草木が芽吹く春の息吹を感じる。
三月五日――――幸村の誕生日であった。
旅立ち
卒業式はもうすぐ。学校も早くに終わってしまう。
普段なら学校にいた時間を、幸村は趣味のガーデニングに費やしていた。自宅の庭で土を弄る。まだ手先は寒いが震えるほどではない。
「おや」
気配を感じて顔を上げれば、門の前に真田が立っていた。
私服なので、一度帰宅してからここへ来たのだろう。
「どうしたんだい、真田」
幸村は立ち上がり、門の前まで歩いてくる。
「精市、聞いたぞ」
「ん?」
開口一番からそれか。真田らしいと苦笑しながら耳を傾けた。
「昨日、赤也たちが帰るまでコートで後輩と勝負をしていたそうだな」
「…………………………」
笑顔が引き攣る。
真田の言う通り、昨日は後輩と手当たり次第に試合をして回った。三年は引退した身ではあるが、立海はOBでも良く試合を行うので、とりたてて可笑しくはない。
――――真田が言いたいのはそういう事ではないのだとはわかってはいる。
「一体、誰から?」
切原を含め後輩たちには、特に真田には絶対秘密だと口止めをしていたはずなのに。後輩からすれば“釘を刺す”とも言う。
「蓮二からだ」
つまり切原から柳、柳から真田という順番で知ったのだろう。
確かに真田には、と言った。けれどもだからといって他の三年に話して良いかというと…………
はー。幸村は息を吐く。
説明が悪かったのか。後輩の機転のきかなさが悪いのか。いや、後輩の機転のきかなさがすっかり抜け落ちていた自分が浅はかだったのだ。
「無理をするなと言っているだろう」
腕を組んで嗜める真田。
幸村の手術は成功したものの、リハビリを続けなければならない身体である。治っても運動は難しいと医者には告げられたが、彼は立海三連覇への執念で諦めずに身体を動かしていた。
しかし、それはあくまで決勝前の出来事。今、幸村を動かしているのは執念ではない。
「無理なんか、してない」
幸村に必死だった過去が過ぎるが、彼は薄く笑って頭を振るう。
「楽しみすぎただけさ」
「…………そうか」
沈黙しかけた後、頷く真田。低い幸村の呟きが、胸の奥へ染み込んでいく。
安堵で喉が詰まりそうになる。
「説教しにわざわざ家へ来たのか?」
「それだけではない。ことづけを……な」
咳払いをする真田の表情が僅かに強張るのを、幸村は見逃さなかった。
「誰から?」
「青学の大石からだ。手塚なら、きっと精市に伝えるだろうと俺に頼んできたのだ」
「大石?それに手塚?一体……」
彼らの名を聞くのは大会以来。幸村は困惑する。
「越前がアメリカへ発ったそうだ」
「あ…………」
口を薄く開いた表情のまま、幸村が落胆していくのを感じた。
「ボウヤ、行っちゃったのか」
「…………………………」
「まだ三月の上旬だってのに、行くなら春休みでも良いのに。せっかちだね」
「まったくだ」
「全国での借り、返したかったんだけどな。またウチとあたって、成長も見てやりたかったよ」
「そうだな」
真田の同意は、励ましてくれているような気がした。
「手塚もドイツだっけ」
「ああ」
特に合図する訳でもないのに、二人は同時に空を見上げる。
真っ青な空はどこまでも高い。
「どいつもこいつも海を渡っちゃって…………」
柄にも無く、溜め息交じりの情けない声が出た。
「俺もどっかに行きたいよ」
呆れと羨望が渦巻く。
「精市。どいつもこいつもではない、二人だけだ。焦るな。借りなどいつでも返せる」
「焦ってはいないけれど、刺激がなくなるね」
「そうぼやくな。お前まで行かなくて良い」
特に合図する訳でもないのに、二人は同時に空を眺めるのをやめて相手を見た。
「…………………………」
「…………………………」
交差する視線の攻防戦の中、真田が先に照れて頬を染める。
「真田、行く時はついていっても良いぞ」
「来て欲しいとは言えんのか」
不貞腐れて真田がそっぽを向くと、幸村は門の鍵を開けて彼を招き入れる。
「そういえば、さっきから人に聞いた話ばかりだな。真田からは無いのか?」
くすくす笑って背を向ける幸村は、後ろから固い何かを押し付けられた。
「これだ」
「これじゃ、わかんない」
すると肩の上から腕が回ってきて、顔の前に綺麗な箱を差し出される。
「これか。わかったよ、有難う」
箱を受け取ると、背後へ寄りかかるように重心をかけた。
「うぐっ」
ゴッ。幸村の頭が真田の鼻に当たる。
「ふっ」
噴き出し、声を上げて笑う二人。
晴れやかで、幸福が溢れる。喜びに包み込まれていた。
最終話の幸村の笑顔がね、もうね。
Back