教室の中が静まり返る。
この時間、仁王と丸井のいる3Bはテストであった。
教師が列ごとにテスト用紙をまとめて渡し、前の生徒が後ろへ回していく。
仁王の列の所で、教師は“あっ”と声を上げた。
「すまん。一枚多く回した。仁王、隣に余った分を渡してくれ」
最後列の仁王は軽く返事をするが、恐らく聞こえていないだろう。
多く回ってきた分を、仁王は隣の女生徒に渡した。
「ほれ」
「ありがと」
振り向いた女生徒の顔に、眠気が醒めるのを感じる。
良い声で返事をしたのかと思えば、快活とした明るい、良い表情をしていた。
隣にずっと座っていたはずなのに、気付かぬ間に随分と綺麗になったものだ。
待って待つ
テストの手応えはまあまあである。
テスト期間に部活は無く、ラケットの無い仁王の荷物は随分と軽く、面積も少ない。
誰とも帰る気にはならず、仁王は一人で帰路を歩んでいた。
けれども時間は早く、遠回りの方向へ足は向く。
そこで偶然、見てしまった。
ファミリーレストランの窓際席で、向かい合って話し合う隣の女生徒と、柳の姿を。
学校帰りの生徒が目立つ店内で、仁王の瞳には彼らの席だけが妙に映えて見える。
楽しそうに笑う女生徒に、綺麗と感じた理由がわかった。
「おー、参謀。随分と余裕じゃのう」
突然、あだ名で呼ばれ、柳が見ると仁王が軽く手を上げている。
彼は店内に入ってきて、ずかずかと二人の席まで歩いてきたのだ。
「仁王」
「あ、仁王くん……」
柳と女生徒が仁王に注目している中、女生徒へ視線が向く。
「お前さんも一緒じゃったか。デートにすまんかった」
「デートではない。明日の科目について話をしていた」
「う、うん。そう」
律儀に答える柳に女生徒の顔が強張るが、気にせず話を続ける。
「なかなか良い雰囲気ナリよ。腹減ったから良いか?」
「かまわん」
「良いよ」
二人の返事を聞いてから、仁王は女生徒の隣に座った。
「おい」
そんな位置では女生徒が困るだろうと、柳の指先がぴくりと動く。
「ま、ええじゃろ。同じクラスで隣同士よ」
なあ?仁王は女生徒にニッと笑いかける。彼女は口の端を引っ張られたように上げて笑い返す。
「さて、何にするかのー」
メニューを取って眺めだした。
テーブルに置かれた問題集と筆記用具。柳と女生徒の注文が先に届く。
勉強をし、食事をする二人。ころころと可愛らしく変化する女生徒の表情。一方、柳の表情はポーカーフェイスであまり変わらない。
遅れて届いた注文の物を摘まみながら、仁王はじっと柳を見詰めていた。
一見ポーカーフェイスでも、テニス部全国優勝という目的を持った同志なら彼の微妙な表情の変化がわかる。あくまで微妙の変化ではあるが、仁王は飽きない。
翌日テストの合間に、先日食事をして気を許した女生徒が言った。
振られたと。
放課後に仁王は柳のクラスへ向かう。
扉の前で出会い、廊下の壁に寄りかかって会話を交わす。
「あの娘、可愛かったじゃろ。惜しい事を」
「そう言われても困るな」
初めに出た話題は、仁王のクラスの女生徒であった。
「困るのもわかるぜよ」
仁王はズボンのポケットに手を突っ込み、鮮やかな色をした、彼らしくない不似合いな封筒を取り出す。
恐らく、いや絶対、どこかの女生徒から貰ったのだろう。
「可愛いもんな」
胸の前まで持って行き、柳に見せ付けるように裏表で揺らした。封筒に飾られた何かが、日に反射して淡く光る。
「仁王。テニスに忙しくて、興味がないのでは無かったのか」
「そうじゃよ。けどな、靴箱に入れて来られたら断りようもない」
自然に手を握る動作で封筒を半分に折った。
この日の帰り、柳は真田と帰る事にした。
まだテストは残っているというのに、真田はテニスの話ばかりを出してくる。
相変わらずの彼に苦くも安心した思いを抱く。
「やっぱり余裕じゃのう。参謀」
背後から声がして、柳と真田が振り返ると仁王がいた。
「おお、真田も一緒か」
嫌味に冗談の通じない真田の顔が固くなるが、仁王も怯まずに余裕の笑みを浮かべる。
「同行させておくれ」
「ああ」
「かまわん」
柳と真田が頷けば、踊るような足取りで柳の隣に並ぶ仁王。
テスト後に控える試合の作戦で、仁王の突拍子もない案に真田が猛反対する。
詰め寄ろうとする二人に、挟まれた柳は肩を竦ませた。
喧嘩のような言い合いではあるが仁王の笑みは崩れない。全ての事の起こりを策にはめ、楽しんでいるようだった。それが真田には気に入らない。
よせば良いだろ。
口に出したら声が止んだ。
「ねー先輩、知ってますかー」
テスト期間が明けた頃、切原が昼食中に仁王の元へやって来る。
仁王が弁当を摘まむ中庭のベンチは、木が影になって涼しく花壇も眺められる良い場所であった。
「なにが。言ってみい」
手を止め、隣を叩いて座れと促す。
「柳先輩、憧れの人に告白してオッケーもらったそうです」
腰にかけると同時に切原は言う。
「ほお」
「3Aの人で、柳生先輩が教えてくれて。真田副部長はこの時期に何言ってるんだってマジギレしてました。ホントっすよね」
同意を求める中に、羨ましい思いが含められているのを仁王は悟る。
テニスに夢中な中学生。夢も希望もあれば、一つには絞り込めずに恋に恋もしていく。
仁王は弁当を膝の上に乗せ、背もたれに重心をかけた。
「早く振られれば良いのお!!」
声を上げて盛大に笑い飛ばす。
軽口を通り過ぎて、本気すぎる衝撃に切原は呆気にとられる。
同意も反対も出来ずに、仁王へ首を向けたまま口をぽかんと開けた。ドン引きだ。
柳が振られて、仁王に何の得があるのだろうか。別にそれで柳と仁王がさらに親しくなる訳でも無いのに。
何がそんなに楽しいんだ。
純粋に切原は、仁王にとって辛辣すぎる意見を素で考えていた。
柳が一人でも、仁王には振り返らない。
「まちぶせ」に「待つわ」を足してみた。
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