何かが違う。
 どこかがおかしい。
 君の心は、どこにある。



歌声



 伊武は目の前に映るものを、じっと見張った。薄い線の引かれた白い紙。ノートが見える。
 今は授業中であった。我に返ると、顔を上げて座り直す。


 頭の中にあるのは桜井の事。今も昔もずっとそう。出会った頃からずっとそう。
 声を掛けてみたくて、仲良くなりたくて、どう近付いていけば良いのか、初めはそんな事ばかりを考えていた。親しくなり、恋をして、心も体も重ねた。なのに、ふと夢から醒めるように、桜井との距離を感じてしまう時がある。桜井はいつも遠かった。いつも遥か彼方にいた。
 走っても、泳いでも、飛んだとしても縮まらない。いつも遥か彼方にいた。


 頭の中にあるのは桜井の事。今も昔もずっとそう。出会った頃からずっとそう。
 だが、今感じているものは、いつもとは異なる事に気付き始めていた。
 桜井との距離を遠くに感じる。そこまでは同じだった。
 だが、その間に、何か阻むものを感じる。
 阻むものに、桜井が影響されている気がした。
 桜井が変わっていく。知らぬ間に変わっていく。傍にいるのに変わっていく。
 変わるなとは言わない。誰しも変わっていくものだ。わかってはいるのに、胸がざわついた。


 桜井に聞きたい事があった。
 何かあったのかと。


 その次に思う事があった。
 どんな言葉を望んでいるのか。
 どんな言葉なら、耐えられるのかと。


 本当の言葉。
 嘘の言葉。
 それとも、はぐらかされるのか。


 どの答えも、怖かった。
 どの答えも、桜井を疑っていた。


 一人恐れて桜井を疑う。今も昔も変わらない、嫌な部分。


「………………………」
 伊武は瞬きを何度かして、窓の外を眺めた。
 ふと耳に、歌声が流れてきたのだ。
 音楽室からであろう、大人数の揃えられた声。
 確かこの時間は、桜井のクラスが音楽だったはず。
 ではこの歌の中に、桜井の声が入っているのかもしれない。


 桜井の声。
 そう気付いた時に、無意識に指が髪を耳の後ろへかけていた。
 しきりにかけて、指を一本、耳の中へ入れる。
 何度も聞いた声。大好きな声。しかし、なぜか、聞く事を避けようとしてしまう。
 行動とは裏腹に、歌の中に桜井の声を探してしまう。桜井の声を求めてしまう。




 その日の放課後、伊武は桜井を誘った。
 カラオケでも行かないかと。
 桜井は目を丸くした後、噴出す様に笑う。
「カラオケ?伊武が?」
「可笑しい?」
「神尾が誘うの、何度も断るのを見ていたからさ」
「神尾はノリ出すと止まらないからだよ」
 表情を変えずに口をパクつかせて答える。
「良いぜ。行こう」
「うん」
 頷き合い、2人はカラオケへ寄って行った。


 個室へ入り、向かい合わせに座って、桜井が歌う。
 彼の口の動きを眺め、発せられる声を聞き、伊武はドリンクに口を付けた。
 唇が湿って、喉が潤される。
 避けずに、キスをしようと思っていた。







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