ゆらめき



 宿舎の食堂で夕食を取っている時であった。この日は端の窓際の席に菊丸と樹が並んで座り、樹と向かい側に佐伯が座っていた。
「樹ちゃん、醤油いる?」
「いるのね」
 佐伯は側にあった醤油を取り、樹の皿に差してやる。
「サエ、これ好きでしょう」
「うん」
 樹は小鉢を佐伯の方へ置く。
 見るだけで、相手の欲しい物がわかってしまう2人のやりとりは、当然菊丸には面白くない。顔は楽しそうに食事をしていても目は笑っていない。入り込む隙間のなさ、そして追いつけない共にいる時間の差が歯痒かった。


「菊丸、おかわりしますか?」
「あ?」
 突然樹に話しかけられ、菊丸は反応が遅れてしまう。茶碗に視線を落とせば、空になっていた。
「じゃあ俺の分と一緒に、よそってきてあげます」
「おお、ありがとな」
 席を立つと、佐伯の笑い声が笑顔のままで止まる。戻って来るまでの僅かな沈黙に、彼らの周りだけギスギスしていたのを、感の良い何人かは察知した。菊丸に飯の入った茶碗を渡し、彼の食べる様子を樹は興味深そうに眺める。
「にゃんだよ」
 菊丸は嫌そうに呟く。
「なんでもないのね」
「そうかよ」
 目を合わせずに、黙々と摘んだ。
「菊丸はしじみとかあさりの味噌汁好きですか?」
「好きだよ」
「じゃあ今度、作ってあげますね」
 チラリと横目で見るとそこには樹の笑顔があり、慌てて視線を戻す。
「お前が?」
「そうですよ」
「そう、今度な」
「ええ」
 樹側にある頬が、熱くなった。


 カチン。
 佐伯の箸が食器に当たる音が響いて、菊丸と樹は驚いたように彼を見た。
「さ、サエ?」
「ん?」
 きょとんとした表情で、佐伯は顔を上げる。
「どうしたのね?」
「別に」
 何度か瞬きした後、菊丸の視線に答えるように彼を見据えた。
 目が合うと2人の顔から、ふっと笑顔が消える。
「えっと、あの……」
 重苦しい雰囲気に、佐伯と菊丸を交互に見て、樹は困り果ててしまう。




 幼馴染で一番の仲良しの佐伯と、大好きな菊丸と一緒に合宿が出来て、楽しくなるはずなのに、どうして2人、仲良くしてくれないのだろう。




 仲間達が大部屋で寝静まる頃、樹は菊丸を廊下へ呼び出して、話をした。
「なんでサエと仲良く出来ないのね?」
 思っていた事を、つい口に出してしまう。
「ん…………」
 菊丸は返答に困り、跳ねを失った髪をいじった。
 合宿前から菊丸と樹は何度か会っており、その際に佐伯の話は良く聞いていた。佐伯は誰にでも優しく、寛大な人物だと聞いていた。
 菊丸も最初は樹と仲の良い友人なのだからと、友好的に接しようとしたのだ。しかし何も行動を起こす前からあまり快く思われていないようで、爽やかそうな印象だが無愛想な人物だと感じた。その時に勘で気がついてしまった。佐伯が樹の事をどう思っているのか知ってしまった。わかってしまったら、佐伯と平行線で距離を置く事しか出来なくなってしまった。
「サエ、良い奴ですよ」
「わかってるよ」
 自分への態度があれでも、樹に言われなくても彼が悪い人物では無い事はわかっている。


「ほら、あいつはお前が好きじゃん」
 無意識に、そんな言葉が口から出た。


「………え?」
 僅かな間を空けて、樹が僅かに唇を動かした。瞳が揺らいだように見えた。ほんの僅かな心の揺らぎまで見えたようで、風が吹きぬけるように体が冷えたような感触がする。


「幼馴染みなんだろ?」
 慌てるように付け足した。心の中で、何かが焦る。
「そう、ですよね」
 樹が笑う。愛想笑いのように見えて、心の何かが急き立てる。


「なあ、俺の事好き?」
 二の腕を掴んで、問いかけた。いきなり掴まれ、小さな痛みが走る。
「好きですよ」
 変わらぬ声で彼は答えた。
「俺で良いんだよな」
「あたりまえじゃないですか」
 すがるような菊丸の表情に、樹は上着を摘むように引き寄せて、口付けをした。


 唇同士を合わせるキスは、その隙間から姿を現した舌が絡まり、深いものへと変わっていく。吐息のような声が、喉の奥から発し、樹の舌が誘うように引っ込み、誘われるように菊丸の舌は彼の口内へ侵入し、犯した。菊丸の手が樹の腰に当てられ、服の中に中指が入ると、腹で押すように背中へと上げられていく。
「……………」
 瞑られていた菊丸の瞼が開き、動きが止まったかと思うと、波が退くように体を離した。
「菊丸?」
 樹は乱れた衣服を整えながら、彼の顔を覗き込む。
「ごめん。やめ、な」
「はぁ」
 彼が気分屋だというのは今日から始まった事ではないが、こんな途中でやめられたのは初めてかもしれない。しかし、責める気にはなれなかった。樹もこの先を続ける気がなかったからだ。何かが胸の奥で留まるのを感じたからだ。
「おやすみ」
 軽く肩に手を置き、菊丸は廊下の奥へ歩いて行く。
「どこ行くのね?」
「ちょっと」
「そうですか」
 しばらく彼の背を目で追った後、樹は部屋へと戻って行った。




 樹と別れた菊丸は、1人洗面所の個室へ入った。ドアも閉めずに壁に背中を付け、天井を見上げて息を吐く。だるそうに首を戻し、目を細めてズボンを少し上げて、中を覗いた。僅かに自身が反応しているのが見え、舌打ちをする。
「バッカじゃねえの………」
 だらんと手を下ろし、もう一度天井を見上げた。樹の顔を思い出して、もう一度息を吐く。


 惚れたのは樹の方からだった。
 告白したのも樹の方からだった。
 付き合おうと言い出したのは菊丸の方からだった。
 初めて体に触れてきたのも菊丸の方からだった。


 いつの間にか自分の方が樹に夢中になっていて。
 逃れられない自分がいた。
 この想いを無かった事になんて、とても出来そうに無い。
 佐伯が誰を想っても、樹の本心がわからなくても。


「なんでこんなになるんだよ」
 背中を引き摺るようにしゃがみ込み、落ち着くのを待つ。
「俺はめんどくせえのは嫌いなんだよ」
 しかし我慢が出来ず、立ち上がってドアを閉めた後、自分で処理をした。


 面倒くさいのは嫌いだった。
 あいつは俺のもの。
 それで良いと言う事にしたかった。







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