ベンチで休む菊丸の隣に、練習試合を終えた樹が座ってきた。


「……………………………」
 菊丸は無言で僅かに身体を端に寄せる。樹から距離を取ったのだ。
「露骨ですね」
 前を見たまま、樹は呟く。



不自然



 青学と六角の合同合宿。遠距離の付き合いという現実の壁に悩まされていた菊丸と樹にとっては、夢や奇跡のような、一緒にいられるまたとない機会であった。だが、あくまでテニス部の合宿であり、当然仲間たちもいる。関係が見つかってはならない。だから、皆の前では“なんでもないふたり”を演じなければならない。
だが菊丸の態度は“なんでもない”を通り越して“あからさまに避ける”ように見える。元の出会いからして菊丸は樹が苦手だったので、自然といえば自然だし、無理も無いかもしれないが、座っただけで離れるのはどうかと樹は思う。


「そこまで避ける事はないと思うんですけど」
「念には念を押すべきだって」
 相手にだけ聞こえる音量で、こそこそと言葉を交わす。
「そんなにしないとバレるくらい、気があるように見えると思ってるんですか」
「は……」
 からかいの言葉に、菊丸は面白いように反応し、樹を見た。上げそうになった声はつぐんで押さえる。
「せっかくの合宿じゃないですか。交流持ちたいと思う事は不自然ではないと思うのね。そんなに気にしなくても良いんじゃないですか」
「………………………………」
 菊丸は黙り込み、座り直して視線を逸らすように前を向く。仲間の様子を眺めながら、横目で樹を見た。樹はいたって普段の姿であった。相変わらず、何を考えているのかはよくわからない。菊丸の方は、普通では無かった。樹と一緒というだけで落ち着かない。今だって心臓は早鐘のようになっている。
 だいたい、普通でいろというのが無理なのだ。樹の言う通り、せっかくの合宿なのだ。一緒にいられるのはもちろん、もっと親しくなるかもしれない、親しくしたいと考える事は不自然なのだろうか。彼は期待をしていた。お互いが好き同士で、抱き寄せた事のある関係。もっと深くなれたらと思いを馳せれば止まらなくなった。歯止めが利かなくなったらどうしよう。2人はどうなるんだろう。落ち着いてなど、いられる訳が無い。
 恋をしていた。そして盲目だった。彼しか、樹しか見えなかった。好意を示されたのは樹の方であったが、いつのまにか菊丸の方が入れ込んでいた。


 いつの間にか見入ってしまう中、本当に樹は普段と変わりの無い様子であった。どうして俺ばかり焦るのだろうと、寂しさを感じる一方で、不安が生まれ出す。
 樹は、これ以上の関係は望んでいないのかもしれない、と。
 2人は男同士。元から普通通りにはいかない。人の心は予想出来ても覗く事は出来ない。“人それぞれ”という言葉が浮かんだ。俺ばかり馬鹿みたいだと期待を諦めようとしても、もしかしたらと捨てる事は出来ない。


「菊丸?」
 視線に気付いて、樹が彼の方を向く。彼にもまた、菊丸の心中など知るはずもない。
 なんでもないと、場を離れようとした菊丸の顔に陰が差す。見上げれば、それは越前だった。
「あっちで何かやるみたいですよ、行きましょ」
「何か?」
 見当がつかず、予想をする菊丸の耳に、木更津の声が聞こえる。あちらも樹を誘いに来たらしい。つい気になって、余所見をしてしまう。
「はい、行きましょうか」
 樹は木更津の伸ばした手を掴み、立ち上がる。そんな樹を見る木更津は、数回瞬きをした。
「あれ、菊丸と話してた?」
「え?」
「いや、楽しそうに見えたから」
「そうですか?でも会話、終わりましたし」
 くすくすと、木更津がするように樹も笑って見せるが、動揺の色は幼馴染であり仲間でもある彼には見透かされてしまうのかもしれない。そう考えると、余計に焦るのを心音で感じた。ドキドキと、鼓動が早まるのだ。
「なーんだろ」
 樹の様子がどうもおかしいので、首を傾げて見せた。
「なんでもないのね」
 返ってきた言葉に怪しさが増す。いつもなら、実は…と話してくれるのに。気になって仕方が無い。
「ま、良いか。行こう」
 疑問を切り捨てた木更津に、今度は樹の方がおかしさを感じた。木更津は食い下がってくるだろうと思っていたので、言い訳を考えていたのに。
 参った、困った、厄介だ。切り抜け方を巡らせて、樹は木更津の後を付いていった。


 菊丸はというと木更津の“楽しそう”という言葉が耳から離れないでいた。樹の真意を知りたくて、背を目で追う。
「英二先輩?」
 越前の呼ぶ声がして、今立たされている状況に気が付く。越前は菊丸が樹ばかりを見ているのを、きょとんとした顔で眺めていた。仲を疑うよりも不思議さが前に出ていた。
「お邪魔でした?」
「い、いや。そんな事は」
 慌てて首を横に振る。顔が熱くなってきて、平生を保たねばならないのに、冷ます術は見つからない。
「どうかしました?」
 首を傾げた。これがもし大石や不二、そして乾や桃城であったのなら、怪しいと勘ぐられた事だろう。越前だから、この程度で済んだのだ。
「そろそろ、行きません?皆待ってますよ」
「ん、ああ」
 菊丸は頬に手を当てながら、越前に付いていった。熱い顔を誤魔化す為である。
 期待をしても、良いのだろうか。好きでいても、もっと好きになっても、良いのだろうか。伺うような、怯えを持った想いの行く先は見えなかった。







もやもやする感じに。くっついても菊丸にとって樹は謎生物で。
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