冬。もう一週間も経てば十二月に入り、クリスマスの準備に町は姿を変えるのだろう。
東京の、とある駅前の喫茶店で柳生と桜井は向かい合う二人席で外の景色を眺めていた。
夏からこの季節にかけて、二人の関係は知り合いとも友達とも異なるものへ変化した。互いが特別である関係。俗に言う“恋人”なのだが、気恥ずかしい気持ちや世間性から、口に出せないでいる。
彼にはならない
「今日はまた、一段と冷えますね」
柳生は温かいカップを口につけ、当たり障りの無い話題を振った。
「ラケットも手袋はめて持ちたいくらいです」
同じように桜井もカップを手に取る。
二人はこうして、ちょくちょく会う機会を設けてはいるが、話し込むだけで終わってしまう。
インテリの雰囲気を漂わせる柳生と長時間話していれば、桜井が悩みを打ち明ける相談者に第三者からは見えるのかもしれない。そんな事を、ぼんやりと桜井は思う。ついでに楽しみにしているメジャーリーグの録画を撮ったか忘れたか、曖昧な記憶が脳裏を泳ぐ。
二人の時間はそれでも楽しい。しかし、どこかがもどかしくもあった。
「桜井くん」
いそいそと柳生は膝の上に鞄を乗せる。
「あの、クリスマスの予定…………なんですけど」
もじもじと一人頬を染めて俯く。まるで鞄で顔を隠しているようだ。
「俺も聞きたかったです」
意味のありそうな柳生の鞄を見詰め、桜井は言う。
「……空いて、ますか」
「空いてますよ」
即答であった。
「よ、良かった……ではその、これ、どうでしょうか」
鞄から硬そうな紙を一枚取り出し、テーブルに置く。
「雑誌に挟まっていたチラシなんですけどね」
チラシの内容は、町の大通りを特別なイルミネーション飾る、というものであった。美しく、幻想的な写真が載っている。
「ここ、不動峰に近いですよね。知ってます?」
チラシと桜井を交互に見ながら柳生は問う。
「ええ、まあ」
曖昧な返事をした。知ってはいたが、意識的に濁してしまった。
このイルミネーションは不動峰中では有名なスポットである。クリスマスが来たのなら通らなければ、と定番だ。もちろんデートにも利用されている。
去年、伊武と行った場所であった。口に出しても柳生が気にするだけなので噤んだ。
また柳生に伊武との事を隠してしまうようで、胸が痛む。柳生の嬉しそうな顔を見ると心が安らぎ、悲しませたくは無い。
「とても綺麗ですよ」
桜井は写真を指でなぞり、口元を綻ばせた。
「私も見てみたい」
「では、行きましょうか」
下を向いた瞳が見上げられ、柳生を捉える。柳生は心臓が大きく高鳴り、思わず胸を押さえた。
「は、はいっ。クリスマスに、行きましょう」
頬を上気させて柳生は桜井の手を握り、約束をする。
頷き、桜井も頷く。
「私と、貴方が。新しい関係となって……初めての…………トに、なりますね……」
肝心の言葉はよく聞き取れなかった。
そしてクリスマスの夜。漆黒の空にイルミネーションはよく映える。
桜井は待ち合わせの駅の改札から、景色を眺めていた。
確か去年は直接、通りで待ち合わせをして伊武と歩いた。会って、通るだけだったのに顔が自然と綻んだ。
楽しかったっけ。伊武との思い出を巡らせ、頭を振るう。
「桜井くん」
改札から出てきた柳生が桜井を呼ぶ。
「お待たせしました」
声をかけても桜井の背中は動かない。柳生は肩に触れようとしたが、なぜか手が伸ばせなかった。
「桜井くん」
もう一度呼んだ。
「……あっ」
ようやく桜井は気付き、振り返る。
「こんばんは」
「……こんばんは」
挨拶を交わす二人の笑みは、どこかぎこちない。
「じゃあ、行きましょうか。こっちです」
道を良く知る桜井は先に歩き、柳生を案内する。ゆったりとした歩きで柳生はついていく。
通りへはそう時間はかからなかった。木々に電飾が美しく飾られ、周りに建つ店も暖かい光を放っている。チラシで見た写真では伝わらない本物の煌びやかさは、魅了し心躍らせた。大勢の人間が通り、恋人同士や家族連れ、一人の者も光を見上げ、目を奪われていた。
「綺麗ですね……」
柳生の呟きは、息が白く染まる。
「でしょう?」
くすくすと桜井は笑う。
つい立ち止まりそうになる柳生の手を引いた。不意の感触に、足がもつれそうになってしまう。
「桜井くん、待ってください。もう少し、ゆっくり」
「駄目ですよ」
引かれる形で握られていれば、変な風には捉えられない。大勢の目の前で握って見せた。
道行く人を華麗に交わし、一気に大通りを抜ける。
「到着。どうでした?」
手を離し、柳生に身体を向ける桜井。
通りの終わりの木には電飾はついておらず、店も無いので薄暗い。整えられた木よりも一回り大きく、そこは影となっていた。
「どうって、その……」
柳生は背を屈めて息を整える。グラウンドを走るよりも疲労を感じた。
「暗い所から見ると、明るさも一際なんですよ」
桜井が言うように、柳生は背を伸ばして後ろを向くと、通る時とはまた異なるイルミネーションが瞳に映る。
「ここは通り過ぎる人ばかりなんで、立ち止まって見やすいんです」
「随分、詳しいんですね」
柳生は桜井に視線を移すが、暗くてよく表情は見えない。
「……地元ですから」
「伊武くんとは来られたんですか」
「…………ありますね」
正直に答える。二人を包む影のような気まずいものが胸の奥に圧し掛かった。
「本当は避けたかったんじゃないですか。今日の君は早口だ」
「そんな事は」
桜井は地に視線を落とす。
「別の場所でも、良かったのに」
「良くは無い。柳生さん、貴方が行きたいって言ったからじゃないですか」
すぐに顔を上げ、柳生を見据える。
「君が見たものを、私も見たかった……」
「だったらそれで良いじゃないですか。貴方は伊武じゃない。同じ場所でも、貴方と来る初めての場所だ」
言い放つ後で桜井は小さく詫びる。柳生よりも伊武を意識していたのは他でもない、自分自身だとわかっていた。特別な日、特別な場所。無意識に重ねようとしてしまう。そうスイッチの切り替えみたいに、すぐに変われはしない。
項垂れようとした桜井の肩に、柳生はそっと手を乗せた。
「私は伊武くんになれません。私は私として、君に向き合いたいんです。伊武くんの存在を知って、ときどき見失しなって妬いてしまいますが」
「柳生さん……」
声は途中で途切れる。肩に触れていた柳生の手が首の後ろへ回り、抱き寄せられたのだ。胸が大きく高鳴った一瞬は、時が止まったようだった。
身体を離し、桜井の手を両手で包み込む。
「桜井くん、もう一度通りませんか。何かをしないと、落ち着かなくて」
照れ笑いを浮かべて、今度は柳生が手を引いた。
「そうですね。時間はたっぷりあるんだし。お腹が空いたら何かを食べましょう」
手を握り返し、柔らかに笑う。
そうして二人は行った道を戻る。
人の群れに押され、密着する腕の先の指は絡められていた。じんわりと体温が伝わり、熱くなっていく。
会話をする以外もときどき相手の横顔を見て、一人はにかむ。
「どうしました?」
ときどき気付かれて、問われる。
その時は静かに首を横に振り、なんでもないと呟いて微笑んで見せた。
未来はどうなるかわからない。けれども、今この時を大切にしようと心に誓う。
こんな二人のはじまり。
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