11月3日。不動峰中では文化祭が行われ、同時に伊武の誕生日であった。



火遊び



 冬は日が短く、後夜祭が始まる頃にはすっかり暗くなっていた。生徒達が校庭に集まって祭を楽しんでいる中、伊武と桜井は抜け出して、部室へ忍び込む。
「寒いなー」
 扉を閉めるなり、桜井が口を開く。
「寒い」
 伊武は荷物置きと化しているベンチに腰をかけた。
 明かりも付けずに悴んだ手を摩り、桜井はロッカーから小さな箱を取り出して、伊武の隣に距離を置いて座る。
「さっきも皆で祝ったけれど、個人的に、おめでとう。召し上がれ」
 2人の間に箱を置き、空けて見せた。中にはショートケーキが1つ入っている。
「1つ?」
 きょとんとして、伊武が瞬きをする。
「2つ買って一緒に食べようか迷ったんだけど、渡せる時間もわからなかったし、1つにした」
「1つを2人で食べよう。有難う、桜井」
 口元を綻ばせると、桜井も嬉しそうに微笑んだ。


 ケーキの横には小さな蝋燭があり、手にとってケーキに刺して、マッチで火を付けた。
「見つかったら怒られるな」
「見つからなきゃ良いんだよ」
「2人だけの秘密だ」
 2人の間を、ぼんやりとした淡い光が包んだ。幻想と罪の味がする蝋燭の火に魅了されて、うっとりと見とれる。伊武は、蝋燭と同じように付属されていたプラスチック製のフォークを、包んであるビニールを破って取り出した。
「桜井は、美味しい物を後に取っておく方?」
「どちらかというと、そうかな」
「俺も」
 ショートケーキの上に乗せられたイチゴを刺そうとしたが、上手く刺さらずに転がった。気にせずに小さく刻んだケーキの端を口の中へ入れる。
「美味しい」
「良かった」
 次は薄く開かれた桜井の口の中へ持って行こうとすると、蝋燭の火が消えてしまう。伊武は気にせずに食べさせた。
 桜井のもごつく口元と目を交互に見つめる。うっすらと付いたクリームは舌で舐め取られた。薄暗いせいか聴覚が冴え、耳へ届く音の一つ一つが、妙に残って脳へ染み込んで行く。


「最後に取っておく美味しい物は、食べている間も、味を想像している事は無い?」
「そうだな。早く食べたくて、思い浮かべるかもしれない」
 伊武の持つフォークは、自分の口と桜井の口の間を行き来して、ケーキを削っていった。
「どんな味か、どんな食感か。口に入れる瞬間や、後味まで。他の物を食べながら、想像して」
 顔は箱の方へ向け、俯いてはいるが、伊武の瞳は桜井を見上げて捕らえている。手を動かし、口を動かしても、瞳は桜井を見据えたまま動かない。細かな仕種をも逃さず、見据えている。


 残されたのは1つの苺。伊武はそれを刺すと、新鮮な音を立てて、赤い果汁が溢れ出た。
「ショートケーキの苺ってすっぱいよね」
 自分の口元へ持っていき、噛みながら、箱をベンチ下へ避ける。
 ごくん、と飲み込んで、桜井の腕を引いた。彼の手が背へ回りこみ、2人は体を密着させる。耳元へ口を寄せると、香ってくる甘い匂い。
「散々想像していたよ、桜井の事」
「俺も」
 囁くだけでも、良く聞こえた。


「俺は桜井が好きだけど、他に何が必要?」
「どうして、そんな事を聞くんだ」
 髪を撫でようとした桜井の手が止まる。
「すっぱいだけの苺にはなりたくないからね」
「また、食べたくなる味だから良いよ」
 顔を上げ、見詰め合う。息がかかる程まで近く、瞬きすらも数えられるくらいに瞳を覗き込んだ。
「今度、一緒に食べる時は、苺は桜井にあげる」
「約束な」
 口付けを交わし、布摩れの音が響く。幸せに酔いしれる中で、外の方から賑やかな音楽が聞こえた気がした。







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