が変な音を立てて挟まる。
「うん聞く。聞くよ。どうしたの?」
 涙目だが笑顔で、千石は南に向き直り、彼の話を聞く体勢を取った。その下では挟まった指を摩っている。
「鍋好きか?」
「好きだよー。この季節、美味しいよね」
「そうか!好きか!」
 南は心の中でガッツポーズを決めた。
「暇な日、あるか?」
「ん?今日も明日も……うん、暇になったというか…」
 ぽりぽり。千石は頬を人差し指で掻く。
 引退して時間が出来たのを良い事に、女の子とのデートの予定をぎっしり立てていたのだが、今週に入った途端、吹雪に掻き消える景色のように、予定が次々と延期や中止になってしまったのだ。もちろん、南が裏で操作をしたのだが。
「あのな、今日さ…家族が全員出ていていないんだけど、良かったら鍋食いに来ないか?」
 じっと見つめ、千石の答えを待つ。
「うん、良いよ」
 千石は笑った。


「鍋ですか!良いですね!」
 横で聞いていた壇が話に乗ってくる。南は突然心の中のガッツポーズを阻止され、硬直してしまっている。
「僕もご一緒して良いですか?」
 上目遣いで頼んできた。
 “俺と千石、2人っきりのドッキドキ鍋パーティー”に予想もつかなかった壁が南に襲い掛かる。さすがに可愛い後輩に邪険な真似は出来ず、南は返答に困ってしまう。
「だ、駄目ですかぁ?」
「ねっ。南、俺からもお願い。皆の方が楽しいよね」
 千石は壇の後ろに回って、両肩に手を置いて一緒に頼んだ。
「あ、ああ大歓迎さ。ごめんな、間を空けちゃって」
 ぎこちない笑顔を浮かべるが、壇がパッと笑顔になると“まぁ仕方ないか”と諦めた。


「鍋かぁ。温まりそうだねぇ」
「そうですね」
 なんと新渡戸と喜多まで話に乗って来た。
 “俺と千石、2人っきりのドッキドキ鍋パーティー”の文字にヒビが入り、崩れ落ち、砂になっていく。
「新渡戸も喜多くんもどうだい?あはは、南の家の事なのに、俺が誘ってどうすんだ」
 1人突っ込みだす千石を注意することも出来ず、南は話に飲まれるしかなかった。
「あー、いや、俺はいけないんだよねー」
 新渡戸は悪そうに手をパタパタと振る。
「え、新渡戸先輩予定あるんですか?じゃあ、俺も…」
「喜多は予定ないんでしょ?行けば良いよー」
「えっと……」
 困った素振りを見せる喜多に、新渡戸は後ろの方で会話をしている錦織と室町を呼んだ。
「南の家で鍋パーティーやるんだけど、錦織と室町どうだい?」
「俺はパスですー」
 室町が誘いに乗ることはあまり無いので、当然の反応であった。
「俺は行こうかな。南、悪いね」
 錦織は手を振って答える。
「ほら、錦織行くって。喜多も行きなよ」
「はぁ…じゃ、じゃあ行きます」
 ぽんっと新渡戸に背を押され、喜多は行く事を決めた。その後、チラリと錦織を見る仕草に、東方の胸に突付かれるような感触が走る。
「お、俺も行こうかな」
 ぽそっと呟いた。自分でも良くわからないのだが、喜多が錦織を気にするのが妙に気に入らなかった。
「な!東方おま……」
 南は口を滑らしそうになり、慌てて自分の口を塞いだ。
「そうだよ東方も行こうよ」
「そうですよ東方先輩ー」
 きゃっきゃと千石と壇は手を合わせて喜ぶ。
 南、千石、壇、錦織、喜多、東方と、大人数のパーティーになってしまった。
 テーブル、幅あるかな…南は頭の中で席配置を考える。








 放課後、南の家で鍋パーティーが行われた。テーブルを2つ並べて、2つの鍋を使う。椅子ではなく、敷物の上で楽な姿勢を取った。
「こ、これ取ってくれませんか?」
「はいはい。これで良いかな」
 千石は壇の隣に座って、具を取ってやる。その向かい側に南が座っていた。本当は千石の隣が良かったが、大の男2人がならぶとキツいので実行には移せなかったのだ。2人きりで予定していた時も、向かい合って食べる様子を思い浮かべていたので、並ぶつもりは元々無かったかもしれない。
「そうだ南ー」
 千石は箸で人参を取って彼に見せた。それは綺麗な花形になっている。南の努力の結晶だ。
「これ……」
「南部長!これ凄いっスねー!部長が切ったんですか?器用なんですね」
 千石の言葉を遮って、隣の鍋を突付いていた喜多が南の飾り包丁を褒め出す。
 嬉しい、確かに嬉しいのだが、一番は千石に言って欲しかった南であった。
「…………………」
 南の手が小さく震える。それに逸早く気付いた東方は別の話題を持ち出して、話を逸らした。何でもわかってしまうパートナーは苦労が絶えない。
 その話題を変えた東方というと、南と同様に煮え切らない思いを抱いていた。喜多が率先的に錦織の具を取ってやり、当の錦織はのんびりと喜多の好意に甘んじている。なんだか気に入らない、なんだかいらつく、それはごく個人的で勝手なことで、伝えるのはどうかと思い、胸に秘めるのみであった。
 南が具を追加しに席を立ち、東方も気分転換で手伝おうと席を立つ。


「南、俺も手伝おうか」
 キッチンに入り、南に声をかける。
「!!!…………ああ、東方か」
 南は大きく肩を揺らし、東方だとわかると落ち着いた口調で額を軽く拭う。
「なんだ、用意してないのか」
 東方は南が鍋の具財ではなく、飲み物の準備をしていたので、瞬きを速めて、静かに驚いた。
「眠くなるだろう」
「え……………?」
 南は意味不明な事を言い出す。まさか………。東方のこめかみから、流れる一筋の汗。
 とくとくとく。
 グラスにはジュースが注がれる。
 ぱらぱらぱら。
 謎の粉がジュースに溶けて行く。
 からからから。
 ガラスの棒で掻き混ぜる。
「鍋で温まると、眠くなるよなぁ………やっぱり」
 くふふっ。
 南が笑った。
 怖い!お前怖い!
 東方は心の中で南に恐怖する。
「本当は千石に飲ませて、泊まって貰うつもりだったんだ。ま、仕方ないかな」
 淡々と語った。
「ほら、美味しいぞ。東方」
 手渡される一つのグラス。一番目の犠牲者に任命された。
「おやすみ」
「お、おやすみ…………」
 ずずっ。
 口の端をつけて、吸うように飲む。


 ジュースを皆に飲ませると、面白いように眠っていった。睡眠薬は南と千石には入っていない。
「皆眠っちゃったねー。ごめんね南ぃ、俺が誘っちゃって」
「ん…………いや………」
 本当は南の方が悪い事をたくさんしてきた。知ってか知らずか、いつも謝るのは千石の方であった。
「へへへ」
 千石はへらへら笑って南の隣に移動して、キツい席を楽しむように、そのままの笑顔で笑いかける。
「美味しかったよ。ごちそうさん」
「ん……………………」
 いざこういう場面に立たされると、照れ臭くて、南は俯いた。
「俺も眠くなっちゃったよ」
 千石は目をとろんとさせて、口をもごつかせる。
「ち、ちょっと待て千石!」
 眠ってしまったら、作戦が全て駄目になってしまう。
「南も眠っちゃおう。ね?」
 千石の手が南の髪に触れる。
 揺り動かそうと服を掴んだ手が止まった。そのまま、押されるように一緒に寝かせられ、彼は目を瞑る。
「………………………」
 半眼で寝顔を見つめていたが、いつの間にか南も眠ってしまう。そう上手くはいかないが、これはこれで良いと思えた。







千石→南描写が少なめですが、指挟まれた時に怒らないのは、まぁそういう事なんです。
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