太陽
夏。立海大付属テニス部は全国大会に向けて練習をしていた。
この日は特に、コートには緊張が満ちている。だがその反面、どこかテニスには集中していない。彼らが神経を澄まし、気にしていたのは時間であった。
今日は退院した幸村が部活に顔を出す日なのだ。皆、幸村が帰ってくるのを待っている。待ち遠しくて、そわそわしてしまう。
「む……」
腕を組み、仁王立ちをして、選手たちの練習を監視……もとい、指示をしていた真田の眼光が、帽子の影から鈍い光を放つ。
「どうした」
隣に立つ柳が問う。
「赤也はどこだ」
「本当だ。いないな」
辺りをざっと見回し、頷いた。確かに真田の言う通り、切原の姿が見えない。
「ジャッカル」
真田と柳の声が重なり、桑原を呼ぶ。
「なんだー?」
呼ばれた桑原は手を休め、振り返った。
「赤也を捜して来い」
「お、俺かよっ!」
唐突の捜索命令に突っ込まずにはいられない。
「おう、ジャッカル行って来いよ」
共に練習をしていた丸井までもが真田たちに加わる。
「くっ」
三対一では分が悪く、桑原はしぶしぶコートを離れて切原を捜しにいった。
「ありゃあ、良い様に扱われとるナリ」
「ですね」
桑原の背を眺めて、仁王と柳生がぼそりと言葉を交わす。
「暑いのー」
「ですね」
コート周りに植えられた木からは蝉の鳴き声が聞こえ、空は真っ青に晴れて、入道雲が浮かんでいた。猛暑の中、テニスウェアは汗で濡れて貼り付き、身体を動かせば余計に流れる。こめかみから伝う汗は生温く、気持ちが悪いはずなのに、心地が良かった。
「なんで俺が」
桑原は一人愚痴を吐きながら、校舎周りを歩く。切原がいそうな所はだいたいの予想がついていた。
「やっぱりここにいたか」
切原の姿を見つけ、後ろから歩み寄る。
その場所とは、校門の前。彼は門の柱にくっつき、じっと外の道路を凝視していた。大方、誰よりも早く幸村を迎える魂胆だろう。
「赤也」
桑原が切原の頭を掴むように触れる。海水に漂うワカメのような髪がくしゃっとなった。
この感触が良いのだが、それを口にすると切原は物凄く怒るのだ。
「サボりはいかんぞ」
「その声はジャッカル先輩っスねー。先輩だって、サボりじゃないスか」
背を向けたまま、切原は言う。
「俺はお前を捜しに来たんだよ」
「ご苦労さんです」
「戻るぞ」
「嫌っス」
「あのな、まだ幸村が来るまで結構な時間があるぞ。ほら」
手を離し、桑原はハーフパンツのポケットから時計を取り出して、切原の目の前に見せてやった。
だが、彼の視界に入る既でそっぽを向かれてかわされる。
角度を変えて時刻を見せようとするが、またかわされた。
「こらっ」
切原の隣に回り込み、時計をかざしてやろうとムキになるが、当の彼はつんとした表情で目を瞑っていた。切原は時間がどうだろうと、動く気はさらさら無いらしい。
「幸村が来たら、ちゃんと練習するんだぞ」
時計を仕舞い、桑原は折れる。
「はーい」
目を開けて、ニッと白い歯を見せた。
ゲンキンな奴だな。桑原は苦笑を浮かべるが、いかにも彼らしく憎めない。
「ところで先輩〜、喉が渇いたん……」
言い終わる前に額を指で突く。
「調子に乗るな」
「はーい」
ちぇっ。不満を漏らし、切原は幸村が来る方向の道路を眺めた。桑原も付き合い、同じ方向を向く。
「ん?」
切原の顎が上がり、瞳を瞬かせた。
「赤也?」
「あれ……部長じゃないっスか?」
「まさか」
切原が指を差し、桑原は目を凝らす。
道路の先に人影が見える。視力の良い桑原は、立海の制服を着ている所までわかる。
「ねえ……!部長ですよ絶対!」
背を伸ばし、切原は大きく腕を振った。すると人影が手を振り返すのが見えた。
「本当だ、幸村だ……!」
桑原も切原と共に腕を振る。喜びが溢れ、自然と二人の顔に笑みを形作った。
「俺、行って来るっス!」
「待てって」
飛び出そうとする切原を桑原が引き止める。
「俺も行く」
「そうこなくっちゃ」
かと思いきや、彼も切原に賛同した。二人で幸村の元へ駆けて行く。
「部長!部長!幸村部長!」
「やあ赤也、それにジャッカル。元気そうで何よりだ」
駆けて来た二人に、幸村は変わらぬ柔らかな笑みを浮かべた。
「部長だって!もー俺が立海NO.1になるんですから、元気でいてくれなきゃ困りますよー」
切原は幸村の周りを一回りして、彼の腕にしがみ付く。
「予定より、早いんじゃないか」
「早めに来て驚かせてやろうと思ったんだけど、待ち伏せされているとはね」
桑原と幸村は顔を見合わせて、くすくすと笑う。
「ささ、皆が待ってます。行きましょう!」
早く行こうと腕を引き、切原が促した。
「待て待て、幸村はな」
「良いんだよ。さ、行こうか」
「はい!」
歩調を速めて、三人で仲間たちが練習するコートへと向かった。
幸村がフェンスの横を通ると、気付いた部員が他の部員の肩を叩き、ある者は指を差して、彼がやって来ることを知らせる。コートへ入ると部員たちは横並びに構えて声を揃えて言い放つ。
「幸村部長お帰りなさい!!」
「……ただいま」
幸村は微笑み、挨拶をした。目頭がじわりと染みる感じがしたが、鼻を啜って堪える。
彼の傍にいた切原と桑原は様子を察するが、特に何も言わなかった。
部員の中から真田が前に出て幸村の元へ歩み寄る。続いて柳生と丸井も彼の元へと近付いた。
「幸村、調子はどうだ」
真田の個人的な一声は、気遣いの言葉だった。
「うん、大丈夫」
「そうか。あと、赤也」
ギロッ。真田の鋭い視線に切原の身が竦む。
「帰りに部室の掃除だ」
「わかりましたよー」
肩を落とすと、気持ちに合わせて髪も萎れた。
「ジャッカル、お使いご苦労」
丸井が軽く桑原に向けて手を上げる。
「俺はお前の使用人かっ」
打てば響くように、桑原は突っ込んだ。
「幸村くん、今日は日差しが特に強いですよ。病み上がりなのですから、陰のある場所に移動した方が良い」
柳生が眼鏡のフレームを指で押し上げて言う。
「そう……」
「言われて見ればそうだな。幸村、あそこが良い」
「そうだそうだ、こっちこっち」
幸村が返事をする前に、真田と丸井が陰のある涼しい場所へ連れて行こうと、二人掛かりで彼の背を押した。
「アイツらの方が強引だな」
「そうっスよね」
「全くです」
残された桑原の呟きに、切原、柳生が順に頷く。
部長の復帰に喜ぶ仲間の姿を、やや離れた場所から柳は眺めていた。視線は変えぬまま、その後ろに佇む仁王に声をかける。
「お前は行かないのか」
「参謀こそ、行かんのか」
「皆、嬉しそうだな」
「なんじゃ、随分と他人事のような言い方をしよって」
はあ。背中から、仁王の溜め息が聞こえた。
「俺は落ち着いてから行く。なんだか、眩しくてな」
「幸村がいた方がウチはしっくり来るの。別に今まで暗かった訳じゃないが、晴れ渡るようじゃ」
「同感だ。この太陽みたいに」
「おお、眩しい」
柳と仁王の喉で笑う声が重なる。
頭上に輝く太陽は、熱く、眩しく、光り輝いていた。
げんきがいちばん。
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