10月1日。
 佐伯はカレンダーをめくり、クリーニングに出した皺1つ無い冬服に袖を通す。
 鏡の前に立ち、詰め襟を整えた。


 今日は衣替えの日。そして、佐伯の15歳の誕生日である。


 冬服を着る度に願いのような思いを馳せる。
 新しい服を着る事で、気持ちも変えられるようにと。
 今までの自分から、抜け出せはしないかと。



衣替え



 朝食を食べて家を出て、学校へ向かう。
 テニス部は引退したので、早くはなく、普通の登校時間にであった。
 同じ方向へ向かう生徒は、昨日まで白かったが、今日からは黒であった。
 見知った生徒に会えば“おめでとう”と声をかけられる事もある。
 佐伯は笑顔で答えて、喜んだ。


 学校では多くの生徒に祝われた。
 嬉しい反面、この仲間達と来年は別れるのかと思うと、物悲しいが、今を喜んだ。


 放課後の下校時間、下駄箱へ向かうと樹がひょっこりと顔を出す。今日、樹と出会うのは今が初めてだった。樹は歩み寄り、名を呼んだ。
「サエ、帰りましょうか」
「うん」
 靴を持つ手が、ぎこちない。間接が、思うように動かない。
 今までの自分から抜け出したい。朝、思った事が頭を過ぎる。
「誕生日、おめでとうございます。サエは人気者ですから、ちゃんと声が届く所で言いたかったのね」
 はい、と。樹は包みを佐伯に渡した。
 ありがとう、と。受け取る佐伯の耳は、ふと無音になる。


 今、ここには2人しかいない。
 下駄箱の向こう側にいるかもしれないが、見える範囲では誰もいないはず。
 佐伯は自分自身に言い聞かせる。
 今のままで良いと変化を望もうとしない自分から、抜け出したい。抜け出すのだ。抜け出してみろ。
 何度も言い聞かせた。



「樹ちゃん」
 声が震えそうになる。今言おうとしている事を思い、樹の名前を呼べた事だけでも自分の頑張りを褒めてやりたい。けれど、ここで終わらせてはならない。ここからなのだ。
「はい?」
 思い詰めた佐伯の表情に、樹は自然と首が傾く。


「好きだよ」


「はぁ」
 どう反応したら良いのかわからない。
「樹ちゃんが例え、興味なくても、誰を思っていても、俺は樹ちゃんが好きなんだ」
 佐伯は、どもりそうになる声を抑えながら話す。
「俺、樹ちゃんが欲しいんだ」
 早い勢いで、何かが突き動かし、進んで行くのを感じた。
 下駄箱の蓋の金具を押さえ、佐伯は樹に唇を押し付ける。手に汗が滲む、頭が真っ白になる。
 とうとう、抜け出してしまった。
 樹はただ立ち尽くしたまま、佐伯を受け入れた。


「………………………」
 唇を離し、目を逸らす佐伯。顔の熱は上がったり下がったりを繰り返す。変な汗が額に浮かぶ。
「どうして、嫌がらなかったの…」
 呟くような声で問う。
「俺はサエが好きですから。キスぐらい、そんなに引き剥がそうとはしませんよ。でも、どうすれば良いのか、俺はわからないのね」
「俺が悪いんだし…」
「悪いとか思い込まないで下さい。俺は大丈夫ですから。じゃあ、これで」
 淡々とした口調で話すと、樹は手を振って玄関を潜っていく。佐伯も手を振ったが、姿が見えなくなった所で止まる。
 確か、一緒に帰ると言っていなかったか。この状態では無理も無いが、明日はどんな顔をすれば良いのかわからない。一歩進んだら、進みきるしかないのか。佐伯は額に手を当て、溜め息を吐く。


 ほぼ同時期に、樹も溜め息を吐いていた。校門横の壁に寄りかかり、引き摺るようにずれる。
 一人勝手に話してあの場を離れたが、ちっとも大丈夫などではない。心臓がバクバクと鳴っているのを感じる。
「どうすりゃ良いのね…」
 助けを求めるように、夕焼け空を見上げた。







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