「あれ、何?」
「何なんだろ………」
 木更津と黒羽は顔を見合わせた。




水面下



 現在青学と六角の合同合宿が行われており、今は休憩時間であった。宿舎の食堂の入り口で、木更津と黒羽は顔だけを覗かせて、中の様子を伺う。
 食堂の席では向かい合わせになって、菊丸と樹が座っていた。テーブルの上には飲み物と樹が作ったと思われる菓子が載っており、菊丸が頬杖をついて摘んでいる。


「何話してるんだろ………聞こえない」
「気になるっ」
 ギリギリギリ………。覗く2人の手に力が篭る。


「ねえ。何、やってんの?」
「「ひっ」」
 後ろから声をかけられて、2人は肩をすくめた。
 振り返ると、そこには佐伯が立っていた。


 佐伯……………。


 ハッとして木更津と黒羽は顔を見合わせる。その顔色は蒼白であった。


「どうしたの?中に入れば良いのに」
 佐伯は人の良さそうなキラキラと輝く笑顔を見せる。
「う…………うん」
「………そ、そうなんだけどなっ」
 ははは。
 言葉を濁して愛想笑いをした。


「ん?」
 ニッコリと笑ったまま、そっと顔を傾けて食堂の中を覗く。




「………………………………………………………………………………………………」
 佐伯は笑顔のままであった。
 表情は変わっていなかった。
 なのに、周りの気温が一気に下がった気がする。




 ははは。
 木更津と黒羽も笑顔を浮かべたままであった。
 真の恐怖に遭遇した時、人は笑うしかないという。




「………………………………………………………………………………………………」
 笑顔のままで、佐伯は食堂の中へ入っていった。
 身震いしながら、2人は彼らを見守る。








「やあ、樹ちゃん」
 キラキラッ。
 佐伯の笑顔が眩しいくらいに輝く。
「サエ」
 樹も笑う。
「隣、座るね」
 樹の隣に腰をかけた。椅子を引いて、前を向いてから彼は言う。




「菊丸、いたんだ」


 存在無視からの先制攻撃を始めたようだ。




「おう」
 菊丸は佐伯の言葉に何か刺を感じながら、ぶっきらぼうに返事をする。
「サエ、菊丸は最初からいたのね」
「うん、そうだったよね」
 純粋な樹のツッコミに、佐伯はボケたフリをした。


「わぁ。そのお菓子、樹ちゃんが作ったの?」
 君の手料理なら一目でわかると言わんばかりに佐伯は言ってみせる。




「そうなのね。菊丸の為に作ったのね」
 照れ笑いを浮かべて、樹は答えた。




 ひくっ。
 ひくひくっ。
 ひくっ。
 佐伯の顔の右側が引き攣る。笑顔を保つのに全神経を費やしていた。




「菊丸、どうですか?」
「ん、うん」
 菊丸はテーブルの木目に視線を落としたまま頷く。樹の期待が痛いほど伝わってくる。菓子は本当に美味しい。
 もしここで“美味しい”と言えば、彼はとても嬉しそうに喜ぶだろう。その顔を見た時の自分の顔は、きっと恥ずかしいくらいに赤くなるから、そんなモノは見せられない。だから、素直に褒めてやる事が出来ない。


「俺も食べて良い?」
「良いのね」
 佐伯は菓子に手を伸ばし、口の中へ入れた。
 一口食べた瞬間、思考が停止する。


 美味しい。
 美味しすぎる。
 しかもかなり手が込んでいる。


 小さい頃から樹の料理を食べてきた彼だからわかる。
 樹は、腕によりをかけてこの菓子を作ったのだ、という事を。


 美味しいのに、なぜか喉を通らない。
 腹の中が嫉妬で渦巻いて、食べ物が喉を通らない。




 樹ちゃんがこんなに頑張ったのに、菊丸お前のその反応は………!




 吐き出したい言葉と共に、菓子を無理やり飲み込んだ。


「樹ちゃんとっても美味しいよ」
「頑張ったのね」
 えへへと樹は照れ笑いを浮かべた。佐伯の頬に赤みがさす。
「…………美味しいよ」
 ぽつりと、菊丸が呟く。佐伯が言った事で伝える勇気が湧いたのだろう。


「え?菊丸?」
「………………」
 視線が合うと、2人して顔を赤くした。
 最も嫌な雰囲気が佐伯を包む。


 ええい、忌々しいわ。
 心の中で悪態を吐く。


「……………っと。もっと、食べて良いかな」
 張り付いた笑顔で、佐伯は樹の横で菓子を摘んだ。
 何か言わねば。何かを言ってこの雰囲気を壊さねば。笑顔の下では頭をフル回転させていた。


「今度俺の為に作ってくれないかなぁ」
 声が小さすぎた。


「???」
 何を言ったのかは聞こえなかったが、樹は佐伯の声に反応して彼の方を向いた。


「ええと…………けほっ」
 声を大きくしてもう一度言おうとして息を吸ってしまい、佐伯は咳き込んだ。
「けほっ、けほっ…………ご、ごめ………けほっ」
 なかなか治まらず、咳き込み続けた。


「サエ、大丈夫ですか?ほら、これを飲んで下さい」
 樹は側にあった飲み物を佐伯に飲ます。
「…………っはぁ、有難う。落ち着いたよ」
 笑顔に変わる途中で、ある事に気がつく。


 今、飲んだ飲み物は、樹の物であった。
 今、俗に言う間接キスをしたのではないだろうか。


 混乱する頭の中で、菊丸の方を見ると、彼も気付いたようで不機嫌そうな顔をしているではないか。


 ふふん。
 勝ち誇った笑みを向けてやる。


 佐伯と菊丸の間に微量な電流が走った。




 俺は、絶対に負けない。







菊樹←佐伯ですが、佐伯負けません。この子負けません。
Back