君をどんな風に、愛していたんだっけ。



うらら



 暑さを過ぎた肌寒い空は雲ひとつ無い。
 真上に太陽が昇った昼休み。伊武は校舎から出て部室棟へ向かう。
 建物が見えてくると、反対側から桜井がやってくるのが見えた。桜井は伊武には気付かず、中へ入ってしまう。
 昼食を早めに済ませ、時間はたっぷりあるのに何かが伊武を急かせて歩調を速める。


「桜井」
 扉を開けると同時に彼の名前を呼んだ。
 言った後で、まるで付けていたような口調だったと恥ずかしくなる。
「ああ」
 振り返る桜井の手には、部室の備品があった。
 部の特別な役割に入っていない桜井は、こうして部室をこまめに整理してくれている。
 明かりの付いていない薄暗い部室にドアを開ける事によって差し込んだ強い日差しが、彼の姿を半分浮き上がらせた。
「さっき、見かけたんだ」
「そう」
「……………………………」
「……………………………」
 会話が途切れ、二人は沈黙した。
 けれども身体の奥底では心臓だけが忙しなく鳴る。
 嬉しさか、それとも緊張なのか。どちらかわからないくらい感覚が麻痺する。


 仲間に内緒で関係を結んでいた二人。
 時に幸せ、時に不安を抱き、別れた二人。
 もう一度二人の関係を見詰め直し、よりを戻した。


 また昔に戻れる。そう思ってはいても、すぐに行動に移せるなら別れはしなかっただろう。
 よりと言っても、所詮口約束に過ぎない。
 どうまた接しれば良いのか。こうして流れる間が不器用さを物語っていた。
「中、入れば」
 桜井が言うままに伊武は中へ入り、適当なベンチに腰掛ける。
 だが、扉は閉めなかった。閉鎖空間だと、余計に何もわからなくなる。
 黙って何も話しかけない伊武に、桜井はてきぱきと持ってきた備品を古いものと入れ替えだす。
 慣れたもんだな。伊武はぼんやり思う。


 前もこうして昼休みに部室で二人きりで会い、愛を囁いた事もあった。
 見つからないように、スリルを味わい、情熱的だった気がする。
 情熱を失ってはいない。心臓は高鳴っているのだ。扱い方を躊躇っているだけなのだ。


 どうしていたんだっけ。
 君をどんな風に、愛していたんだっけ。
 手を開閉させて、記憶を辿っていた。汗が滲む。
 瞳はじっと桜井の背を追ってしまう。どうにか動かなければ、さすがに変な奴過ぎた。
「俺も、手伝う」
 気の利いた言い方ではあるが、この場では逃げに入る。
「もう終わっちゃった」
 きょとんとして、桜井は告げる。
 彼自身は自分の仕事をやっただけなのだが、伊武としては自分が情けなくなった。
「言うの、遅かったね」
「そう、だな」
「……………………………」
「……………………………」
 また沈黙する。
 桜井側としては、別れに至る伊武に不安を与えた要因に大きな負い目があった。
 よって二人の関係が本当の意味で戻るまで、彼からは動き出せないだろう。
 伊武が踏み出さねば、何も始まらないでいた。


「桜井」
 囁くように名を呼んで、そっと抱き寄せる。
 視線は反射的に扉の外へ向けられた。幸い、誰もいない。
 見つかる前に、外の人間からは目に入らないドアの影へ移動した。
「……………………………」
 しかし、その先が続かない。
 顔を向き合わせ、互いの姿を良く見ようとする。
 懐かしい。この距離は随分と久しぶりだったような気がした。
 肌に触れ合い、ぬくもりを感じていた。
 伊武は手を伸ばし、桜井の肌に触れる。
 すると、彼は静かに微笑んだ。嬉しそうに、笑ってくれた。伊武も嬉しくなり、口元を綻ばせる。
 笑顔に引力を感じた。
 引き合うように顔を寄せ合い、挨拶をするように伊武は桜井のまぶたに唇を付ける。
 わかっていたように、桜井は丁度良いタイミングで瞼を閉じる。
 唇を話すと、もう一度見詰めあい、今度は唇を重ねようとした。


 ああ、これで本当に戻れる――――
 まるで誓いの口付けを交わすようだ。
 緊張が高まり、ときめきに胸を躍らせる。
 一方で、本能は早くその先を望むようにドロドロと急かしてくるが。
 落ち着いて、落ち着いて。理性を働かせながら、互いに合図するように身をさらに寄せ合う。




 その瞬間、伊武のポケットに入れてあった携帯が振動した。
「うわ」
 絶妙の間のせいもあって、つい声を漏らして驚く。桜井もびっくりしたように目を丸くさせていた。
「ごめんね」
 身体を離し、携帯を取り出す。
 開けばメールが届いていた。神尾だ。
 用件は“一緒に飯を食べようと思ったのにクラスにいない。どこにいる”という、極めて単純な昼食の誘いであった。神尾は自分の予定行動の中に伊武が見当たらないと、すぐにメールを出してくるのだ。彼は大切な友人なので、応える伊武は満更ではない。寧ろ呼びかけてくれるのが嬉しいくらいだ。
 だがしかし、今はどうしても受けたくは無い相手である事は間違いない。
 漫画的表現なら青筋を立てていた事であろう。
「どうした?」
 桜井が気にかけてくれる。
「なんでもないよ」
 手早く"もう済ませた"と送った。
 するとすぐに返って来る。“とにかく来い”と。
 どうやら食べなくても話がしたいらしい。神尾の強引さは熟知しているので“後で”と無難な返事を出しておいた。
「ごめん。もう終わった」
 携帯をしまい、桜井の方を向く。


 視線の先には桜井がすぐいて、唇を合わせられた。
 唇を離し、口を開く。
「俺もごめん。色々と」
 目を細め、俯きがちに囁かれる。
「もういいって言った」
 躊躇いはどこかに消えて、きつく抱き締めた。
「桜井が俺を想ってくれて、俺も想っている今だけを、俺は信じてる」
 桜井によく聞こえるように、耳元で囁き返す。
「伊武」
「やっと、俺の名前呼んでくれた」
「呼び辛かったんだ」
「もう呼び辛くない?」
「何度でも呼ぶよ」
 頬を摺り寄せ、桜井はもう二度、三度"伊武"と呼んだ。四度目を口にしようとした時、唇で塞がれた。


 瞳には互いの姿が映っている。
 目と心。同時に見える幸福がそこにはあった。







20.5の部室は汚かったですが、あの後に桜井が綺麗にしたと思っておく。
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