佐伯はフェンスに手をかけ、その先にある光景を眺めていた。
素直になれない
菊丸と樹が話をしている。といっても樹が積極的に話しかけ、菊丸は困った顔をしながらも耳を傾けているという様子だ。樹は本当に楽しそうな顔をしている。幼い頃から傍にいたからこそ、良くわかる。
「…………………あ………」
口を開き、声をかけようとするが、そのまま何も発せずに閉ざしてしまう。
ただ、いつものように、声をかければ良いだけなのに。それがなぜか出来ない。
「佐伯?」
背後から不二が声をかけた。佐伯の横に並んで、同じように菊丸と樹の姿を眺める。
「珍しい。英二の困った顔。でも、満更でもないみたい」
「へえ」
相槌を打つ声は、どこか頼りない。
「樹くん、英二の事、気に入っているみたいだね」
「うん」
「そんな寂しそうな声で言わないでよ」
不二の言葉に、佐伯は振り向く。
「樹くんを取られちゃったみたい?」
「別に、そんな」
視線を逸らしてしまう。不二には何もかもお見通しのように見えて、逃れたかった。
「佐伯の一番は、いつも樹くんだったもんね」
「…………………………」
「ちゃんと捕まえておかないと」
「不二に何がわかるっていうんだ」
佐伯は不二の言葉を遮り、言う。
「ごめん。佐伯が辛そうだったから」
両手を上げ、降参のポーズを取る。反省しているのか、茶化しているのか、判別のし辛い態度だ。
菊丸が佐伯たちの方を横目でチラリと見た。彼らの視線がこちらへ向けられているのを知ると、樹との話を切り上げて、1人ベンチの方へ行ってしまう。菊丸の背を眺める樹の寂しそうな顔は、離れていても良くわかった。佐伯が樹を見ていた時と同じような、心細さを感じさせた。佐伯の胸が、ちくりと痛む。
菊丸のことで、喜ぶ樹が嫌だった。
菊丸のことで、悲しむ樹が嫌だった。
菊丸のことで、変わる樹が嫌だった。
樹のことで、頭と心が乱され、孤独を感じた。
ずっと傍にいて、心も通っていると思ったのに、言いようの無い不安と焦りが胸を騒がせた。
佐伯の掴むフェンスが、音を立てる。
不二は軽く息を吐き、佐伯の元を離れた。
「英二」
呼ばれると、菊丸は振り返る。そこには不二が立っていた。佐伯の次に、菊丸へ話しかけたのだ。
「随分、樹くんに気に入られているみたいじゃない」
「ん、ああ」
曖昧な返事をして、菊丸はベンチに座る。その隣に、ちゃっかりと不二が座る。まだ何かあるのかと、露骨に嫌な顔をされた。
「英二も樹くん、気に入っているんじゃないの?」
「誰が」
「伝えてあげたら、きっと凄く喜ぶと思うよ」
菊丸の頬に赤みが差す。感情がすぐに表に出てしまい、嘘が吐けない。
「なんで好きなのに、嫌そうな態度を取るの」
「…………………………」
短く呻き、足を組み直す。
「なんで」
「樹みたいな事言うな。………最初はそれで良かったんだよ。でも…」
口籠った。初めは樹に好かれている、そう感じるだけで良かったのだ。そして、自分の中にも好意が芽生え始めているのを感じた。欲が出てしまいそうになる。その欲が何かを追求しようとすると、止まらなくなってしまいそうな気がした。普通の好意とは異なる、特別な感情。表に出すのを躊躇ってしまう。樹が苦手であった。彼を前にすると、普段の自分を保てなくなりそうだった。
「英二?」
「なんでもない」
菊丸は首を横に振る。
「樹くんとしていた話、途中だったんじゃないの。いきなり終わらせたように見えた」
「どうだって良いだろ」
「佐伯に遠慮してるの?」
「…………………は……?」
間を空けてしまった。心の隅にあった図星を指されてしまう。
「樹くんを取っちゃってるの、自覚してんだ。じゃ、何?樹くんの気持ちが向けられてるのも、わかってるんだ」
「別に、そんな。なんだよ不二、どういうつもりだ」
「どうもこうもないけど。ミーティングの時間だよ。行こう」
不二は立ち上がり、菊丸の手を引いた。チームのリーダーは不二であった。
時間になり、4人はミーティング室へ行き、練習メニューについて話し合う。終わり、時間が空くと佐伯と樹が仲良く雑談を始めた。菊丸は机に肘を突き、暇そうに目をとろんとさせる。話している最中も、樹は菊丸のことが気になるのか、チラチラと視線を送っていた。樹が余所見をする度に、佐伯の瞳も落ち着きが無く、樹を追っていた。やがて菊丸も加わり、3人で話し出す。不二は1人、黙々とノートにミーティングで決めた内容を書き記していた。ニコニコと笑みを浮かべて、耳を傾ける。
「樹」
「樹ちゃん」
菊丸と佐伯の、樹を呼ぶ声が揃う。会話が途絶え、しんと部屋が静まり返る。
「佐伯、先で良いよ」
「遠慮しないで」
遠慮。先ほど不二に言われた言葉を、佐伯も口にした。
「遠慮なんかするか」
「なにムキになっているの」
不穏な空気が漂い始める。
「どうしたのね、サエも菊丸も」
樹も雰囲気に気付き始め、2人を交互に見た。
「菊丸。樹ちゃんの事、苦手って言う割には話を振るんだね」
「佐伯こそ、樹にベタベタしてんじゃねえよ」
「ベタベタってなんだよ。仲が良いだけだよ。羨ましいの?」
菊丸の顔がかっと熱くなる。退くわけにはいかず、言い返す。
「お前こそ妬いてるくせに」
佐伯の顔も熱くなる。お互いがお互いに、嫉妬をしていた。口に出されてしまうと、恥ずかしくて堪らなくなる。
「不二」
樹は不二に助けを求めた。どうしたら良いのかわからない。争いの理由さえもわからない。
「溜めてた事言ってるように見えるけど、本当の事はなんにも言ってないから揉めるんだ。素直になれば良いのに」
独り言のように呟く不二に、樹はやはり意味がわからず首を傾げる。
「僕の方から見ると、ああすれば良いのに、こうすれば良いのにって口を出したくなるんだ」
「不二?」
もう一度、名を呼ぶ樹に、不二は耳元に口を寄せて囁く。
「佐伯ね、君が英二ばかり構うから詰まらないんだって」
「え?」
思い当たる節は十分にあった。どきりと胸が脈打つ。
「英二、接し方がわからないだけだから。君ともっと話がしたいみたいだよ」
「え?」
また、どきりと胸が脈打つ。
「樹くん、どうするの?」
「どうするって言われても…」
樹は戸惑い、視線を彷徨わせる。
「不二、樹に何吹き込んでんだ」
「樹ちゃん、何言われたかわからないけど、気にしなくて良いから」
菊丸と佐伯の視線が、不二と樹に向けられる。
「2人が争う原因を話してくれれば、言ってあげるよ」
「「…………………………」」
苦そうな顔で、口をつぐんだ。
「だいたい、佐伯が突っかかってくるから」
「突っかかってないでしょ。菊丸、結構ねちっこいんだね」
「それは佐伯だろ」
再び口論の火蓋が切って落とされた。
「あーあ」
不二は頬杖を突いて溜め息を吐く。樹はただ傍観するしかなかった。
佐伯は一番の友達で大好きだけれども、菊丸が気になる。それで3人の仲がこじれるなど、考えてもみなかった。
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