「ひ〜〜ろ〜〜しっ」
もさっ。
丸井が背後から、机で勉強をしている柳生の髪を掴んだ。
「国語の辞書貸して」
振り返って目が合うと、彼はノートを顔の前に持って行って、にっこりと笑った。
きらきら
「君は辞書を学校に持ってきていないのですか?」
「持って来ようとは、思ってる」
「…………………仕方ないですね。どうぞ」
引き出しの中から辞書を引き摺り出し、机の上に乗せる。
「いや〜、悪いねぇ」
悪びれた様子も無く、丸井はノートを机の上に開くと、立ったまま辞書を捲りだした。
「感想文を提出しなきゃならないんだけど、意味がわからない言葉があって」
「感想文、ですか」
柳生は丸井のノートを覗き見る。
「ちょっと丸井くん。君、擬音が多すぎます。それ教室に持って行って良いですから、適切な表現に変えたまえ」
「人のノート見るんじゃねーよ!良いって、これ調べたら辞書返すよ」
「そうはいきません。そもそも………」
柳生は丸井のノートを手に取って、説教を始める始末。その後、丸井はげっそりした顔でノートと辞書を持って自分の教室へ戻って来たという。
その日の帰り、仲間達と別れた柳生は一人帰路を歩んでいた。
「「あ」」
小さな声が漏れる。
向かい側から、桜井が歩いてくる。目を合わせて、軽く挨拶をした。
「こんにちは」
「…っす」
声の届く範囲まで近付くと挨拶を交わす。いつもは会釈か素通りだが、2人きりの時はそうしている。
「お1人でこんな所へ、どうしたんですか?」
「別に…………」
挨拶を交わすようにはなったが、2人の間にはまだ広く深い川があった。
「そう、ですか。私は帰る所です」
そう言って、柳生は道を曲がろうとする。
「「…………」」
桜井も同時に曲がり、顔を見合わせて立ち止まってしまう。
数秒の沈黙の後、歩き出す。
桜井はムスッとした顔で、柳生を追い越して先を進む。
横に並ぶと怒ってしまいそうだったので、わざと歩調を緩めた。
しばらくすると、桜井は苛立ったように後ろを振り返る。
「ついて来ないで下さいよ!」
「そ、そんな事言われましても…………」
家へ続く道なのだから、どうする事も出来ない。
「お、俺、こっちに行きます!さ・よ・う・な・ら!」
「はい……………さよなら」
勝手に機嫌を悪くした桜井は別の道を歩いていった。柳生はきょとんとした表情で、メガネのフレームを押し上げる。
人通りの多い商店街へ出て、信号待ちをしていると、いつの間にか桜井が後ろで同じように待っていた。柳生の存在に気が付くと、とても嫌そうな顔をされる。
「どうして、いるんですか」
「そ、そんな事言われましても…………」
やはり家へ続く道なのだから、どうする事も出来ない。
信号が青になり、渡り終えると、桜井は急に足を止めて左右をしきりに見渡しだした。
「どうしました?」
見かねた柳生が声をかける。
「……………別に」
小さく首を横に振った。
「道に、迷ったんですか?」
「……………別に」
口をつぐんで、俯く。
「私は地元の人間ですから、場所を教えて下されば、わかるかもしれません」
「ぜ、絶対、笑うから」
「笑わないかもしれませんよ?」
「………………」
桜井は顔を上げて、柳生の顔をじっと見据える。
「笑いませんから」
桜井は視線を逸らし、僅かに口を開く。
「あ」
「あ?」
「あんみつ」
「は?」
「ここら辺に…………美味しいあんみつ屋があるって…………TVで……」
ぽむ。
柳生は手を合わせる。
「あそこか」
「わかるんですか?」
「はい。ついて来て下さい」
歩き始めた柳生の後を桜井はついていく。先程とは反対の形となった。
「ここです」
一軒のあんみつ屋の前で、柳生は立ち止まる。
「…………有難うございます」
桜井は礼をする。
「私、ここのところ天が大好きなんですよ」
自然と、そんな事が口から出た。
「俺も、好きですよ」
桜井も、何となく答えてしまう。
「え!?」
柳生は思わず声を上げてしまう。
そんな事、言われたのは初めてだった。好物を仲間達に打ち明けた時の反応が頭を過ぎる。
真田と仁王には肉の方が好きだという顔をされた。柳、幸村、桑原には適当に流されてしまった。丸井には洋菓子の方が好きだと言われた。切原には何スかそれ?と言われた。
初めて、だった。
「わ、わわ、私に案内された恩を感じての発言では無いでしょうね!」
桜井の手をガッシリと両手で掴んで、柳生は人目も忘れて詰め寄る。
「ち、違いますよ。離して下さい……………お、俺、好きなんですよ……和菓子とか……」
手を振り解き、後ろで組んで、恥ずかしそうに自分の好みを打ち明けた。
「「………………………」」
柳生と桜井はあんみつ屋の中の2人席で、向かい合っていた。
扉の前で立ち止まっていたので、店の中へ入る客に押されるようにして、入ってしまったのだ。
出ようと思ったのだが、店員のオバサンパワーには勝てず、座らされてしまった。
柳生はところ天を、桜井はあんみつをオーダーし、それっきり沈黙状態である。
目を合わせては嫌な顔をされると、柳生はずっと視線をテーブルに落としていた。
ずっと黙っているのもあれなので、当たり障りの無い会話を始める。
「どうしてお1人で、ここへ行こうとしたんですか?」
「今日はたまたま橘さんの妹さんと2人で来て………兄妹で話が盛り上がっているようだから、せっかくだし、TVで観たあそこへ行ってみようって」
「地図も無しにそこまで来れたのは、凄いですね」
「地図、持ってたんですけど…………あの状況だと出し辛くて」
「………………すみません」
「いえ…………どっちにしたって、1人じゃ辿り着けなかった」
「あの、桜井くん」
柳生は僅かに顔を上げて、桜井と視線を合わせた。
「はい?」
「お友達に、和菓子好きな方はいらっしゃるんですか?」
「付き合ってくれるのはいるんですが、皆他のが良いみたいです」
答える桜井の顔は少し寂しそうだった。皆、好みはそれぞれだと思うのだが、好みが同じ人間が一人いても良いのではないかと思う。
「私もね、おんなじようなモノです」
「はぁ」
口をぽかんと開ける桜井の目の前に、2人の注文されたものが置かれる。
「頂きましょう」
「はい」
頷いて、柳生のところ天と同じ素材で出来ている寒天を口に含んだ。
「美味しい」
桜井はふわりと微笑む。
今、初めて君が笑う所を見た。
今、目の前で、君が笑ってくれた。
ほんの、些細な事かもしれない。
けれど、その些細な事で、
泣いてしまいそうだった。
メガネをかけていて、助かったと思う。
美味しい物を食べて和んだのか、会話も弾んでいった。
今までずっと、様々なものが2人の視界を遮っていた。それが話す事によって、向かい合う事によって、少しずつ、少しずつ、取り払われていく。目の前にいるのは、自分と同じ等身大の中学生。喜ぶことも、落ち込むことも、悩むことも、そんなに変わりない。そんなに、変わらない。
笑う桜井の顔が愛しかった。
目の前が、きらきらしていた。
輝いているとか、眩しいとかの言葉はどうも合わない。
きらきら、しているのだ。
きらきら。
きらきら、と。
この時が、貴重で、素晴らしいものに見えるのだ。
心が浮き上がり、鼓動が早まり、幸福が溢れる。
愛しさが、身体に納まりきらない。
翌日。
「ひ〜〜ろ〜〜しっ」
もさっ。
昨日と同じように、丸井が背後から、机で勉強をしている柳生の髪を掴んだ。
「国語の辞書貸して」
振り返って目が合うと、彼派レポート用紙を顔の前に持って行って、苦笑いを浮かべる。
「君は辞書を学校に持ってきていないのですか?」
「持って来ようとは、思った」
「…………………仕方ないですね。どうぞ」
引き出しの中から辞書を引き摺り出し、机の上に乗せる。
「いや〜、悪いねぇ」
悪びれた様子も無く、丸井はレポート用紙を机の上に置くと、立ったまま辞書を捲りだした。
「レポートを提出しなきゃならないんだけど、意味があやふやな言葉があって」
「レポート、ですか」
柳生は丸井のレポート用紙を覗き見ようと首を伸ばすが
「人のレポート見るんじゃねーよ!どうせ俺は擬音が多いよ!」
すかさず裏に返された。
「ま、良いんじゃないですか。君らしくて」
「……………そう?」
丸井は目をパチクリとさせる。
「しかし、誤字脱字はなりません。丸井くん、ほら、ちょっと、見せたまえ」
「やだやだ!やーだー!」
丸井と柳生は休み時間が終わるまで、レポート用紙の取り合いをしていた。
柳生が変わっていく様を書きたくて。柳生と桜井は好みがアレなので、友達には敬遠されがちじゃないかと。わかっちゃいるけど、寂しいと思っているかなと。
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