朝、仁王は部室に入ると穏やかではない空気を読み取った。



機嫌



 室内を見回せば、不機嫌そうに着替える赤也の傍で、桑原がしきりに謝っている。桑原はどちらかというと謝られる方なので珍しい光景だ。
 近くにいた丸井に事情を聞いた。
「おう、あれどうした」
「ああ、あれね」
 丸井は口に含んだガムを捨てて説明する。
「昨日、ジャッカルが赤也に勉強を教える約束を忘れていたみたいだぜ」
 しかも。丸井は付け足す。
「他の奴と一緒にいたみたい」
「つまり。すっぽかされて別の奴といる所を見た訳か。プリッ」
「相手がクラスで有名の才色兼備のお嬢さんだから、またこじれたもんさ」
 あちゃー。仁王と丸井は額に手を当てた。


「だからその、赤也。本当に悪かったよ」
 桑原は手を合わせ、誠心誠意詫びる。
「先輩は出来の悪い後輩より、頭の良い美人の方が良いんでしょ」
 そりゃそうだと認めざるを得ないような厭味を吐く。しかし、桑原が先約を美人だからと切り捨てる人間ではないのは、後輩の赤也でもわかっているはず。つい、頭から抜け落ちてしまったのだろう。不運な偶然が不満を募らせ、彼に意地をはらせているのだ。
「先輩、意外とモテるんですね。あー羨ましい羨ましい」
 なんでもなさそうな言い方をする一方で、赤也は喋る度に唇を尖らせている。
 言葉の端端から美人女生徒への嫉妬が滲み出ていた。見苦しくても溢れてしまう。
「赤也。もうジャッカルを許してやってくれないか」
 とうとう丸井が助け舟を出す。
「俺、ぜんっぜん怒ってないですから!先輩がどういう人だってのはわかりましたから!」
 完全に怒っている。目が充血寸前の顔でロッカーを乱暴に閉じ、部室を出て行った。
「赤也!」
 追いかけようとする桑原を丸井と仁王が引き止める。
「やめい。余計怒らせるだけじゃ」
「そうそう。落ち着かせた方が良い。あいつが怒ると止まらないのは知ってるだろぃ」
 桑原は息を吐いて、ロッカーに寄りかかった。
 仁王は並んで同じポーズをして、そっと囁く。
「ジャッカルが悪いの」
「だから俺が」
「違う。日頃から赤也を甘やかしすぎナリ」
 桑原は赤也に甘い。他の三年が厳しいからだが、桑原はいつも赤也に優しかった。勉強だって一番マシに教えてくれるから桑原がやっている。桑原が受け入れてくれる分、赤也はもたれ、甘えていた。
「甘すぎたから、ちょっとの裏切りが許せんのじゃ」
「赤也もジャッカルが忘れる事だってあるぐらいわかってるさ。あれはついてないとしか言えないよ」
 丸井が桑原の肩を叩いて励ます。
 二人の言う通り、時間が経てば赤也は落ち着いた。
 しかし、怒りは治まったが今度は落ち込んでしまい、元気が無い。


 ダブルス練習をしていた柳がベンチに座って愚痴った。
「おい……練習にならん」
 横にいた事情の知らない柳生が呟く。
「テストで嫌な点でも取ったんでしょうか」
「え、日常茶飯事じゃないの」
 毒を吐く幸村。
「ジャッカル。赤也に勉強を教えているんじゃないのか」
 真田の鋭い視線が桑原に突き刺さる。
 こうして一周して桑原へ戻ってくるのだ。事情を知る丸井と仁王は同情した。
「俺が悪いのか……」
 自嘲めいた笑みを浮かべる桑原。ここは怒って良い場面かもしれない。
「ジャッカル。お前まで落ち込んでどうする。言わせておけば良い」
「そうじゃ。今日の放課後は焼き肉するぜよ。美味いもんで腹を満たして、気持ちに余裕が出来れば解決するっちゃ」
 なあ。丸井と仁王は顔を見合わせ、桑原を見る。
「そうだな。朝から焼き肉の話は腹が減るけどな」
 桑原の声に笑いが混じり、明るさが灯った。


 焼き肉の誘いに赤也は“そんなんで釣っても無駄ですから”と頑なな態度を取るものの、結局は焼き肉に連れられて店に入った。
 一度肉を食べてしまえば機嫌は直り、朝の出来事が嘘のように桑原と仲良く食べている。単純ではあるが、だからこそ人と人は関わり合えるのだろう。
 そんな二人を向かい側で仁王と丸井は苦笑しながら見守っていた。
「やれやれ、ゲンキンな奴じゃの」
「まあ良いじゃないの。肉肉」
 丸井は飯と肉を交互に食べてご満悦の様子。仁王も肉だけをちびちび食べるが、本人は満足のようだ。
「美味いな、赤也」
「そうっすね先輩」
 ははは。笑顔の赤也にジャッカルは頭を撫でる。
 もじゃもじゃとした感触は禁句であるが、心地が良い。
 団欒とした雰囲気で和やかに今日が終わった。




 そして、翌日。真田を誘わずに焼き肉をした事がバレており、恨みを抱かれ不機嫌となる――――
「ジャッカル。お前が誘ったそうだな」
「すまねえ、真田。すまなかったって」
 詫びても真田は腕を組んだまま微動だにしない。
 今日も肉かな。
 ふと、そんな事を思った。








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