目線



「降ったな」
 桜井は靴箱から靴を取り出して、外を見る。そこには一面の雪が広がっていた。東京に珍しく雪が降り積もり、部活が中止になってしまい、今から帰る所であった。玄関を出る際に、傘を差す。雪はまだ降り続けていた。
 ほぼ同じに玄関を出た見知った人物を見て、思わず声を漏らす。クラスが違うので、靴箱も違い、気がつかなかった。


「伊武」
 名を呼ぶと、伊武は振り返って、もっと良く見ようと傘を傾ける。
「桜井」
 隣に並ぼうと足を速めたのか、雪に滑って尻餅をついてしまう。
 傘を握って、じっと座り込んだままで、起き上がろうとしない。
「大丈夫か」
 手を差し伸べると、伊武は顔を上げた。寒さか、恥ずかしかったのか、白い頬が赤く染まっている。
「何やってんだ、俺」
 伊武は息を吐いて、桜井の手を握ろうと手を出そうとするが、素早く引っ込めて、顔を逸らしてくしゃみをする。
「何やってんだ、俺」
 鼻を啜って、鼻声で同じ事を言う。桜井の手は借りず、自力で起き上がった。
「帰るか」
「うん」
 2人並んで学校を出る。




 帰路を歩く2人の間には、これと言って会話は無かった。たまの話題はクラスであった事や共通のテニス部の事。雪の日に限らず、いつもそうであった。お互いの気持ちを知ってからは、少しだけ会話の数が増えたと感じる程度であった。彼らの横をアベックが通り過ぎる。必要以上に身を寄せて、何やら楽しそうに話していた。桜井が見入っていると、伊武が押すように体を寄せて来た。
「道でそういう事、すんな」
「寒いし、良いじゃない」
 顔を合わせず、しゃあしゃあと言い放つ。
「そうだな」
 桜井はそう言って、伊武の手を握った。はっとして振り向く彼に“寒いし”と、彼だけに聞こえるように呟く。


 ストリートテニス場の前に来ると、伊武は桜井の手を引いた。
「寄って行こう」
「テニスすんのかっ?」
「しないよ」
 引かれるままに、雪を退かせた階段に腰をかける。その下には足跡一つ無い白い四角が見えた。コートは完全に雪に覆い隠されていた。
「もう少し、こうしていたい」
 コートを見下ろして、伊武が言う。
「そうだな」
 その横顔を見てから、桜井もコートを眺めた。
 いつの間にか傘は横に置かれ、音も無く空から降る雪は、静かに2人の髪や肩に舞い降りる。無言のままに佇む背中の後ろを、数分おきに人の足音が聞こえる。


「寒い」
「ああ、寒い」
 自然と、そんな言葉が出た。寒い日は、誰といてもどこにいても、そんな事ばかり口にしてしまう気がした。
 耳が冷えて、痛いように冷たい。桜井が摘むように耳に触れると、その上から伊武の手が添えられた。そのまま顔を動かされ、互いの顔が合わさる。吐かれた息に、一瞬だけ視界が曇る。
「伊武は髪があるから……」
「そんなことないって」
 もう一方の手で伊武の髪に隠れた耳に触れて、本当だ、と声には出さず、口だけを動かした。
「俺たちの手、両方ともあんまり温かくないね。今は寒いから温かいと感じるけど」
「手が冷たい人は、心が温かいんだって」
 伊武がそんな事を言うものだから、桜井は言い返す。
「俺は反対だと思ってた」
「どうでも良いんだけどね、そんなのは」
「うん。どっちにしたって、この手は好きだな」
「俺も」
 くすくすと笑って、まだ笑い続ける桜井に、顔を近付けて口づけをした。寒さで白くなった肌に浮かんだ赤い唇は、少しだけかさついて冷たかったが、触れると解けるように温かく柔らかい。唇と同時に手を離し、長めの瞬きをすると、伊武は口を開いた。
「桜井、背伸びた?」
「そう?伊武も伸びたんじゃないか?」
「わかんない」
 伊武はまた、コートに視線を移す。


「いつまで、こうして同じ景色を眺めていられるんだろ」
「伊武………」
 その先の言葉が出せず、口が僅かに開いたまま、動きを止めた。
「……自信ないの?」
 間を置いて、桜井は問う。
「……俺は、ずっといられたら良いと思うよ」
 返って来る気配が無いので、桜井は続けた。


 ずっとなんて、遠すぎる。


 伊武は言葉を飲み込んだ。
「ごめん」
 いつも不安にさせてしまう事を言ってしまって。
 いつも桜井が否定をするのを待って、愛を確かめるような事をしてしまって。
 後ろめたい気持ちを胸に、視線を合わせられず、一言詫びた。
 桜井は何も言わず、伊武に寄り添って、同じ景色を眺めた。触れる腕から、熱が伝わる。


 この目線で、この景色を眺めるのは、今この時しか無く、目に焼き付けていたかった。







関東のくせに雪がよく降るなぁと思って作りました。伊武も桜井も体温低そうですね。
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