青い空の色も、流れる雲の白さも、肌で感じる暑さも昨日とは変わらないはずなのに。
今、この時で、俺の、俺たちの、夏は終わってしまった。
滲み、流れる汗は、涙と同じ色と生温さを持っていた。
夏
不動峰は四天宝寺に負けた。
仲間たちと負けた悔しさと、ここまで到達できた喜び、そして不思議と湧き上がる清々しさを分かち合った後、伊武は輪から離れて会場の外れで休んでいた。芝生があり、座ると疲労が吸収されるようであった。ここへ来る途中で買った缶を横に置く。
飲むために購入したはずなのに、開ける気にならない。
試合もしてたくさん動き、応援をして珍しく大声をあげて、喉が渇いているはずなのに。
何かが喉に引っ掛かっている。それが気になって輪を離れた。
「……………………………」
喉へ手を伸ばし、指の腹が触れる。
柔らかく、熱く、汗で濡れていた。
「伊武」
背中の方から聞き慣れた声がする。
返事をするつもりが、声が出なかった。呻きさえも喉で止まる。
気配がさらに近付き、真後ろで止まる。
「伊武」
もう一度、聞き慣れた声で、桜井は伊武を呼んだ。
「……………………………」
伊武は小さく頷き、聞こえているという合図を送る。
髪で隠れて、表情は桜井からは見えない。
桜井は背を屈め、中腰になって伊武の両肩に両手を乗せた。
「終わっちまったなぁ」
夏が。
頭の中で、声の先に続くであろう言葉が浮かぶ。
「俺……」
低く、細い声で伊武は口を開いた。
「橘さんに、また頼って………」
予想していたよりも、発せられた声は震え、絡まり、泣き出しそうに見えて、途中で閉ざす。
「違う」
諭すような桜井の声が、酷く優しく耳へ流れ込み、伊武は拒否するように俯く。
「頑張ったろ?それにもう」
首を振り、聞き入れようとしない。
長く、滑らかな髪が桜井の手に触れた。
まだ、やはり、許せなかったのだ。棄権して橘に迷惑をかけてしまった事を。試合の結果も仕方がないと諦められるし、敗退した結果も受け止められる。けれども全てが終わった後で、夏の暑さと共に湧いてくる”まだ、やれたのかもしれない”という後悔。汗のように滲んで広がっていく。
一人きりになれば頭を冷やせるかと思ったのに、缶すらも喉を通らない。
桜井の温もりに触れれば、弱さが洪水のように流れてしまいそうになる。
これ以上触れれば、全て吐露してしまうかもしれない。また、甘えてしまう。
伊武はおもむろに桜井の手の甲へ自分の手を置く。
桜井、離して。
そう言おうと、心に決めた時であった。
「伊武が、そう思うのなら“俺”じゃないだろ」
桜井が先に口を開いた。
「“俺たち”のはずだ」
「……………………………」
伊武の唇が僅かに尖がる。何も言い出せない。
「また、来るだろう?」
「ああ」
自然と返事が出来た。
「まだ終わりじゃなかったな。またに備えて、やってやろうぜ」
桜井は伊武の肩を揺らし、返事を促す。
次もまた、返事が出るはずだった。
だが、揺らされると同時に身体の奥底にある心も揺らされる。震えて、どこかにひびが入り、崩れる。
「…………ふ………」
伊武の目元から涙の粒が浮かび、零れた。桜井の手を引き剥がして、彼の方へ向き直り、きつく抱き締める。中腰だったので、胸に顔を埋めた。声を殺すのに精一杯で、涙は抑え切れない。堪えきれない感情が涙となって押し寄せる。
外れなので、誰にも見られていないだろう。桜井は伊武の髪をすくように撫でて、好きなように泣かせてやる。そんな彼の瞳もどこか潤み、今にも涙が零れ落ちそうに溜まっていた。
泣き終わった後、二人は並んで座り、伊武の方はというとしきりに髪をいじっていた。気を許しても涙を見せたのは照れを感じているようだ。桜井もなんとなく、オールバックからはみでた前髪をいじっている。ただ無言で、遠い喧騒を背で感じていた。
そろそろ立たねばならない。わかってはいるが、腰が重い。
「ん」
桜井は置かれた缶に気付いた。それは二人の間にあり、なんとなく持ってみれば重く、中身が入っている事を知る。
「伊武、これ」
「飲んで良いよ」
「え?ああ」
そう言われてしまえば、飲まねばならない空気になる。
桜井はプルタブを持ち上げて戻し、一口飲んだ。ラベルも良く見なかったので、広がった甘さも缶を持つ手も違和感があり、落ち着かない。
「やっぱり返して」
「え?」
振り向くよりも早く、缶を掠め取られてしまう。伊武を見れば、缶を斜めにしてゴクゴクと喉を鳴らしていた。先ほどまで泣いていたとは思えない、良い飲みっぷりであった。
「ごちそうさま」
缶を口から離し、息を吐く。そうして勢い良く立ち上がり“行こう”と言う。
待たずにさっさと行ってしまう背を見て、桜井は間接キスをされた事に気付いた。
いざコミックで不動峰対四天宝寺を見たら、色んな思いが。
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