「お待たせしました」
 柳生が軽く手を上げて挨拶をする。
「………………………………」
 すると、桜井が顔を上げて薄く笑った。
 ここは東京のとある喫茶店。二人は約束をして落ち合ったのだ。



疑いは己



 向かい合うように柳生は席に着き、自分の飲み物をテーブルに置く。二人ともホットコーヒーであった。
「場所、わかりました?」
「はい」
 桜井の問いに、柳生は笑顔で答える。
 彼らはこのようにして出会っては会話を交わしていた。知り合い以上、友達でもない、特別な関係であった。
 当たり障りのない雑談をしていたが、どこか互いに口調が落ち着かない。本題へ入るタイミングを伺っていた。先に飲んでいた桜井のコーヒーはすっかり冷めて、彼は頻繁に口元へ持って行っては含む。
「柳生さん」
「はい」
 柳生の眼鏡の奥にある瞳が瞬く。桜井がカップを持ったまま受け皿へ視線を落とし、息を吐くように言う。
「立海はとっくに話が来ているのでしょう。U‐17代表合宿の……」
「はい」
「どなたが出るんですか」
「レギュラーは全員です」
「そうですか……」
 桜井の相槌の後、間が空いた。会話が途切れそうになった所を、柳生は放った。
「不動峰は?」
「橘さんと、神尾と。伊武です」
「そうですか。君と行きたかったのに」
「応援しています」
 桜井のカップが置かれる。
「………………………………」
 瞳がきょろりと動き、柳生を捉えた。
「何か、聞きたそうな顔をしていますね」
 瞳をそらさず、続けた。


「仁王さん」


「………………………………」
 柳生の口の端が歪む。
「……ふん」
 眼鏡のフレームを指で押し上げてから、前髪を弄って乱し――――仁王が正体を現した。
「気付いておったなら言え。見抜かれた詐欺師を長時間演じるのはなかなか酷な事ぜよ」
「すみません。関東大会で二人が入れ替わった噂は本当だったんですね」
 詫びはどこかしゃあしゃあとしており、挑発を覚える。
「いつから知ってた」
「返事の仕方が、妙に早く感じたので。緊張を表現したと思いますが、いささか演技が過剰かと」
「簡単に言ってくれるの。この調整がいかに大変かをわかっておらん」
 仁王は椅子を後ろへ引き、足を組んだ。
「俺に一体、なんの御用ですか」
「盛りだくさんじゃ。代表合宿や、ほれ……お前さん自身や……」
 微かな硬い音を立てて、外した眼鏡が置かれる。鋭い瞳が桜井を見据えた。
「早い話。お前さん、いけすかんのじゃ」
「正直ですね」
 鼻で息を吐き、桜井はくすりと笑う。
「貴方は柳生さんのダブルスパートナーでしょう。いくら友人でも、詮索のし過ぎじゃないですか」
「うん?俺は優しすぎるからのう。最近の柳生はお前さんの影響か、浮かれ気味での。危なっかしいナリ」
「なんでも俺のせいにしないでくださいよ」
「お前さんは自分の影響力に鈍感すぎる」
 口論になりそうになり、仁王は吐き捨てるように放って会話を止めようとする。
「そもそも、どうしてここを知ったんです」
「柳生の携帯を開いただけじゃ」
「………………………………」
 薄く唇を開く桜井。その顔にはありありと“呆れた”と書かれていた。
「携帯置いて席を離すあやつが悪い。メール送受信の履歴は消しておいたから、問題ない」
「あれ、仁王さんだったんですか。どうりでメールが返ってくるのが早いと……」
「柳生は元からメールの返信は早いはず」
「そうでもないと思いますが」
「知った口を」
 ふー。聞こえるくらいの息を吹き、仁王は肘を突く。


「全く。俺とした事が」
 軽く手で顔を扇ぐ。少々、熱くなってしまった。
「仁王さんは柳生さんとのダブルスパートナー暦は長いんですか」
「それナリに。お前さんもダブルスプレイヤーじゃろ」
「はい。石田も柳生さんとは別の意味で危なっかしいですから。すぐ無理な特訓をするし」
「そうしたら、どうする?」
「そうですね……」
 桜井は瞳を彷徨わせ、言葉を脳裏で紡ぐ。
「俺の説教では効果がないので、橘さんに相談して橘さんから言ってもらいます」
「おお、得策じゃな」
「遠回しな方法は、貴方に似る部分がありますね」
「やめい」
「俺も言った後で、思いました」
 仁王は口の端を上げ、笑う。桜井も喉で笑った。
「のう、柳生の事を正直どう思う」
「強い人ですね」
「好いとるのか、と聞いているダニ」
「どう答えても疑われそうですから」
「そうか。……ああ、そうだな」
 額に手をあて、仁王は頭を振るう。
 疑いは己の心にある。認める心がなければ、どんな言葉も届きはしない。
 自嘲を秘めて、仁王の瞳が細められた。
「俺から仕掛けた訳じゃが、これでも今なら信じられそうだったんよ」
「なら、余計に俺から答える必要はないですね」
 桜井の口元がくっきりと弧を描く。
 仁王はまた頭を振るい、冷め切ったコーヒーを口にした。
 カップを斜めにし、一気に飲み干す。
「ごちそうさん」
 立ち上がる仁王。続いて立ち上がろうとした桜井を手で制す。
「待て。少しで良い。本物と交代してくるからの」
「来ているんですか」
「俺とここいらで遊ぶ約束をして、な」
 人差し指を口元に寄せ、赤い舌を覗かせた。






 仁王は店を出て、辺りを見回すと横断歩道を渡って向かい側の本屋へ行く。
 店内を歩きながら本を眺めている柳生の背を軽く押した。
「よお」
 振り返る柳生は“仁王くん”と呟くように呼ぶ。
「遅れてすまんの」
「君が五分以内の遅刻で謝るとは珍しい」
「もう一つ、詫びる事があるからのう」
 柳生の目は眼鏡によって隠されながらも、あからさまに嫌な顔をする。
「一体なんですか」
「まあ、落ち着いて聞いて欲しい」
 結んだ髪を軽く後ろへ流し、仁王は柳生を外へ連れて行く。
「ほれ、あの先に喫茶店があるじゃろ。あの中に桜井くんがおる」
「は?どういう意味です」
「行けばわかる」
 柳生は小首を傾げて一歩前に足を踏み出すが、そこで止める。
「仁王くん。どうして最近携帯を手に入れた桜井くんとどうやって連絡を……」
 振り返るが、既に仁王は姿を消していた。
 どう見ても後ろめたいからこその逃亡だろう。
「まったく……」
 溜め息を一つ吐き、柳生は喫茶店へ入った。
 逃げられはしたが仁王の言った通り、桜井が座っているのが見えた。
「桜井くん」
「柳生さん」
 歩み寄って名を呼ぶと、桜井が顔を上げて薄く微笑む。
「仁王くんに、君がここにいると聞きました」
 向かい側の席に座って言う。
「はい。先程まで仁王さんとお話していました」
「え……どのようなお話を?」
 問う柳生に、桜井は照れたような、困ったような、複雑そうな顔をした。
「知りたいですか?」
「それは……もちろん」
「どうしても?」
「駄目でしたら、別に……」
「でも知りたいんでしょう」
「はい」
 柳生は正直に頷く。
「本当に大したものでは無いんですが」
「はい」
「俺が貴方の事を好きだという話です」
「………………………………」
 柳生の頬に赤みがさす。
「桜井くん。私は大した事だと思うのですが……」
「え?ご存知でしょう?」
 目をパチクリさせる桜井だが、柳生は返答に困惑する素振りをしていた。
 そんな彼を見て、桜井は仁王の言葉を反芻し、確かにそうだと納得する。


 俺は、いけすかない。







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