冬の夜



 クリスマスシーズン。イルミネーションが綺麗だとテレビでも取り上げられていた通りへ、菊丸は樹を連れて行った。夜空に色とりどりの明かりは幻想的で、良く合っている。けれども美しい事は美しいのだが、いかんせん人が多い。混んでおり、進みも遅かった。
 これでは人を見に来たようなものだと、通りの中にあるレストランで食事と休憩を取る事にした。
 レストランの中も混んでおり、活気を感じる。日本ではクリスマスはお祭事をやりたいだけの口実に見えるが、それはそれで良いのではないかという気分にさせてくれる暖かさがあった。


 二人が案内されたのは窓際の四人席で、椅子はソファーになっている。樹が先に窓に面した奥の席に座ると、向かい側に行くと思っていた菊丸は樹の隣に座ってきた。
 違和感はあるが、あくまで樹の中の価値観であり、指摘の言葉を飲み込む。コートを空いた席に置くと、前の席の人の頭が見えた。やはりおかしいとは思うが、気にしまいとメニューを取ろうとする。
「…………………………」
 手は伸ばせずに、樹は菊丸を見た。彼は素知らぬ顔で樹の代わりにメニューを取って開く。
 手は伸ばせなかったのだ。机の下の、ソファーの上に投げ出された手は、菊丸に握りこまれていた。
 上から重ねられ、指が指の間に入り込み、手の平が動いて撫でられる。外で冷えた手に、熱い体温が浸透していく。
「なにやってるのね」
 相手にだけ聞こえる音量で樹は呟いた。レストランという、人が多くいる場所でこんな真似をするなんて。樹の記憶では珍しい行為であった。
「良いだろ、別に」
 重ねられた手は下に回って、別の角度から包まれる。
「俺が同じ事をやったら、きっと怒るでしょう」
「ああ、怒るね」
 あっさりと答える菊丸の視線は、メニューへ向けられたまま。しゃあしゃあと素知らぬ態度を続けていた。
 何を言っても無駄だと割り切り、樹は窓の外を見やる。
「ここからの方が、ゆっくり見れるのね。室内で暖かいですし」
 ガラスを通しているせいか、明かりはより輝いて見えるような気がした。中と外の明るさの違いで、窓には店の様子が反射して映し出される。
 外を眺める樹の後ろには、樹を眺める菊丸の姿。こうして顔が映っているのを、彼は知っているのだろうか。
 外を眺める振りをして、自分を見てくれる相手を樹は何も言わずに見つめた。


 しばらくすると、頼んだ食事が届き、食べ始める。
 食事をする中で、不意に菊丸は樹の髪に手を伸ばす。指先が髪を払い、耳の後ろにかけられた。
「なにやっているのね」
 振り向いて、先程と同じ言葉を樹は口に出す。避けられた髪の一部が、はらりと流れた。
「よく、見たいから」
 表情を変えずに菊丸は言う。
 樹は顔が熱くなるのを感じた。普段は、菊丸が照れてばかりなのに。
 このとっておきの機会に逆転で負かされた気がして、どうも面白くはない。そもそも、そんな問題ではないのだが、さらに鼓動まで高鳴ってしまうのだからやっていられない。
「顔、赤い」
 瞳が覗き込まれそうになって、樹は視線を逸らす。
 これでは赤くなったのを認めてしまう。
「もっと見せてくれりゃ良いのに」
「人の気持ちをからかわないで欲しいものですね」
「しょうがないじゃん、見たいんだもん」
 駄目だ。今日は彼に敵いそうにない。
 頬杖をついて息を吐く。溜め息も熱かった。
 菊丸も頬杖をついて、樹をじっと見つめる。視線は小波のように穏やかで、口元は緩んでいた。
 笑っているのか、それとも何かを企んでいるのか、判別はし辛い。
 また横から手が伸びてきて、指が髪に触れてくる。髪の揺れる音が耳をくすぐった。混んでいるレストランの中で、音楽も流れているというのに、聞こえてくるのだ。
「食事、冷めちまう」
「わかってるのね」
 樹が食器を取る時に視界に入った菊丸の舌なめずり。気付かれて視線が交差すると、熱が戻ってくる。全てがわかっていたように、狙っていたように、菊丸は笑った。悔しさに、樹は喉を鳴らす。






 一方その頃、菊丸と樹が歩んだ通りを、黒羽と桃城も歩んでいた。たまたま桃城が話題を出し、黒羽も乗り出して二人で行く事になったのだ。
「綺麗っすねー」
 周りを見回して、感嘆する桃城。
「すっげえなー」
 黒羽の見上げて吐く息が白く染まる。
「それにしても人が多いですね。おっと」
 並んで歩こうとすれば行き交う人の肩に当たりそうになり、桃城は黒羽の後ろについた。
「はぐれねえように、気を付けろよ桃城」
「はい、バネさん」
 背後から桃城が黒羽のコートを掴む。
 微弱な電流に似た何かが黒羽の身体を巡り、鼓動と熱へと変換させる。桃城もまたコートを持った感触に何かを感じていたようだ。けれども双方の揺れは互いに気付かない。
 ただ己の胸の内だけで揺れ続けた。


 そんな二人組みは通りを進むうちに偶然か必然か、それとも幸か不幸か、丁度店を出てきた樹に遭遇する。正にバッタリ、であった。
「あれ、樹ちゃんじゃねーか」
「バネこそどうしたのね」
 六角の二人は指さし合い、出会えた事を喜んだ。明るい雰囲気の中に、桃城が黒羽の背中から姿を見せる。
「どうもー」
「桃城もいたんですか。どうしたのね」
 樹は黒羽と桃城を交互に見た。
「どうって、なあ」
「ねえ」
 見合わせ、口から出る笑い声は乾いている。妙に照れてしまい、二人とも顔が赤い。
「それより、樹ちゃんは一人で?」
「え?」
 正直に言うべきか、はぐらかすべきか、迷う時間は与えられなかった。
「おまたせー」
 遅れて店の外に出てくる菊丸。桃城と黒羽を見るなり、店の中に戻ろうとする彼を桃城が引き止める。
「英二先輩じゃないスかー」
 ニッと人懐っこい笑みを浮かべる桃城。菊丸には今日この時ほど、彼の笑みが嫌味たらしく見えた事はない。
「いやー、お二人に会えるなんて。あれ?」
「樹ちゃん。菊丸と来ていたのか?」
 ようやく状況が見えてきて、確認するようにわざわざ声に出して聞いてくる。
「ええと……」
 誤魔化しようもなく、正直に答えようとする樹の横で、菊丸の顔が火を噴いた。
「ば、ばばば、馬鹿。んな訳あるかって。これはその」
 表情と言動が動揺をありありと示す。いかにも“何かあります。突っ込んでください”と言わんばかりであった。どうしてこう墓穴が掘れるのか、樹は思う。だが、彼は彼のままであったと安心と同時に愛おしさを感じていた。
「ええと、つまりはそういう事なんです」
 肩を竦めて見せて、樹は言う。
「馬鹿お前っ、なに言ってやがる」
 菊丸は樹の腕を掴もうとするが、触れる前に手が微かに震えて停止する。それがまた普通ではない事を示してしまう。
「菊丸。とにかく落ち着け」
 黒羽が菊丸の両肩に手を置いて、どうどうと落ち着かせようとした。
「ゆっくりとお話は聞きましょう」
「話?本気か?」
 菊丸は黒羽と桃城を見て、彼らが考えを変えない事を悟り、樹に助け舟を出そうとしたが、彼は諦めろとでも言うかのように無表情であった。観念の時のカウントダウンが始まる。


 冬の夜は深まっていき、まだまだ夜明けは遠い。







菊樹とバネ桃が好きです、としか言い様が無い。
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