会いたいけれど、会えない。
会えないけれど、会いたい。
まるで花占いのような二つの想いに揺れている。
想うからこそ迷い、悩み、行き場を失う。
携帯電話を開いて、閉じて、想いは揺れる。
流れ星
「弄り過ぎると、壊れちゃうかもよ」
上の方から聞き慣れた声がして、顔を上げれば不二の顔があった。
ここは三年六組の教室。時刻は休憩時間。
机に突っ伏していた菊丸は携帯電話を閉じて鞄の中にしまう。座り直して伸びをすると、普段とは似て非なる景色があった。先日、席替えをして前から後ろへ下がったのだ。幸か不幸か不二は菊丸の前の席になり、起きてくれないと椅子が引けないと苦情を付け足される。
欠伸を噛み殺し、涙目を指の腹で拭う菊丸に、不二は振り向いて普段の笑みを浮かべていた。
「眠そうだね。寝不足?」
「いや、次の授業が嫌なだけ」
「そう。どうなの?」
「どう?」
わからず、聞き返す。
「会っている?」
「ああ」
理解し、相槌を打つ。不二は樹の事を言っているのだ。
「今、受験みたいだからさ」
六角は公立で、夏が終われば高校受験の準備をしなければならない。遠距離なのもあり、しばらく会えなくなると樹に告げられた。仕方の無い現実を菊丸も受け止め、会っていない。
「連絡は?」
「俺、気の利いた事言えないし」
「言い訳だ」
笑みのまま、不二はちくりと刺をさす。
「溜め込みすぎは良くないと思うよ。駄目そうに見える」
心を見透かすように、視線を上下させて菊丸を見た。
「不二、お前もな」
菊丸の瞳がきょろりと動いて、不二を見据える。
不二も不二で、板前の修行に入った河村と会う機会が減っていた。同じ学校ではあるが放課後の都合が合わない。これも不二自身が口にした言い訳かもしれないが。
「……それは」
痛い所をつかれ、口ごもる不二。天才の焦りを間近で眺めるのは気分がいい。思考の歪みに自嘲する。
「心配してやったのに」
不機嫌そうに咳払いをし、首を戻して教科書を机の上に取り出し始めた。
「悪かったよ」
頬杖をついて、菊丸は呟く。けれども本が載せられる音に掻き消されたようだった。
授業が始まる前までにもう一度、携帯電話を開いた。
日付が目に入り、明日は自分の誕生日だったと思い出す。
忘れていた訳ではないのだが、他の事で頭がいっぱいで抜け落ちていた。
会いたい。
たった四文字だけなのに、遠くて深い谷があった。
「あ」
チャイムが鳴り、思わず声を漏らす。
なぜだかわからない。時間が押し寄せる焦り故の咄嗟の行動だろうか。
チャイムの間に菊丸は樹へメールを打ち始めた。
メールアドレスを呼び出して、会いたいという内容の簡潔な言葉を入力する。チャイムが鳴り終わると同時に送信した。
あれほど迷っていたのに、とうとう送ってしまった。
達成というよりは脱力の近い感覚が身体を包んだ。
教師が教室へ入ってくるまで、行動に至った理由を巡らせていた。
放課後。恐る恐るメールを開いて見れば、樹からの返信が届いている。
彼の言葉もシンプルなものではあるが、柔らかい印象を受けた。自惚れだと思いながらも、嬉しさが湧き上がる。
どこで会う?という問いに、お前の所へ行くと答えた。
明日は空いているという樹に、会えると躊躇いも無く答えた。
メッセージを見返す菊丸の胸は、日が日だけに特別な感覚を抱く。樹は知らないというか、教えてもいないというのに。
そんなメールでやりとりの姿を偶然不二に見られ、からかわれた。
そして翌日、菊丸の誕生日。千葉の駅を降りると樹が待っていてくれた。
口が綻んで、硬直する。
久しぶりに会う樹は変わっておらず、安心したのだろうか。
彼を見つめる自分自身の愛が、変わらない事を感じたのだろうか。
両方の思いが身体の動きを止めたのかもしれない。
「どうしたのね」
樹がわざとらしく菊丸の目の前で手を振った。
菊丸はふるふると首を横に振る。
間近で聞く、久しぶりの声に胸が高鳴って言葉さえも失う。
「どこへ行きたい所あります?」
首をかしげ、手を下ろして樹が問いかける。
「……行きたい」
「ん?」
「海に行きたい」
「何も無いし、今は寒いのね」
「それでも行きたい」
反対の方へ首をかしげて、樹は“わかった”と頷いた。
「少し、歩くのね」
「ああ、良いよ」
樹が歩き出すと、菊丸も後ろを付いていく。
夏に会っていた頃はまだ日が地平線に沈んでいなかったが、冬は日が短く、すっかりと夜の暗さが包んでいた。肌寒く、道を歩く人の中にはコートを纏う者もいる。
二人は雑談を交わしながら道を行くが、前を歩く樹はしきりに後ろを向いて菊丸が付いて来ているのかを確かめていた。久しぶりに会う菊丸は静かな感じを抱く。夜の闇に溶け込むような静寂さを醸し出していた。連絡もして来なかったし、ふっと消えてしまいそうな不安を抱いた事もある。
会えなくなるとは樹自らが言い出したが、すんなりと受け入れられて音沙汰も無い。本当は会いたがって欲しかった。我侭だとわかっていても、馳せずにはいられない。
「菊丸、青学の方はどうなのね」
「タカさんは板前の修行に入ったけれど、皆元気だよ。そっちは」
「今はテニスが出来ないから、予備軍に会えなくて寂しいのね」
寂しい、という言葉を口にして樹は俯く。
変化に気付いたのか、気付いていないのか、菊丸は“そうか”と相槌を打つ。
「こっち、曲がれば海に出るのね」
樹が指差す方向へ進んでいくと海の匂いがして、やがて見えてきた。
冬の海は水も砂も冷たそうで、明かりも無く、真っ暗であった。人気も無く、波の音だけが流れている。
砂浜に出て、海の前で立ち止まる。良く見ようと樹を追い越して前に出た菊丸の背に、彼は言う。
「本当にこんな場所へ来てどうするんです?入ったら風邪ひくのね」
「入らないって」
「菊丸、何も用意出来ませんでしたが、おめでとう」
樹の言葉に菊丸は振り返り、大きな瞳を瞬きさせた。
「どこで知った?」
「お前に興味があったから調べたまでなのね」
興味があるというのは好意の証拠。会っているのだから好意はあるにはあるのだが、どきりとする。
「プレゼント要求するつもりはないけど、今言おうと思ってた。俺の誕生日だって」
向き直り、ズボンに手を突っ込んで言葉を巡らすように俯いた。
今から言う事をする為に、海へやってきた。いわゆる本題なのだが、面と向かうと気恥ずかしさは隠し切れない。
「一つだけ聞いて欲しい事があるんだ。いや、一つ聞いて欲しくて、一つ約束。この事に関しては何も言わないで欲しい」
ぼそぼそと話す菊丸。彼自身も顔の熱さを感じており、暗くて良く見えないが、恐らく赤面している事だろう。
「はぁ…………」
頼りない返事をする樹。意味深すぎて身構えてしまいそうになる。
けれども胸の内の心臓は高鳴っており、彼も僅かだが頬を上気させていた。
「じゃあその……」
菊丸は顔を上げ、樹を見据える。
足を前に出し、距離が縮まってくる。
鞄を置き、両手を広げた。
吃驚して樹は思わず目を丸くさせる。
何の事は無い、抱き締められただけなのだが。脇の間に腕が回り、手が背中に触れられていた。
鼓動が早鐘のように鳴る。久しぶりの温もりだからなのだろうか、変わらず愛しており、尚も募らせていたからだろうか。鼓動が内から突きつけられ、身体が思うように動かず、抱き締め返せない。
樹は立ち尽くす格好で菊丸に抱擁されていた。
「大好き」
耳元で、確かにそう聞こえた気がする。
「樹、好きだ」
今度はもっとはっきりと聞こえた。
囁かれた低い声。愛を告げられたのだ。
「どうしたのね、いきなり」
普段は照れてばかりで、ちっとも言ってはくれないのに。
改めて告げられると気恥ずかしく、とぼけてみせる。
「何も言うなって言ったろ。好きなんだよ」
「あ…………」
三度も言われ、これは愛の確認だと察した。
愛がここにあるのだと、確かめている。
不安と寂しさともどかしさが入り混じった今と未来。脳裏を過ぎれば見えずに去っていくだけ。その去った様子は見上げて目に入った夜空のように暗く、底がない。
「俺も」
「だから言うな」
「好きなのね」
菊丸の声を無視して、樹も愛を告げた。
「大好きです」
手が上がり、抱き締め返す。指は僅かにかじかんで、触れる背中も冷たい。
けれども、もう少しこのままでいれば体温が伝わって暖かくなるはず。
身体は離さなかった。顔は見えない。見たくなかったからかもしれない。
今顔を合わせれば、もっと愛おしくなって、もっと切なくなってしまうだろうから。
今は。今だけは。今のままを望んだ。
温もりを感じる中で、菊丸は樹の肩口に顔を埋め、樹は空を見上げたままであった。
闇に浮かぶ煌く星の中に、流れるものがないかを探していた。
特に願い事をしたい訳ではない。
ロマンに浸り、この時という夢を見たかったのだ。
甘いつもりで書いてみました。
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