甘え



 今日は風の強い日だった。
 菊丸は練習を終え、ミーティング室へ入ってくると、しきりに耳の中を気にしだした。
「どうしました?」
 後から部屋に入ってきた樹が問う。
「耳の中がおかしいんだよ。砂でも入ったかな」
 落ち着かないようで、耳を指で弄る。


「綿棒ありますよ。掃除します?」
「用意が良いな」
 菊丸はニッと笑った。
 樹は鞄の中から綿棒の入った透明な入れ物を取り出して、菊丸に渡す。


「…………………………」
 入れ物を持ち、綿棒を眺めたまま、菊丸は立ち尽くす。
「どうしました?」
「あ、あの、さぁ」
 上擦る声。菊丸の言いたい事が、だいたい予想出来てしまう。
 感情が表に出やすく、バレバレの仕種。そのような所が、可愛らしくもあり、愛おしかった。
「や、やってくんない?」
 ちらっ、ちらっと、樹の方へ視線を送る。
 顔が熱くて堪らない。甘える事は得意なはずなのに、相手が樹となると、妙に気恥ずかしく、臆病になってしまう。他の人間に対する甘えと、樹に対するそれは、異なるからかもしれない。
「…………………………」
 樹は瞬きをするだけで、何も言おうとはせず、菊丸の口からは言い訳が零れていく。
「ほら………今、俺達しかいないし……他の奴らが戻ってくるのはもう少し後だし……。自分だと耳の中ってわからない……じゃん…?」
「…………………………」
 ふー。樹は溜め息を吐いた。菊丸は入れ物を顔の方まで持ってきて、そっと間から反応を伺う。
「素直にやって欲しいって言えないのね?」
 腰に手を当て、ジト目で見る。
「やって、欲しい」
「わかりました」
 菊丸の顔が笑顔に切り替わった。
「樹、愛してるよ」
「調子が良い奴ですね。今、そんな事言われても…」
 嬉しくはない。そう言いたかったが、喉の辺りが絡まる。
 素っ気無い態度をしても、鼓動は嘘を吐けなかった。


「じゃあ、こっちこっち」
 菊丸は嬉々として、椅子に腰掛け手招きをする。
 その場で耳掃除をするかと思っていた樹は、ぽかんとしてしまう。
「あの、まさか。膝枕してくれとか言わないでしょうね」
「え?違うのかよ」
「…………………………」
 あっけらかんとした態度に、一瞬かけるべき言葉がフッと頭から姿を消す。
「男の膝枕なんて、気持ちよくないと思うのね」
「そういう問題じゃないんだよ。ほら」
「…………………………」
 樹は折れて、のろのろと菊丸の隣に腰をかけた。
 椅子を並べてくっつけて、菊丸は樹の膝の上に頭を乗せる。そうして樹は綿棒を取り出し、耳の中を掃除しだした。
「あーそこ、気持ち良い」
 気持ちの良さに、菊丸は頭を動かす。
「動かない。黙ってて欲しいのね」
「はいはい。で、あのさ」
「はぁ?」
「次、俺がお前にしてやるよ」
「お断りします」
「なんでだよー」
「なんででも」
「ちぇっ」
 口を尖らせるが、やがてとろけた顔になる。


「次、反対の耳なのね」
「もうちょっと、このままが良い」
 目を閉じたまま、菊丸は言う。
「砂が入って、嫌じゃなかったんですか?」
「今は、どうでも良いんだよ」
「ふーん」
 樹は手を置いて、膝の上にある菊丸の寝顔を見つめた。彼の言うように、もう少しこのままが良いと思った。







恥ずかしい話になってしもうた…。
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