俺の知らない所で
 君はあいつとどんな話をして、どんな顔で笑っているの?



コミュニケーション



 夏。佐伯はジュニア選抜に選ばれ、千葉を離れて合宿へ参加する事となった。
 合宿の間、携帯電話は基本的に使用禁止だが自由時間のみは使用を許されている。寝室では電波が通じ辛い為、携帯電話を使用する生徒はロビーや玄関外に出て繋げていた。
 夜になり、自由時間になると佐伯はメールをしようとロビーへ向かう。ロビーには既に数人の生徒がおり、雑談をする者、携帯電話を使う者がいた。適当な椅子に座り、携帯電話を取り出してメール文を打ち始める。
 送り先は千葉にいる幼馴染の樹であった。内容は今日あった事や六角の様子を伺うなど様々で、つい長文になって時間がかかる。
「んー」
 文章に詰まり、一人唸った。そうしてなんとなく、顔を上げて周りを眺める。するとある人物の姿に目が留まった。菊丸がいた。佐伯と同じように携帯電話でメールを打っている様子。画面に夢中なうえ、横を向いているので佐伯の存在には気付いていないだろう。
 誰に連絡をしているのだろうか。佐伯は気になって仕方が無かった。
 もしかしたら、樹なのかもしれない。どうしてもその考えに辿り着いてしまう。胸が嫌な感じにきつく締まる。


 菊丸と樹は付き合っている。友人としてではない、別の関係としてだ。
 樹は何も言わないし、菊丸とは試合や不二繋がりで会うくらいで、会話自体あまり交わした事は無い。
 けれども何となく、気付いていた。けれども詮索はしなかったので、憶測でしかないのかもしれない。
 樹は何も言わない。男同士だからという、後ろめたさだからであろうか。それでもずっと共にいた幼馴染なのだから話してくれても良いのではないかと思う事もあった。詮索をしないのは、樹から話して欲しいという希望なのだろうか。
 幼馴染が、一番の友達が大して知らない奴と知り合って、自分の知らない思い出を作っていく。いつか人と人は別れる。頭でわかっていても心がついていくはずもない。
 寂しいし、悲しいし、そんなのは嫌だと思う。わがままのような、一方的な嫌悪感。菊丸が苦手であった。それと同時に知りたいという好奇心があった。彼の姿を少しだけ見るつもりが、じっと凝視していた。自分へ近付いてくる気配に気付きもせずに。




「佐伯くん」
 とん。肩に手が乗った。
「へ?」
 不意打ちに、間抜けな声が出る。振り向けば、そこには千石がいた。
 人懐っこいような笑みを浮かべて、遠慮無く隣に座ってくる。
「メール?」
「え?ああ、メールだよ」
 佐伯も笑顔で答えた。
「誰?彼女?」
「違うよ。幼馴染」
 なぜだか“彼女”の言葉に顔が熱くなる。思春期には刺激的な言葉であった。
「じゃあ幼馴染の女の子?」
「男だけど……」
 どうしてそう女の子を出したがるのだろうか。佐伯は苦笑を浮かべる。
「そっかー。佐伯くん、彼女いそうだなって思ったんだけど。俺もね、男にメール。女の子に出したくっても、生憎相手がいなくてね。はは」
「はは……は」
 相槌を打つしかなかった。
 千石はメールを打ちながら話題を振ってくる。
「幼馴染って事は、仲良いの?」
「うん」
 佐伯もメールの続きを始めた。
「良いなー。俺、山吹受験したから小学校の友達と距離出来ちゃって羨ましいや。やっぱり何でも話し合えちゃうのかな?」
「どうだろう……」
 簡単に受け流してしまえば良いのに、出来なかった。樹は菊丸の事を何も言ってはくれない。何でも話し合えると信じていたのに。幻想だとは思っていても、少なからず信じていた部分はあった。
 こうして千石と話している間も、目の前で菊丸は樹に連絡を取っているに違いない。
 俺の知らない所で樹は菊丸とどんな話をして、どんな顔で笑っているのだろうか。考えたくも無い。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ。ただ嫌という気持ちだけが湧いてくる。幼馴染なら、本来は応援をする立場なのかもしれないが、嫌で嫌でたまらないのだ。佐伯の気分は沈んでくる一方であった。
 そんな佐伯の気持ちはお構い無しに、千石は話を続ける。
「ねー。恋人欲しくない?」
「うーん。あまり興味はないかな。作っている暇もないし」
 本当に興味は無かった。大好きな仲間たちがいれば十分であった。
「またまたぁ。ホントは欲しいくせに。時間なんて作ろうと思えば作れるよ」
「いや、だからね……」
「今度、二人でナンパしない?俺たちならイケるって、絶対。間違いなしっ」
「………………………」
 千石は聞く耳を持ってはくれないようだ。
「あ。ひょっとして」
 手を止めて、真顔で佐伯を見る。
「好きな人いる?」
「え?そんなんじゃないよ」
 佐伯も手を止めて答えた。
 そんなんじゃない。言った後で思い返せば、おかしな事に気付く。ただ“いない”と答えれば良かっただけなのに。まずい、絡まれる。佐伯は言い訳を考え出す。
「あ、いるんだー」
 千石は顔を緩ませて笑う。妙に腹立たしさを感じた。
「ね、ね、ね」
 急に声を潜めて耳打ちをしだす。
 うざい!佐伯は心の中で絶叫した。断り方がなかなか浮かばない。反論出来ないまま、千石は囁く。


「ひょっとして。幼馴染が本命?」


 佐伯はびっくりして反射的に千石から離れた。ただ、びっくりした。顔は恐らく真っ赤であろう。心臓がドクドクと鳴るのを感じていた。
 千石もただ佐伯の反応に驚いていた。
「ごめん……」
 しゅんとして、頭を下げる。
「そんなんじゃ……」
 声が最後まで続かない。
「なにやってんの?」
 不意に頭の方から声がして、千石と佐伯は顔を上げた。菊丸が彼らの前に立っている。菊丸と目が合うと、佐伯はぎくりとして目を逸らした。
「千石さー、佐伯困ってるじゃん。また一緒にナンパしようって誘ってたの?」
「一人なら二人って言うじゃない?」
 千石は両手を合わせて指を回しだす。どうやらナンパ友達を誘っては断られて、佐伯に回って来たようだ。
「他の奴を探すんだな」
「菊丸くんどーう?」
「お断り」
「あーあ、残念っ。合宿の今がチャンスだと思ったのに。佐伯くん、ホントにメンゴ!気にしないでね」
「気になんて……」
 佐伯の呟きと、千石の立ち上がるタイミングが重なる。千石はポケットに携帯電話を突っ込み、腕を後ろに組んでロビーを出て行った。
 しばしの沈黙の後、佐伯は礼を言う。
「有難う。助かったよ」
 だが、視線は合わせられなかった。
 菊丸は立っているのもなんだと、千石の座っていた席に腰掛ける。
 佐伯は菊丸とどう接したら良いのかわからず、壁を作っていた。菊丸も仲間たちに見せるような明るさが無く、表情が硬い。気まずい空気が流れた。


「メールしてた?」
 菊丸は佐伯の持つ携帯電話を指差す。佐伯は小さく頷いた。
「樹?」
 さりげない、呼び慣れたような言い方。佐伯は胸の内に感情が蓄積されるのを感じる。
「なんで樹ちゃんって思うの」
「樹が、言ってたから」
 空いた手が小刻みに震えた。指先の感覚が無い。感情が吹き上げるのを必死で抑えた。
 これは疎外感なのだろうか。違う、本当はわかっているのだ。嫉妬なのだと。どうしようもない嫉妬心なのだと。
 樹を奪われたくないという異常な執着、焦り。冷静ではいられない。友達だとか恋人だとか、関係はない。それらを突き抜けたどうしようもない想い。激しく燃え上がり、一つの想い以外は炭にしてしまうほどの余裕のなさ。恋に近いのかもしれない。いや、恋なのだろうか。あらゆるものが混ざり合って答えは出ない。
「佐伯……?」
 菊丸は佐伯を伺うように名を呼ぶ。
「ごめん」
 佐伯は首を横に振る。何も言えない。菊丸へ酷い罵倒をぶつけてしまいそうだった。
「ごめん。ちょっと、駄目だ……」
 急に立ち上がり、小走りでロビーを出て行く。菊丸の視線は感じるが、振り返られない。




 非常灯のついた廊下を、佐伯はとぼとぼと歩いた。軽く駆けただけなのに、息が乱れる。
「はぁ…………」
 溜め息を吐いて足を止め、壁に寄りかかった。夜の廊下は静かで、心を落ち着かせてくれる。同時にあった事を思い出させてくれて、心の弱さを暴いてくれる。
「嫌な奴だな、俺……」
 額を押さえ、俯いた。自己嫌悪が胸の内に広がっていく。
 どうして樹は言ってくれないのだろうか。ぼんやりと、彼を思った。
 何も言ってくれなければ、何も反応をする事が出来ない。どんな顔をすれば良いのかわからない。
 樹の知っている、佐伯のままでいなければならなかった。そう、強制をされているのも同じ事であった。
「樹ちゃん…………」
 幼馴染は、優しくて残酷だと感じた。







佐伯→樹気味の佐伯×樹が好きで、邪念無く普通に佐伯&樹が好きで、菊樹本命で三角関係を妄想した結果、菊樹を通して佐伯が恋していくのはどーよ?ってなりました。
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